これは小説なのか、それとも刺しゅうを教えてくれる本なのか。「刺繍小説」という言葉の羅列を見るだけでは判然としないだろう。「想像する楽しさを伝えたいんです」と話す、著者で美術家の神尾茉利さんが仕掛ける“遊び”は本を開く前の表紙から始まっている。
「『刺繍小説』という一つのジャンルをつくりたくて」とタイトルに込めた思いを打ち明ける神尾さんに、本書が完成するまでの背景について話を聞いた。
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序章から終章まで駆け抜けるように進む物語は、現実と想像の世界を行ったり来たりする。「刺繍小説とは、刺繍描写のある小説のこと」と冒頭に記されている通り、神尾さんが読み親しんだ小説の中にある刺しゅうのシーンを抜粋し、実際に図案化して制作し、その写真とともに制作中に感じた思いをテキストとして添えるという、ブックガイドとしても楽しめる内容だ。「あのシーン」と題した第2章では、刺しゅう描写はないものの、その物語の余白に神尾さんが「あったかもしれない」と想像して刺しゅうを施したブラウスやワンピースなど9つの作品を紹介する。どのようにして構成を決めていったのだろうか。
「一般的な手芸本とは違い、刺しゅうをしない人が読んでも楽しめるような本にしたいと思っていて、刺しゅうと何かを掛け合わせた内容にできないかというところから始まりました。編集者さんとそんな話をしているときに、刺しゅうが登場する小説はないだろうかとふと思ったんです」。
料理や編み物のシーンが描かれるものは浮かんだものの、刺しゅうが登場する小説の記憶はなかったという。しかし探し始めると次々と見つかり、その小説内の描写から想像して刺しゅうを施したものが第1章で紹介されている。制作を続けるうちに先述した第2章「あのシーン」のアイデアが浮かび、まずは作品を全て仕上げた。その後、本書のアートディレクションを手掛けた柿木原政広さんに「作品はできているのですが、どのようにして本にしていくべきか分からないので協力してもらえませんか?」と相談した。
「手芸本によくあるような事例の反対のことをしていきたいという思いがありました」と神尾さんが話す通り、刺しゅうの図案ページにも神尾さんらしさが光る。いわゆる実用本だと、まず刺しゅうの方法を分かりやすく説明していく。しかし本書は、まるでそばにいて優しく教えてくれる友人のような語り口だ。「刺繍糸売場へ足を運んでみてはいかがでしょう」と誘いかけてくれ、「ザクザク刺すだけで意外と様になるのは、刺繍する人の『表現』が真っ直ぐに表れるからかもしれません」と背中を押してくれる。そして、かける音楽やつまめる甘いものもあるとベターだと、刺しゅう環境を整えることの提案まである。イラストのみで説明としては不十分なものもあるが、それは作り手が自由に楽しめるようにという配慮なのだと思う。
「柿木原さんともう一人、デザイナーとして渡部沙織さんも加わり、みんなで会話を何度も重ねながら作品がどんどん本として形になっていきました」。
写真は柿木原さんの紹介で、神尾さんと同世代でもあるナオミサーカスさんが担当。ナオミさんは全ての小説を読んでから撮影に臨み、撮影場所やアングル、雰囲気などを自ら提案してくれたという。「全員がいなければこの形にはなりませんでした。約3年をかけて一つのチームで本を制作していった感じです」。
今までとは違う本の作り方だったからこそ、デザイナーの熱意をより強く感じられたのだという。「最初はできないだろうと思っていた、全体として一貫した流れをもった構成にできることに途中で気づき、それには細かな文章が必要だと思ったんです」と振り返り、刺繍小説に出合ったときのことをつづり、足していった。その出合いの衝動が短い文章に見事に収まっている。一冊の本を読んで感じることは、読む人の数だけあるだろう。「きっとみんな、聞いてみたら自分なりの変わった本の読み方をしていると思うんですよね。私が“刺繍”を意識していなかったら読み流していたのと同じだと思います。そんな風に読み方を提案する本でもあるのかなと」。
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本を読む楽しさとは、想像の世界を広げることだと神尾さんは教えてくれる。「想像するときは、誰にも何も言われない自分だけの世界。それってすごいことだと思うんです。私は今回『刺繍小説』を提案しましたが、別の『○○小説』が生まれていったらいいなと思っています。自分なりの読み方をみんなでシェアするようなイベントもやってみたいですね」と話す神尾さんの想像は、こうしてどんどんその先に広がっていく。それは本があるからこそ、広がっていく世界なのだと思う。
高山かおり(たかやま・かおり):独断と偏見で選ぶ国内外のマニアックな雑誌に特化したオンラインストア、「マガジンイズントデッド(Magazine isn’t dead. )」主宰。ライター、編集者としても活動している。北海道生まれ。北海道ドレスメーカー学院卒業後、セレクトショップの「アクアガール(AQUAGIRL)」で販売員として勤務。在職中にルミネストシルバー賞を受賞。その後4歳からの雑誌好きが高じて都内の書店へ転職し、6年間雑誌担当を務める。18年3月に退社、現在に至る