一辺倒なスタイルになりがちなこれからの季節、ストールを巻いたり垂らしたりするだけで見え方はガラリと変わる。しかし、「クールなストールはどこで買えるの?」という問いに即答できる人は多くないだろう。そんなストールを探している人にぜひともおすすめしたいのが、アメリカ発のストールブランド「モンマルトル ニューヨーク(MONTMARTRE NEW YORK)」だ。
「モンマルトル ニューヨーク」は2018年に本格始動したばかりとまだまだ若い。手掛けているのは、“あのストリートブランド”でメンズウエアのデザインやグラフィックを手掛けていた日本人デザイナーのヤギ・ユウキ(Yuki Yagi、25)と、アメリカ人でデジタル・プロデューサーのヘイリー・シャンポー(Hayley Champoux、28)のデュオ。彼らが生み出すジャカード織りのストールは、今までありそうでなかったインパクト大のストリートマインドあふれるグラフィックが特徴だが、実はそれだけではない。
というのもヤギ=デザイナーは、幼い頃に育ったニューヨークでの貧困問題や、10代の頃に見た紛争地帯でのリアルな惨状に強く影響を受けており、一つ一つのグラフィックにはそのときに感じた思いなど、社会問題に対する本気のメッセージも込められているのだ。
昨今、多くのブランドがサステナビリティを謳っているが、「環境保護の前にまずは世界平和だ」と考え直すきっかけも与えてくれる「モンマルトル ニューヨーク」。ヤギ=デザイナーのパーソナルな部分を掘り下げつつ、ブランドを立ち上げたきっかけから“寄付ブランド”だと話す理由についてまで語ってもらった。
WWD:幼い頃から日本や世界を飛び回っていたそうですね。
ヤギ:生まれは鳥取で、すぐに引っ越して5歳まで京都で過ごし、それから14歳までニューヨークに住んでいました。日本に戻ってきてからは、古着の買い付けのアルバイトでオランダやパキスタン、フランスなどいろいろなところを高校生ながら行き来し、文化服装学院、アメリカのパーソンズ美術大学、ベルギーのアントワープ王立美術アカデミーに通いました。
さまざまな土地でバイイングしていた頃の写真
さまざまな土地でバイイングしていた頃の写真
さまざまな土地でバイイングしていた頃の写真
WWD:高校生で海外へ古着の買い付けに行くのはすごい経験ですね。
ヤギ:高校時代はあまり学校に行っていなかったので、その当時お世話になっていた人づてで卸売の人から「高校に行かないんだったら、英語ができるんだし俺についてこい」って(笑)。古着のノウハウはそこで身につけましたね。
WWD:幼い頃から洋服が好きだったんですか?
ヤギ:小学5年生のときに「ア ベイシング エイプ(R)(A BATHING APE(R))」が流行っていたんですけど、Tシャツが70ドルくらいで高くて買えなかったんです。それで母親が代わりに「ステューシー(STUSSY)」に連れて行ってくれたら、同じくらいかっこいいTシャツが20~30ドルで売ってるのを見て一気に好きになりました。音楽的にはファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams)のN.E.R.Dや50セント(50 Cent)らラッパーが活躍していて、特にファレルは着ていたブランドなんて関係なしにかっこいいと思うくらいリスペクトしていましたね。「あれを着ればラッパーになれるんだ!」みたいな(笑)。ただ、別にデザイナーになりたいとは全く考えてなかったです。
WWD:古着の買い付けから文化服装学院への入学を決めたきっかけは?
ヤギ:買い付けと同時に飲食店でもアルバイトをしていたんですけど、系列店がパリにもあり、18歳のときにオーナーの計らいでパリに行かせてもらったんです。現地でソシアルクラブ(Social Club、現在は閉店したクラブ)の人と仲良くなったら、その人が日本の名のあるデザイナーの方々と知り合いで。デザイナーの皆さんが口をそろえて「洋服を勉強するなら文化服装学院に行った方がいい」と言っていたので、入学を決めました。
WWD:服飾業界やデザイナーを志していない中でなぜ洋服の勉強を?
ヤギ:大学受験もせず将来に悩んでる時期で、とりあえず学校に入ればなんとかなるだろう、という考えで文化服装学院に入ったんです(笑)。ただ入学前の時期からなんとなく、「いつか自分のブランドを持ちたい」みたいな気持ちがオブラート越しにはありました。アルバイト先の飲食店がカウンターのお店だったので、目の前で提供したご飯を食べて幸せな表情になるお客さんの顔を間近で見られたんですよ。この経験から“自分が作ったもので人を幸せにしたい”という考えが芽生え、ブランドを立ち上げるまでに至りました。
アントワープ王立芸術アカデミーファッション学科長でデザイナーのウォルター・ヴァン・ベイレンドンクのショー
手伝っていた卒業生のコレクションの舞台裏
WWD:文化服装学院からパーソンズ美術大学とアントワープ王立美術アカデミーに進学した理由は?
ヤギ:ビザの関係でアメリカに戻る必要があって文化服装学院を中退し、まだ勉強不足だったのでパーソンズ美術大学に通ったんですが、3年への進級試験に失敗したんです。それからアメリカ中の大学の編入試験を受けたんですけど落ちて、最後に生活費も物価も安いという理由でアントワープ王立美術アカデミーにダメ元で挑戦したら合格したんです(笑)。もし落ちていたら日本に帰ろうと思っていたので、人生のターニングポイントですね。
ただ、アントワープ王立美術アカデミーも1年くらいしか通っていません。というのも、在学中にいつか働いてみたいと思っていたニューヨークのストリートブランドから連絡が来て、「学校で自己満足の変な洋服を作っていてもコマーシャルにつながらないぞ」と言われたんです。考えてみたらファッション業界で働く全員がちゃんと学校を卒業しているわけでもないし、いつまでも学校で洋服を作る学生でいるよりも、社会に出て自分で稼いだお金で次のステップに進む経験を積んだ方がためになると思い、ニューヨークに戻りました。
WWD:なぜニューヨークのブランドからベルギーで学生だったヤギさんに声が掛かったんでしょうか?
ヤギ:20歳の誕生日をニューヨークのチャイナタウンにあるおかゆ屋さんで祝ってもらっていたんですが、トイレに行ったらそのブランドのデザイナーが入ってきたんです。ファンだったから声を掛けたら仲良くなり、連絡もとるようになってから1年後くらいに「デザインできる人を探している」とオファーをいただきました。彼がいなければ今の僕はいないーーそれくらい重要な存在です。
WWD:よくトイレの一瞬で仲良くなれましたね(笑)。
ヤギ:普通、用を足してる赤の他人に声なんて掛けないじゃないですか(笑)。
某ブランドでアシスタントをしていた頃によく通っていたというニューヨークにある工場
WWD:そのブランドでは具体的に何をしていたんですか?
ヤギ:数カ月ほどしか働いていないんですが、メンズウエアのデザインからグラフィック、生産まで全てやっていました。やっていたというよりも叩き込まれた感じで、すごく勉強になりましたね。「お前は無能だ」「いつでも帰っていいぞ」とかよく言われてましたけど(笑)。そのうちに他のブランドからオファーをいただいたのでそこに半年ほど在籍し、辞めた後はフリーランスでストリートを中心にメンズブランドを渡り歩きました。
WWD:学校を辞めた理由に社会経験を挙げていましたが。
ヤギ:チームでの動き方という面では非常に勉強になりましたね。やはり学校は個人プレーなので、デザインも自分がかっこいいと思うものを作ればいいというエゴの塊になってしまう。でも会社というのはチームで動くもので、ブランドもチームがあってのもの。一人じゃ絶対に何もできないし、責任感も違う。ブランドにはいろいろな人が関わっていることをあらためて知るいい機会でした。
ルックの一部は「ラフ・シモンズ」のエディトリアル・フォトグラファーとしても活躍するキアン・ムーアが撮影している
ルックの一部は「ラフ・シモンズ」のエディトリアル・フォトグラファーとしても活躍するキアン・ムーアが撮影している
ルックの一部は「ラフ・シモンズ」のエディトリアル・フォトグラファーとしても活躍するキアン・ムーアが撮影している
ルックの一部は「ラフ・シモンズ」のエディトリアル・フォトグラファーとしても活躍するキアン・ムーアが撮影している
ルックの一部は「ラフ・シモンズ」のエディトリアル・フォトグラファーとしても活躍するキアン・ムーアが撮影している
ルックの一部は「ラフ・シモンズ」のエディトリアル・フォトグラファーとしても活躍するキアン・ムーアが撮影している
ルックの一部は「ラフ・シモンズ」のエディトリアル・フォトグラファーとしても活躍するキアン・ムーアが撮影している
ルックの一部は「ラフ・シモンズ」のエディトリアル・フォトグラファーとしても活躍するキアン・ムーアが撮影している
WWD:ストールブランドとして「モンマルトル ニューヨーク」を立ち上げた経緯は?
ヤギ:パーソンズ美術大学でコレクションを作っているときにグラフィックをジャカードで織ったストールを作ったんですけど、友人の間で受けが良かったんです。その後アントワープ王立美術アカデミーで出会った友達の親がドイツでストール工場を経営しているのもあって、自分用に再度作ったらまた好評で。当時はグラフィックを織り込んだジャカードのストールなんてめったに見なくて、あってもカモ柄やシンプルな柄。でもどうせ自分で使うならかっこいいものがいいから、好きなグラフィックを作ってジャカード織りにしてみたのが原点です。これが2016年の話で、その頃は趣味の延長線上みたいな位置付けで作ってたんですけど、後に相方となるヘイリーが「売ったら?」と提案してくれたんです。でもECのやり方なんて分からないので、フリーマーケットとかで手売りしてました(笑)。ECを設立したのは17年の11月ですが、それでも僕と相方は「モンマルトル ニューヨーク」をビジネスとして見ていなかったので商品もあまり載せず、「売れたらいいね」くらいの感覚。売れたら自分で郵便局に行って発送していました。
WWD:ブランドとして本格化させようと思った転機は?
ヤギ:アメリカの「ハイプビースト(HYPEBEAST)」に掲載されてからですね。平日の仕事があるので、無理しないで自分のペースでちょっとずつやっていこうと思っていたら、突然「ルックを載せていい?」ってDMが来たんです。ちょうど2018年のサッカーW杯の時期だったんですが、フットボールモチーフのアイテムを出していたのが彼らのアンテナに引っかかったようで。ルックを撮影したのが、エイサップ・ロッキー(A$AP Rocky)も撮るようなSNSでフォロワーを持っているキアン・ムーア(Cian Moore)だったのも大きいと思います。掲載されてからは反響が大きくてオーダーも増え、「郵便局レベルじゃないな」って(笑)。
WWD:ブランド名の由来は?
ヤギ:飲食店でのアルバイト時代にパリで働いてたお店がモンマルトルという地域にあったんですけど、いつも夜中の2~3時に仕事が終わり、それから一人でよくモンマルトルにある丘に登って「いつかやったるぞ!」ってパリの街を眺めてたんです。それがパリで過ごした僕の大事な青春時代で、ニューヨークで育ったことをプラスしてブランド名にしました。
「ささやかかもしれないが平和をもたらしたい」を意味する“A Little Bit of Peace”が織り込まれたロングストール。価格は1万8000円で、売上の一部をパキスタンの恵まれない子供たちや、ミャンマーのロヒンギャ難民へ寄付している
WWD:ブランドにかける思いを教えてください。
ヤギ:もともとは自分のためのストールでしたが、今は勉強をしたくてもできない人など世の中の恵まれない人たちに幸せを与えることで、少しでも希望を持ってほしいという気持ちでやっています。“自分が本当に作りたいものを作って人を笑顔にすること”をベースに、なるべく世の中にないものを作ってお金にして寄付するーー“寄付ブランド”って言ったらおかしいですけど、平日の仕事でしっかり給料はもらっているので、利益は仲間との飲み代と次のコレクションの生産や開発以外、すべて寄付金に当てているんです。
世の中はおかしいんですよ。ニュースでナイジェリアに赤ちゃん工場があったと報道されたり、古着の買い付けで行ったパキスタンでは人が道端で亡くなっていたりする中で、日本やアメリカは女の子が一人で夜道を歩けるほど平和で恵まれている。こんなに自分が恵まれているなら、今まで自分が見てきたものを見たくても見られない子どもたちに、同じようにその機会を提供してあげたいんです。
ルックで長らくモデルを務めてくれているという友人のソロモン
あとは、通ってた学校の友達の多くがいま世界的なデザイナーズブランドで働いていて、そこで製品化されなかったグラフィックを使ったり、ルックブックの撮影もモデルも友達だったりするので、“お金をかけてすごいことをやる”よりも“最低限のコストで一番おもしろいことをどう生み出すか”を心掛けています。
WWD:ファーストコレクションにテーマはありますか?
ヤギ:コレクションテーマは設けていなくて、一つ一つのストールにメッセージを込めています。例えばあるストールには自殺防止センターの番号が載っていて、売り上げの何割かはそこに寄付します。このようにメッセージ性を持たせつつ、僕が本当にかっこいいと思ったものをテーマにこれからも作って行く予定です。あとは、ストールブランドなので春夏と秋冬のように決まった時期に発表するシーズン性もありません。展示会シーズンを考慮しつつ、作りたいときに作って、見せたいときに見せていきたいですね。
展示会のために製作したというTシャツ(7200円)
展示会のために製作したというTシャツ(7200円)
WWD:展示会にはTシャツやフーディーなどが並んでいましたが、定番化する予定は?
ヤギ:「ストールだけじゃ難しいかもしれない」とアドバイスをいただき、「現実的にそうだな」と考えて展示会の1カ月前にギリギリでデザインしたんですけど、めちゃくちゃ反応がよかったので作ってもいいんじゃないかと思い始めています。でも「ストールの方が時間をかけてるのに……」って(笑)。
WWD:カテゴリー的にはストリートブランドの位置付けになるかと思いますが。
ヤギ:単純に僕がいいと思ったものを作って着ているからそう感じるんだと思います。僕からしたら1970年代のロンドンのパンクシーンを見てもストリートだし、タフな生活をしてでもよい見せ方をするコンゴのサプールの生き方もストリートだし、シカゴのギャングもストリートだし、“ストリート”にはいろいろな意味があるけど定義がないですよね。それぞれの生き方を衣類に表した結果がストリートなんじゃないでしょうか。消費者からしたらシーズンテーマとかインスピレーションとかどうでもよくて、モノがよければ買うんです。僕はそれを信じて生きてきたから、それが「モンマルトル ニューヨーク」にも自然と表れているんだと思います。
WWD:今後、日本を主戦場にやっていくつもりですか?
ヤギ:グレイト(GR8)やスーパーエーマーケット(SUPER A MARKET)、エディション(EDITION)、ベスト パッキング ストア(Best Packing Store)などで取り扱ってもらうことが決まったので、しばらくはそのつもりです。国外からいい話が来れば別問題ですが、ゆっくり継続的にブランドを続けたいので、焦って海外でセールスするつもりは今のところ考えていないです。
WWD:すでにコラボの話があるようですね。
ヤギ:いくつか進んでいて、ヌー(nous、閉店したパリのコレット出身のセバスチャン・シャペルが立ち上げたセレクトショップ)からも話をいただきました。これからもおもしろいコラボがあります、楽しみにしていてください!