「ビームス ジャパン(BEAMS JAPAN)」は新宿に続く2号店を東急プラザ渋谷2階にオープンした。ビームスならではのブランド力を武器に、渋谷をはじめとする日本各地の企業や自治体、国内ブランドなどとコラボレーションし、ここでしか買えない多くの‟お土産”をそろえる。12月5日の開業日には、長谷部健・渋谷区長がビームス ジャパン 渋谷を訪れ、ビームスの設楽洋社長が迎えた。2人が思う渋谷の街とは?
WWD:渋谷駅周辺の再開発が進む中で、東急プラザ渋谷はどういう存在であり、商圏にどういった影響を与えると捉えているか?
長谷部健・渋谷区長(以下、長谷部):渋谷は“若者の街”というイメージがある中で、だいぶ大人に振ってくれた。リーシングに関して僕が言うべきではないが、お店もそうだし、建物の中の内装もとても意識している。もっと多様な人たちにこの街を好きになって楽しんでもらいたいというのが渋谷区の目指すところ。そこに対する大きな布石を打ってくれた。この先の桜丘エリアの開発への端緒にもなるし、代官山・恵比寿につながる入り口として、大人を意識してくれたのはありがたい。
WWD:「ビームス ジャパン」を渋谷に出店する理由は?
設楽洋ビームス社長(以下、設楽):ビームスは渋谷区とのパートナー企業でもあり、43年前に原宿、渋谷で産声を上げた会社でもある。渋谷には最先端のIT企業が集まったり、LGBTへの取り組みが進んでいたりと、さまざまな日本の将来の形が凝縮されている街。ストリートカルチャーやユースカルチャーなど、いろんな文化のごった煮の街でもある。そんな街で「ビームス ジャパン」がどう受け入れられるのか、試してみたいと思った。
WWD:長谷部区長は「ビームス ジャパン渋谷」にどのような期待を抱いているか?
長谷部:この街にはこれだけ観光客がいるのに“お土産”がない。かねてからお土産を見つけられればいい商売になるなとは思っていたが、それもなかなか難しい。「ビームス ジャパン」は渋谷を舞台にお土産という視点で商品を集めているので、この街の新しいお土産が生まれる場所になるのではないか。
WWD:ビームスとして、旗艦店である「ビームス ジャパン新宿」の世界観をSC内でどう発揮する?
設楽:渋谷を皮切りに、来年京都にも同様の“小さな衛星”を出店する。「ビームス ジャパン 新宿」を旗艦店として、われわれはそれを“離れ”と呼んでいるが、それぞれの都市を特徴づけるモノをそれぞれが発信する。新宿においては期間限定で各地方を取り上げてきたが、離れではその地元とのコラボレーションを中心に伝えていく。
WWD:渋谷区で生まれ育った長谷部区長にとってのビームスとは?
長谷部:ビームスは創業43年、私はもうすぐ48歳。ほとんど物心ついたときからそばにビームスがあった。自分で洋服を買いに行くようになった小学生高学年ぐらいから通っていた。今日も全身ビームスだし、街の成長を40年間同じ目線で見ていると思う。世代的にも常に影響を受けて育んでもらった。
WWD:長谷部区長は以前の弊紙の取材で「カルチャーはストリートから生まれる」と話していた。渋谷に関してはどうか?
長谷部:今特に渋谷では大きいビルができ、ビルの上の方で新しいカルチャーが生まれてきている。それはそれで非常に素晴らしいことだが、この街の強みはストリートのカルチャー。そこでさまざまな人たちが出会い、認め合い、交じり合いながら新しい文化や価値が生まれてきたので、両方大切にしていかなければならない。ユニークなことも許される街なので、例えば「アロープロジェクト」という、非難所に向けたアートの矢印を街中に増やすというプロジェクトもある。そういった行政ではできないプロジェクトを仲間がたくさんいるビームスのような企業と一緒にできればいいと思っている。
WWD:設楽社長は、渋谷区周辺の再開発にどのような印象を持っているか?
設楽:2027年の完成が楽しみだ。ただ開発するだけじゃなく、この街のストリートの文化、そして神社や公園、自然などと、一方ではITの進化など、そういった両面を大切にしていきたい。上から降りてくる文化と街から上がってくる文化、それらによってまた新しい価値が生まれる。ダイバーシティのまぜこぜ文化が花開く街になればいい。
WWD:改めて、今後の渋谷像とは?
長谷部:区としては「違いを力に変える街」を目標にしており、ダイバーシティー、インクルーシブを意識している。これからもさまざま人がお互いを認め合い、交じり合っていけばいい。そうすれば見える形は変わっていきながらも、しっかりとその意思が受け継がれていくような街づくりができる。ロンドン、パリ、ニューヨーク、渋谷区という大風呂敷を広げているが、自然とそういう街になるのではないか。