【#モードって何?】きっかけは読者から編集部に届いた質問「つまるところ、モードって何ですか?」だった。この素朴な疑問に答えを出すべく、「WWD ジャパン」9月16日号では特集「モードって何?」を企画し、デザイナーやバイヤー、経営者、学者など約30人にこの質問を投げかけた。答えは予想以上に多岐にわたり、各人のファッションに対する姿勢や思い、さらには現代社会とファッションの関係をも浮き彫りにするものとなっている。本ウエブ連載ではその一部を紹介。トップバッターはファッションを俯瞰する研究者代表として、蘆田裕史・京都精華大学ポピュラーカルチャー学部ファッションコース准教授に登場いただく。
言葉の定義を考える
蘆田裕史・准教授(以下、蘆田):前提をお伺いしますが、今回あえて“モード”という言葉を取り上げたということは、「WWD ジャパン」としては“モード”=“ファッション”とは定義していないということですよね?
WWD:“モード”は“ファッション”に含まれるもので、“ファッション”の中でも「先進性がありギリギリのところ」という意味合いで使っています。
蘆田:1990年代頃を振り返ると、哲学者の鷲田清一さんにしても、京都服飾文化研究財団(KCI)にしても文章の中で“ファッション”と“モード”の両方を使っていてきちんと使い分けをしていません。僕も修士論文では2つの言葉を使い分けられず、一方に統一することしかできなかった。そこから、ずっと言葉の定義を考えています。漠然とした定義では世代間でイメージの共有ができないから、定義付けは重要だと思うんです。
WWD:では“ファッション”の定義とは?
蘆田: “ファッション”は、“服に関する文化の総体”という意味で使っています。 “ファッション”はもともと“作法”などを意味するフランス古語の“faceon”から来ていますから、本来は服だけではなくて、“身につけるもの”が“ファッション”の範疇であり、習慣や作法、言語も“ファッション”の一部ですが、便宜的に服のことを指すことが多いかなと。
近代から先に進めていない
WWD:では“モード”とは?
蘆田:“ファッション”が英語、“モード”はフランス語、と分けるだけでもいいのかもしれませんが、“モード”という言葉の特別な意味を考えるとすると、詩人のシャルル・ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire)がメルクマール(指標)になると思っています。ボードレールは19世紀後半に美術批評を始めたときに、“モデルニテ”(英語では“モダニティー”、現代性あるいは近代性と訳される)を批評の一つの指標としていました。
WWD:“モード”は“モダン”の意味合いを含むと。
蘆田:もともとヨーロッパでは古いものの方が価値があると考えられていたけれども、ボードレールは新しさにも価値があると言い出した。これは近代の特徴とも言える価値観です。この価値観からは進歩史観的な考え方と、過去を否定する自己否定的な考え方が生まれますが、これはまさにファッションビジネスのシステムそのものだと思うんです。ボードレール自身はそこまでは言っていませんが、 “モード”とは“新しさを求めるもの、または求める行為”と言えると思います。
WWD:ファッションの世界では新しさを求めることが当たり前だと思ってきました。
蘆田:もしかしたら、ファッションビジネスもいつか新しさを求めないものになるかもしれないですよね。例えばパン屋さんのように。パン屋さんは必ずしも新しいパンを出すことを求めていないし、お客さんもそこに価値を見出さないじゃないですか。もちろん目新しさや人目をひく面白さは大事かもしれないけれども、少なくともパン屋さんにとっては新しさより美味しさが重要です。ファッションも新しさ以外に価値を見出すことができるはずだと思います。
“ファッション”の特殊な点は、ファッションショーに如実に表れていると思います。例えば好きな映画は何回も見るけれども、ファッションショーを繰り返し見ることは少なく、基本的に一回限りのものですよね。ブランド側が演劇のように何回も公演をすることもない。だって2回目は新しくないから。今回の主題から逸れますが、ファッションビジネスは新しさを追い求めることから脱却しないと、近代から先に進めないと思います。新しさを追い求めることを完全に捨て去っていいのかわかりませんが、新しいものだけを良しとする価値観だけなのもなにか違うよな、と。
新しいシステムを提示していく
必要がある
WWD:ファッションビジネスそのものを見直すタイミングだと。
蘆田: 新しいシステムを提示していく必要があると思います。ファッションショーは19世紀後半にチャールズ・フレデリック・ワース(Charles Frederick Worth、オートクチュールの祖といわれている)が始めてから150年くらい続けているシステムです。当時の衣服の構造上、人が着て歩く必然性はありましたが、現在においてその必然性があるとは考えられません。あとは、年に数回、同じスケジュールで新作を発表し続けるのも古くさいシステムだと思います。少なくとも選択肢として他のやり方もあってもいい。
WWD:そういった意味では、蘆田さんが考える2019年現在のモードを体現しているクリエイターは誰ですか?
蘆田: 現在のファッションビジネスのサイクルをどう書き換えていくか、システムをどう作り変えていくかを考えられる人たちが新しいと考えると、「フーフー(FOUFOU)」や村田明子さんの「MAデザビエ(MA DESHABILLE)」「サギョウ(SAGYO)」が挙げられます。逆に“パリをヒエラルキーの頂点とするファッションシステムを上り詰めていく”みたいな、旧来の価値観にのっとったブランドからは新しさを感じない。そもそも僕は新しいことがいいことだという考えに100%賛同はできません。
今のファッションは
時代よりも遅れている
WWD:独自の価値観やサイクルで動くブランドが増えていくと消費者側も細分化されて、他者と共通の時間軸がなくなっていくと思う。
蘆田:それはそうだと思います。近代は大きな物語、例えば大企業に入れば一生安泰みたいなことを信じてみんな生きてきた。最近、“多様性”という言葉がよく使われます。各人が自分の物語、自分の信念、価値観を持って生きていく――それこそが現代的だと思います。一つの価値観で縛られるのは近代的だなと。
WWD:“モード”自体なくなるのではなく、小さな“モード”が同時多発する?
蘆田:他の分野ではすでに、個人がそれぞれ異なる時間を生きている。例えば動画コンテンツでは、昔はテレビひとつだったものが、ユーチューブ(YouTube)やフールー(Hulu)、ネットフリックス(NETFLIX)の登場によって、細分化されている。かたやファッションは、スタイルに関してはすでに一つのカリスマだけを追い求めなくなっているけれどもシステムは大きくはまだ一つ。その意味ではファッションは遅れていると思います。
WWD:モードが“時代と社会を映す鏡”とした場合、現在の“モード”は社会の何を映していると考えますか?
蘆田:時代を“映す”ということは時代よりも遅れているということ。全てがファスト、インスタントになった現代では、ほかの分野の方が時代の先を行っている。いまのファッションは時代の後を行く、遅れて時代を映す鏡になってしまったと言えます。
WWD:なるほど、最先端の話をしようと思っていたら、実はそうでもなかったというオチですね。
蘆田:やっぱり僕自身はファッションが好きなので、どうにかできたらなとは思います。
秋吉成紀(あきよしなるき):1994年生まれ。2018年1月から「WWDジャパン」でアルバイト中。