転職はもちろん、本業を持ちながら第二のキャリアを築くパラレルキャリアや副業も一般化し始め、働き方も多様化している現在。だからこそ働き方に関する悩みや課題は、就職を控える学生のみならず、社会人になっても人それぞれに持っているはず。
そこでこの連載では、他業界から転身して活躍するファッション&ビューティ業界人にインタビュー。今に至るまでの道のりやエピソードの中に、これからの働き方へのヒントがある(?)かもしれません。
まずは当社の転職者からスタート。第一回目は、国内外のファッションニュースをいち早く届ける「WWD JAPAN.com」の編集長・村上要が登場。自他ともに認めるファッショニスタは、「服そのものよりも、ファッションを取り巻く社会が好き」と自身の興味を分析します。
記者という意味では同じですが、新聞社の事件記者からファッションの世界へ飛び込んだ村上編集長の仕事遍歴に耳を傾けました。
WWD:キャリアのスタートは、新聞記者だったのですね。
村上要WWD JAPAN.com編集長(以下、村上):仙台の大学を卒業後、地元の静岡新聞社に入社しました。「物書きになりたい」とは思っていたんですよね、漠然と。大学2年生の頃、新入生パンフレットを作ることになったんです。教授や先輩に話を聞く校内案内のほか、「夜遊びの達人に聞く!夜遊びスポット」みたいにふざけた企画も入れて。それをたまたま見たタウン誌の編集者が「うちで書いてみない?」と声を掛けてくれたのがきっかけで、1年半ほど連載を担当させてもらいました。
WWD:どのような内容だったのですか?
村上:東北出身ではないので、近所の地名さえよく知らなかったんです。だから、自分の足で歩いて、地域を紹介するページを作りたいと考えました。その回ごとに場所を決め、一日かけて歩いて、地域の人々に話を聞いて回りました。ハッキリ言ってお散歩ですね(笑)。取材文に写真や手描きのイラストを添えた2ページ構成の企画でした。取材すること自体も楽しかったし、実際に見てくれた人からの反応がうれしかったですね。その頃からファッションも好きだったので、「『メンズノンノ(MEN'S NON-NO)』(の編集部)とか、当然行きたいっしょ!」とは思ったものの、通っていた国立大の教育学部は当時、大学院に進むか、教員を含む公務員試験を受けるかの二択、というような世界。いわゆる“シューカツ”が根付いていない環境でした。気付いた頃には、出版社の新卒採用はほとんど終わっていたんです。仕方がないから(苦笑)、大きなくくりでは同じ「マスコミ」である新聞社の門を叩いてみることにしたんです。確か学部生の約80人中、一般企業に就職したのは3人だけだったと思います。
WWD:地元に戻り、新聞社に就職したのですね。
村上:事件記者として、事件や事故、災害、火事、裁判を取材していました。それが、想像以上につらかった。「暴力団が発砲事件を起こした。警察がガサ(家宅捜索)に入るから踏み込む瞬間の写真を撮ってこい」と言われ、訳も分からずカメラを持って現場に向かい、パシャパシャと撮るわけです。
すると、コワモテの組員たちに囲まれまして……。「今すぐ(写真を)消せ!」と。「おまわりさーん!」と必死に叫んで警察官に助けてもらいました。それが最初の記者仕事です。取材する相手は大半が警察官と検察官と裁判官。今と比べたら、比較的殺伐とした世界ですね(笑)。
事件記者ではあるけれど、相も変わらずファッションが好きだったので、社内ではだいぶ浮いていました。もちろん報道は必要なことではあるけれど、「自分は人の不幸でメシを食ってるんじゃないか」そんな悩みは日常で、最後の1年間は特につらかった。
会社では、「村上はいつまでたってもチャラいから、一度田舎の支局に赴任させて、世俗と離した方がいいのでは」。そんな話が上がっていたようです。「それは不幸せだな、お互い」。そう思い退職しました。25歳の時ですね。
事件記者からファッションの世界へ
WWD:心機一転、ファッションの道へ進むことになったのですね。
村上:服は大好きだけど、新聞記者だった自分がこのままファッションメディアの編集者になるのは難しいだろうと自覚していました。そこで、事件記者時代に少なからず意識していたジャーナリズムをファッションの世界で学び直すことができたら、それは自分の武器になるのかもしれない。そう思ったんです。そこでアメリカへ行き、ニューヨーク州立のF.I.T(ファッション工科大学/Fashion Institute Technology)※で、ジャーナリズムを含むファッション界のコミュニケーション論を学びました。
※パーソンズと並ぶ、NYの二大ファッションスクール。ビジネスマンのほかデザイナーのカルバン・クラインらを輩出
WWD:具体的にはどのようなことを学ぶのですか?
村上:雑誌はどう作るのか?ということから、ブランド側の立場から「伝えたいことはどう書けばメディアに取り上げてもらえるか?」というPR論まで、幅広く学ぶことができました。特定のターゲットに向けて、そこに刺さるためのクリエティブ手法を取るという、いわゆるマーケティング的な視点がファッションコミュニケーションの世界においても重要だと、実学を通してたたき込んでもらえたのは宝ですね。
卒業後は、ファッション誌で編集インターンとして働きました。3カ月経って編集者の下っ端に採用してもらえたのですが、そこはまさに「プラダを着た悪魔」の世界。「あんたなんて、本来必要ないの!」と毎日のようになじられるわ、温度をきっかり指定された編集長のラテを買いに1日2回スタバに行かされるわ……。結局、携わった雑誌は半年ほどで休刊になって、僕はクビになりました。
でも、運がよかった。今度は“ゲイ向けライフスタイルマガジン”「OUT」のファッションアシスタントとして働くことになりました。読者は男性カップルがメインで、多くの場合それぞれが稼いでいます。当然、可処分所得の多いファッションコンシャスな男性読者を多数抱えていますから、ファッション&ビューティブランドにとっては「超」がつくほどの優良雑誌です。ハイファッションから車、時計、フレグランス、そして保険の広告まで入り、正直ファッションコンテンツは「GQ」と大差ないんです。あるとき、編集者に聞いたことがありました。「じゃあ『GQ』とは何が違うんですか?」と。すると、「うーん、水着特集が年に3回あることかな」との答え。「OUT」は、春夏の立ち上がりである3月売り、夏前の5月売り、そして11月売りの号に大々的な水着特集を組むんです。11月売りは、ホリデー商戦対策なんですよね。高所得のゲイカップルは、感謝祭からクリスマスの時期にクルーザーとかで南の島へバカンスに出かけます。もう冬に差し掛かるという時期に、「水着100枚集めて!」と言われて……。片っ端からブランドへ電話をし、必死に集めたところで、「だめだよ、ビキニがないじゃないか!」「もっとカラフルなものはないの?」。そう言われました……。
WWD:その感覚は、思いつきませんでした。
村上:秋冬にそんな水着は借りられなくて、最後は僕だけマイアミのブティックを訪ね、面積少なめのカラフルな水着をかっさらいました。「水着というアイテムは同じでも、ターゲットに応じてコンテンツは変えていく」。それを実践で学ぶことができたわけです。いい経験ですね。4年弱のアメリカ生活を経て、日本に戻ってきました。
ファッションを取り巻く社会が好き
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WWD:帰国後INFASパブリケーションズへ入社されたのですよね。なぜ、「WWDジャパン」を選んだのでしょうか?
村上:アメリカ生まれの「WWD」は、現地ではファッション・バイブルとさえ呼ばれていて、F.I.Tでも「教材として毎日読め」と言われていました。やがてその日本版の「WWDジャパン」があることを知り、ファッションをニュースとして切り取るのは、新聞記者だった自分に向いているし、面白そうだと感じたんです。最初はタイアップコンテンツを制作する部署に配属され、それから1年ごとに部署や担当が変わっていきました。姉妹紙「WWDビューティ」の創刊に携わった時は、「コスメのことは分からない」と正直不安でした。そんなとき、当時の副編集長に言われたのは、「製品は詳しくなくていい。ビューティ業界のニュースを深掘りしてほしい」ということ。ブランドそれぞれに戦略が違うから、出てくるファンデーションも変わるんだ、と。そう気づいたら世界がぐっと広がって、製品を見るのも楽しくなったんです。いろいろな部署を経て今に至りますが、これまで「嫌だな」と思って仕事をしたことはほとんどないんです。もし、明日から「ネジ」の雑誌を作ることになったとしても、そこそこ楽しめそうな気さえするんですよね。「月刊 ネジ」とかいって、ものすごいオシャレな形のネジを特集したりね。
WWD:その後、「ファッションニュース(FASHION NEWS)」編集長などを経て、「WWD JAPAN.com」編集長として2年が経ちました。現在、「WWD JAPAN.com」では、より“顔の見える”コンテンツを増やしています。6月にスタートした「エディターズレター」や、村上編集長自ら行うエクササイズ連載※ などがそうですよね。
※「エディターズレター/FROM OUR INDUSTRY」は、業界の注目トピックスを村上編集長が解説する週3回配信のニュースレター。エクササイズ連載は、村上編集長がカラダを張って話題のエクササイズを体験、レビューするコンテンツ
村上:「WWD JAPAN.com」の役割は、ファッション&ビューティ業界の裾野を広げることだと思っています。ニュースサイトですから、もちろんスピードは大事。ただそれは、突き詰めれば突き詰めるほど「24時間働けますか?」という消耗戦になってしまう。「速さ」以外で他のニュースメディアに勝つには?と考えた時、事実を積み上げながらも、そこに記者のパーソナルな視点が見え隠れしたりエモーションが匂い立てば、と思うようになったんです。今はパーソナルなエモーションが、ニュースを差別化する唯一無二の武器なのかなと考えています。そのためにはまず、読者に「こんな人が書いている」と知ってもらうこと。そう思って、“やってみました”系の連載をこの1年の間にいくつかスタートさせたんです。
WWD:なるほど。手応えは感じていますか?
村上:そうですね。最近、「エディターズレター」の読者から「難しいと思っていたファッションのニュースを、立体的に理解できるように感じてきた」というメールをいただいたんです。うれしかったですね。エクササイズの連載に関しては「身体を鍛えることなら、この人に聞こう!」と認知され始めたのか、他の雑誌編集者から問い合わせをいただく機会も増えました。この連載がきっかけとなって、ファッションやビューティをエクササイズとつなぐことができたらうれしいですね。
これからの時代に大事なのは、コンテンツの集合体であるメディアという器をどうデザインするかです。記事自体のクオリティーや数だけでなく、生み出したコンテンツの届け方を模索していきたい。それこそが、デジタルマーケティングのスペシャリストとタッグを組んで進化している「WWD JAPAN.com」編集長としての僕の仕事だと思っています。
WWD:“畑”は変わっても変わらない、仕事をする上で大切にしているルールがあれば教えてください。
村上:この業界にいる僕らはマイノリティだということ。10万円のコートを買う、30万円以上の時計を買う。それって実は、世の中の人の数%にも満たないということを忘れてはならないと思います。特に、「しまむら」「ジーユー(GU)」から「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」「セリーヌ(CELINE)」まで扱う媒体で働く僕らがその感覚を忘れてしまうのは、ヤバいことだと思っています。
そのためにも、いろんな人たちとのコミュニティーを持った方がいい。僕は週に1〜2回、学童保育から保護者が帰宅するまでの時間を障がいのある子どもと一緒に過ごす、という取り組みを続けています。1週間のうちのわずかな時間だけれど、そうするとお母さんたちのリアルなコミュニティーを垣間見ることができる。「30万円の時計を見て『お手頃!』とか言っている自分たちって?」と客観的になれるんです。「サカイ(SACAI)」や「ステラ マッカートニー(STELLA McCARTNEY)」などがブランドとして存在感を増した頃、何人ものバイヤーが「あの人たちは母であり、妻であり、仕事人であり女性。複数の『顔』を持っているからこそ、魅力的なアイテムを生み出すことができるのよ」と語っていました。「じゃあ、僕も家族の一員としての『顔』を持ってみよう」と思ったことがきっかけです。いろいろな世界を見ると、偏った感覚を軌道修正できるんじゃないかな。仕事でファッションにどっぷり浸かっているからこそ、プライベートの時間はできるだけそれだけではないコミュニティーに身を置きたい、と思っています。
WWD:夜は着飾ってパーティに繰り出す!というお話が出ると思っていました。
村上:パーティ、すごく苦手なんです……。行ったら行ったで楽しいんですけれどね。真っ先に挨拶すべき方とお話して、引き続き会場にいるかのような余韻を残しながら素早く立ち去るのは、特技になりました。
WWD:村上編集長にとって“仕事”とは何でしょうか?
村上:名刺一枚で会いたい人と会い、取材させてもらうことできる。そしてそれを、文字と写真、そしてこれからは動画の力で広く届けることができる。この喜びは、大学生の頃に新入生向けパンフレットやタウン誌で記事を書かせてもらっていた時と変わらないんです。最新のものを知りたい、会いたい。この情熱があるから、僕にとって取材はやめられないものなんです。むしろ取材にエネルギーを費やし過ぎてしまって、マネージメントがおろそかになっているかも?と反省することは多々あります。
WWD:最後に、これからファッション業界や出版社を目指す人にメッセージをお願いします。
村上:ひと昔前に比べたら、ファッション単体の勢いは確かに弱いかもしれない。けれどファッションって、とても美しい形で人の欲望をかき立てる力を持っている。だからこそ今度は、異業種とタッグを組んで彼らの商品やサービスを魅力的にプロモートできる。そこに面白さを感じてほしいですね。「ファッション系の仕事のために、これをやっておいたらいい」と気にするよりも、何か問いを投げかけられた時に自分の意見を言える人であってもらいたいなと思いますね。一つのことを極めるでも広く浅く、でもいいんです。「じゃあどうして、あなたはそれをしているの?」と聞かれた時に、「こう思っているから、こうなんです」と、意見を言える人が“強い”と思っています。