2014年に米・ロサンゼルスを拠点に設立された「ブリストル スタジオ(BRISTOL STUDIO)」は、コンテンポラリーメンズの視点からバスケットボールカルチャーを探求するという大学のプロジェクトから始まったメンズブランドだ。昨年秋に「アディダス オリジナルス(ADIDAS ORIGINALS)」とコラボカプセルコレクションを発表し、その後アディダスとスニーカーの“CRAZY BYW”を手掛けるなど協業が続いて注目されている。
ブランドの特徴は人体の有機的な形に合わせた縫製やリバーシブルのフーディ、ファスナーの取り付けにハンマーを要する分厚い生地のアイテムや通常4~7枚のところ13枚のパーツを使用するスエットなど、細部にこだわった型にはまらないデザインだ。
「バスケットボールを主軸にしていると、クールだけどなぜ?と問う人もいる」とルーク・タダシ(Luke Tadashi)「ブリストル スタジオ」共同創設者兼クリエイティブ・ディレクター。「範囲が狭くて意味をなすように見えないんだろう。けれど僕の一番幼い記憶のいくつかはバスケと繋がっていて、どんなことが起きても平和と安らぎを与えてくれる存在だった。僕たちのすることは全てスタンダードではなく、既存のサイズ感に基づいていない。ゼロから作り上げるようなものでなければならない」と語る。
「ブリストル スタジオ」は約1年半前フィッティングモデルの採用をなくし、その後ビジネスモデルを卸からD2C(ダイレクト・トゥ・コンシューマー)へと移行した。今後はパフォーマンス・スポーツウエアの領域で新たな道を切り開き、アディダスやNBAのレブロン・ ジェームズ(LeBron James)選手といったパートナーとの仕事を拡大し続けるという。
ほとんどのブランドがTシャツやスエットを売る巨大なストリートウエア市場においてバスケットボールカルチャーに的を絞り、ラグジュアリー・スポーツウエアを手掛けることについてタダシは「ストリートウエアのブランドが嫌いなわけじゃない。でも今やその言葉の意味は漠然としていて、何を意味するのかさえ正確にはわからない。今日ではあらゆるレベルのスポーツフォーマルの境目が曖昧で、そういった意味では『ブリストル スタジオ』はストリートウエアだ。一方で僕らのバスケットボール文化の探求方法がこれまでよりニッチで高尚で、抽象的かつアバンギャルドであることが、僕らをストリートウエアではなくしているとも思う」と答えた。
その曖昧さが要因なのかバイヤーからの購入は試験的なものに留まり、卸をしている際はブランドの幅を反映できていないという懸念があったという。そんな中ある1人のバイヤーの言葉が決定打になり、「ブリストル スタジオ」はビジネスモデルを転換した。
「日本から移民した祖父の日記に心を打たれて、日記をベースにしたコレクションを製作した。このストーリーを話したバイヤーは『クールだ』と言って、次に『フォロワーは何人いるんだい?』と聞いてきた。がく然としたよ。お高くとまる気はないけれど、このデザインは魂を注いで自分は何者なのか探求して作り上げたもので、その思いがデザインを通して表現しているんだ。それがきちんと受け取ってもらえるように、これ以上卸ビジネスはしないと決めた。リテーラーとの仕事を排除はしないがマーケティング的に意味がある場合に限る」と語った。
ここ数カ月の間は「ブリストル ラン(Bristol Run)」という、ブランドの友人を集めてバスケットボールをプレーするコミュニティーをロサンゼルスで試験的に開始した。ゲームにはミュージシャンやアーティスト、フォトグラファーといったスポーツを通じてつながった異業種の人々が参加する。マーケティングの意図はなく、ただ友人たちとバスケットボールで遊ぶだけのコミュニティーだ。「僕らはみんながただつながるためだけに来られる場所を作るのが好きなんだ。ランで会ったことをきっかけに実際にパートナーシップを発展させた人々を見てきた。友情の発展も。それはバスケと共にある人生が僕らにもたらしてくれるもので、僕らはランを通してそれをより大きな方法で踏襲しているだけ。巨大なショーではないんだ」とPR兼ソーシャルメディアのトップを務めるマーサイ・エフリアム(Maasai Ephriam)は語った。
バスケットボールがタダシにとって身近な存在だからこそ、それがブランドを本来の規模へ引き戻しバランスを整えることができるのだろう。「嘘はつかない。僕らが選んだ手段がビジネスにどのくらい影響するか僕は割と正確に分かっている。でも僕にとってこれはデザインを通した個人的な物語だし、ここまでうまくやってこれたことは十分幸福だ」とタダシは語った。
大根田杏(Anzu Oneda):1992年東京生まれ。横浜国立大学在学中にスウェーデンへ1年交換留学、その後「WWD ジャパン」でインターンを経験し、ファッション系PR会社に入社。編集&PRコミュニケーションとして日本企業の海外PR戦略立案や編集・制作、海外ブランドの日本進出サポート、メディア事業の立ち上げ・取材・執筆などを担当。現在はフリーランスでファッション・ビューティ・ライフスタイル関連の記事執筆や翻訳を行う。