アッシュ・ぺー・フランス(H.P. FRANCE以下、アッシュ・ぺー)といえば、ファッションやジュエリー、雑貨などライフスタイル全般にかかわる知る人ぞ知るブランドを世界中から輸入販売する企業だ。それ以外にも、合同展の「ルームス(ROOMS)」や「場と間」などを主催したり、アートギャラリーを運営したりとさまざまな取り組みを行っている。
1984年に会社設立以来、村松孝尚アッシュ・ペー社長は自身がほれ込んだブランドを日本市場に紹介してきた。アイコンのバッグ“リスボン”が20周年を迎えた「ジャック ル コー(JACQUES LE CORRE)」や、クラフト感たっぷりのバッグがそろう「ジャマン・ピュエッシュ(JAMIN PUECH)、白い釉薬が独特な風合いを持つ陶器『アスティエ・ド・ヴィラット(ASTIER DE VILLATTE以下、アスティエ)』など数多くのカルト的なブランドがそうだ。
アッシュ・ペーが誕生した場所は現在、村松社長の書斎になっている。下町のビルの一階を占めるアッシュ・ペーの歴史をうかがい知ることができる収集室と言った方がいいだろうか。その部屋で、村松社長に話を聞いた。
WWD:ここからアッシュ・ペーがスタートしたということだが、いつごろから書斎として使っているか?
村松孝尚アッシュ・ペー社長(以下、村松):ここはアッシュ・ペーのショールーム兼経理だった。われわれの原点という場所だ。1999年ごろから書斎として使用している。本も読むが、考える部屋と言った方がいいかもしれない。
WWD:さまざまなものがあるが、どうやって集めたか?
村松:家具はニューヨークやパリで購入した。このポール・ケアホルム(Paul Kejaerholm)のビンテージ家具は、くたびれたレザーの風合いが気に入ってニューヨークで購入した。公園からかついできた石や鉄などもある。貝殻や板など拾ってきたものがたまってきた。アッシュ・ぺーで扱っているイタリア人ガラスアーティストのステファノ・ポレッティ(Stefano Poletti)やフランス人アーティストのナタリー・レテ(Nathalie Lete)などの作品もある。これらすべてが、私の考えるヒントだ。
WWD:これら多くのモノとの出合いは?
村松:マティアス・アンド・ナタリー(Mathias & Nathalie以前、レテはデュオとして活動)は、1989年にパリの土産物屋に作品があって、ものすごいクリエイティビティーを感じた。それが出合いだ。人からの紹介もある。「アスティエ」の2人とは、デビューした時にニューヨークの雑貨や家具のセレクトショップを運営しているジョン・デリアン(John Derian)に紹介された。パリやニューヨークのギャラリーで出合うこともある。
WWD:この中で一番のお気に入りは?
村松:「アスティエ」からもらったマリー・アントワネット(Marie Antoinette)のギロチンのカップ。毎年、クリスマスにプレゼントを贈ってくれる。「アスティエ」は取り扱いを初めた当初は仕入れ値で買って同じ価格で販売していた。利益をのせると売れないから。3年間くらいそんな時期があった。だから、自分で買ったものもある。
WWD:もし災害が起きて、この中から一つ選んで非難するとしたら?
村松:このお釈迦様。日本人作家のこんのげんによるものだと思う。
WWD:アーティストを選ぶ基準は?
村松:その時、自分が何を考えていたかによる。それに反応した作品を選んでいる。石や機械のパーツなどもそうだ。
WWD:この部屋のコンセプトは?
村松:コンセプトは特にない。集まった物を見て、その時、自分が何を考えていたのか思い出す場所。それぞれのシーンが時間軸で詰まった包括的な場所だ。振り返ってみないと自分が何なのか分からないから。
WWD:この部屋での過ごし方は?
村松:本はここでしか読まないし、朝から晩まで過ごすのが好きだ。ここでお酒を飲んで考え事をすることもある。
WWD:この赤いキャビネットはどこから?和だんすやアンティーク風のドアもあるが?
村松:このキャビネットは私が20代のころから通っていたしゃぶしゃぶのお店が閉店する時に譲ってもらった。漆塗りでかなり大きいので、分解してこの部屋に運び込んだ。和だんすはアンティーク屋で購入。これらのドアはメキシコやアルゼンチンで出合ったものだ。
WWD:お気に入りの椅子は?
村松:フランス人がアフリカでリメイクし、パリで販売したものだ。エイチピーデコ(H.P. DECO)用に仕入れたが売れなかったから、自分用に購入した。
WWD:キャンドルが灯されているが?
村松:キャンドルが好きで多ければ多いほどいい。企画会議でも使うことがある。