GIVENCHY(ジバンシィ)

■GIVENCHY(ジバンシィ)のはじまり

1952年、24歳のユベール・ド・ジバンシィ(Hubert de Givenchy)が設立したシグニチャーのオートクチュールブランド。ドレスやセットアップなどが主流だったクチュールで、コットン素材を使ったブラウスとスカートのセパレーツを提案した初コレクションが高く評価された。その後も都会で働く女性のための日常着として型にハマらないクチュールを提案。54年、クチュールメゾンとして初めてプレタポルテを開始。その後もメンズやビューティと多角的に事業を拡大。88年のLVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON以下、LVMH)参入、95年のユーベル引退後も、著名デザイナーが継承し世界的ブランドとして成長を続ける。

■GIVENCHY(ジバンシィ)の歴史

1952年、「スキャパレリ(SCHIAPARELLI)」のデザイナー、エルザ・スキャパレリのアシスタントをしていた24歳のユベール・ド・ジバンシィが自身のブランドを設立。デビューコレクションで成功を収め、53年に仏「エル(ELLE)」と「ライフ(LIFE)」で初めて表紙を飾る。54年、「ジバンシィ・ユニヴェルシテ(GIVENCHY UNIVERSITE)」と題した初のプレタポルテ・コレクションを発表。57年、パルファム ジバンシイ(PARFUMS GIVENCHY)を設立。58年に自身初の香水「ランテルディ(L’INTERDIT)」を発売し、オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)をキャンペーンに起用。69年、メンズの「ジェントルマン・ジバンシィ(GENTLEMAN GIVENCHY)」を発表。
70年代、クチュリエとして名を広めていた「バレンシアガ(BALENCIAGA)」のクリストバル・バレンシアガ(Cristobal Balenciaga)の指導を受け、ライセンスビジネスをスタート。シューズやジュエリー、紳士用ネクタイ、家具などに事業を拡大し、76年にはフォード(Ford)社から車を発売。82年、創立30周年を祝い、ニューヨーク州立ファッション工科大学(F.I.T.)の企画で回顧展を開催する。88年、ユーベルは「ラグジュアリーグループの夜明け」を感じ、LVMH への参入を決意する。売却額は4500万ドル(当時)。91年、40周年を記念し、パリ・ガリエラ美術館で回顧展を開催。
95年、ユーベルが引退。その後、ジョン・ガリアーノ(John Galliano、96年1月〜)、アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen、96年10月〜)、ジュリアン・マクドナルド(Julien Macdonald、2001年3月〜)がデザイナーとして継承した。03年12月には、イギリス人テーラーのオズワルド・ボーテング(Ozwald Boateng)がメンズ「ジバンシィ・オム(GIVENCHY HOMME)」のクリエイティブ・ディレクターに就く(〜06年後半)。
05年3月、29歳だったイタリア人デザイナー、リカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)がウィメンズのオートクチュールとプレタポルテ、アクセサリーのコレクションを手掛けるクリエイティブ・ディレクターに就き(05-06年秋冬クチュール〜17年春夏クチュール)、08年2月には、メンズのプレタポルテとアクセサリーの全てのカテゴリーを含む、クリエイティブ・ディレクターとして率いる(ウィメンズは05-06年秋冬クチュール〜17年春夏クチュール、メンズは09年春夏〜17-18年秋冬)。14年、表参道に旗艦店をオープン(22年11月閉店)。
17年3月、メゾンを率いる初の女性デザイナーとして、クレア・ワイト・ケラー(Clare Waight Keller)がウィメンズおよびメンズのプレタポルテ、アクセサリーコレクション、そしてオークチュールのアーティスティック・ディレクターに就任(18年春夏〜20-21年秋冬)。19年11月、渋谷スクランブルスクエアにコンセプトショップをオープン。20年6月、カリフォルニア出身で自身のブランド「1017 アリクス 9SM(1017 ALYX 9SM)」を手掛けるマシュー・M・ウィリアムズ(Matthew M. Williams)がクリエイティブ・ディレクターに就く(21年春夏〜)。21年、日本人初のアンバサダーとして歌手で俳優の片寄涼太を起用(23年〜菜々緒)。23年8月、ギンザ シックス(GINZA SIX)に日本最大級の店舗をオープン。

■GIVENCHY(ジバンシィ)に深いつながりを持つセレブリティー

オードリー・ヘプバーン

メゾンデビュー後の1953年、映画「ローマの休日」でアカデミー主演女優賞を獲得した女優のオードリー・ヘプバーンと出会う。その後、「麗しのサブリナ」や「パリの恋人」など数多くの作品で衣装を手掛けたが、「ティファニーで朝食を」のリトルブラックドレスは名シーンを象徴する衣装として知られる。また、58年に発売した初めての香水「ランテルディ(L’INTERDIT)」では、インスピレーション源となったヘプバーンをキャンペーンに起用し一躍ヒット。フランス語で“禁止”を意味する「ランテルディ」は、その香りを気に入ったヘプバーンが「私以外は使ってはだめ」と言ったというエピソードから名付けられた。

■GIVENCHY(ジバンシィ)の主な歴代デザイナー

ユベール・ド・ジバンシィ

1927年、フランス北部のボーヴェにある旧貴族の家に生まれる。幼くして父を亡くし、17歳の時にクチュリエを目指しパリに移住。ジャック・ファット(Jacques Fath)やロベール・ピゲ(Robert Piguet)ら著名デザイナーのアシスタントとして働き、50年にはエルザ・スキャパレリの初のアシスタントになる。その後すぐに手腕が認められ、パリのヴァンドーム旗艦店のクリエイティブ・ディレクターに就く。52年、24歳で自身の名を冠したクチュールメゾンを設立。53年、オードリー・ヘプバーンと出会い、出演作の衣装を手掛ける。54年、プレタポルテをスタート。2018年3月、91歳で逝去。

リカルド・ティッシ

1974年、南イタリアの8人姉妹の家庭に生まれる。ヘアサロンで働いていた姉が持ち帰るファッション誌に夢中になり、「アズディン アライア(AZZEDINE ALAIA)」や「ジャンポール・ゴルチエ(JEAN PAUL GAULTIER)」などのルックを切り取ってスクラップブックを作っていた。アートスクール卒業後、テキスタイル工場でデザイナーになる。91年の17歳の時にファッションを勉強するため渡英し、99年にロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ校(Central Saint Martins)を卒業後は、約5年間「アントニオ・ベラルディ(ANTONIO BERARDI)」や「プーマ(PUMA)」などで勤務。2004年9月、ミラノで自身の名でコレクションを発表。05年3月、「ジバンシィ」ウィメンズのクリエイティブ・ディレクターに就任し、08年2月には同メンズのクリエイティブ・ディレクターに就き、全カテゴリーを統括する(ウィメンズは05-06年秋冬クチュール〜17年春夏クチュール、メンズは09年春夏〜17-18年秋冬)。18年3月、「バーバリー(BURBERRY)」のチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任(19年春夏〜23年春夏)。

クレア・ワイト・ケラー

1970年8月19日、英国バーミンガム生まれ。レイブンズボーン・カレッジ・オブ・アート(Ravensbourne College Of Art)で学士号、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(Royal College Of Art)でニットウエア修士号を取得。卒業後、ニューヨークの「カルバン・クライン(CALVIN KLEIN)」ウィメンズのデザイナーとしてキャリアをスタート。その後メンズの「ラルフ ローレン パープル レーベル(RALPH LAUREN PURPLE LABEL)」に従事。2000年、トム・フォード(Tom Ford)が率いる「グッチ(GUCCI)」ウィメンズのプレタポルテおよびアクセサリーコレクションのシニアデザイナーに就任し、04年まで在籍。05年に「プリングル オブ スコットランド(PRINGLE OF SCOTLAND)」のクリエイティブ・ディレクターに就任。07年にはスコティッシュ・ファッション・アワード(Scottish Fashion Award)のカシミアカテゴリーで「デザイナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。 11年、パリに拠点を移し、「クロエ(CHLOE)」のクリエイティブ・ディレクターに就任。17年、メゾンを率いる初の女性デザイナーとして、「ジバンシィ」のオートクチュール、ウィメンズとメンズのプレタポルテ、アクセサリーコレクションのアーティスティック・ディレクターに就任(18年春夏〜20-21年秋冬)。18年にはメーガン・マークル(Meghan Markle)=サセックス公爵夫人(メーガン妃、当時)のウエディングドレスと手刺しゅうのベールをデザインし、大きな話題を集めた。

マシュー・M・ウィリアムズ

シカゴ生まれ、カリフォルニア州ピズモビーチ育ち。独学でファッションデザインを学ぶ中、アートや音楽、写真など幅広く精通する。「アレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER McQUEEN)」で経験を積む中、ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)やヘロン・プレストン(Heron Preston)らとアート集団ビーントリル(BEEN TRILL)を結成。レディー・ガガ(Lady Gaga)やカニエ・ウェスト(Kayne West、現在はyeに改名)のクリエイティブ・ディレクターなども務めた。2015-16年秋冬から、自身の娘の名前を冠したウィメンズブランド「アリクス」(18年、『1017 アリクス 9SM』に変更)を設立。16年「LVMH ヤング ファッション デザイナープライズ」のファイナリストに選ばれる。17-18年秋冬からはメンズも始動。“アグレッシブ・エレガンス”をテーマとした工学的なデザインのバックルベルトやポーチといったアイテムから人気に火が付き、ストリートウエアの寵児として瞬く間に脚光を浴びるようになった。18年には「ディオール(DIOR)」のキム・ジョーンズ(Kim Jones)=メンズ アーティスティック・ディレクターに依頼され、バックルやクリップなどハードウエアのデザインを手掛けている。18年7月には「ナイキ(NIKE)」と、20年には「モンクレール ジーニアス(MONCLER GENIUS)」などと協業。20年6月、「ジバンシィ」のクリエイティブ・ディレクターに就任(21年春夏〜)。

■GIVENCHY(ジバンシィ)の成長の要となった代表アイテム

“ナイチンゲール(Nightingale)”

2006年春夏〜。人道支援のパイオニアとして知られ、“ジバンシィ ウーマン”を体現するイギリス人のフローレンス・ナイチンゲールからインスピレーションを得たバッグ。都会的でユニセックスなデザインとしなやかで丸みのあるシルエットが特徴的。

“パンドラ(Pandora)”

2009-10年秋冬〜。ギリシャの神々、特にゼウスによって創造されたギリシャ神話のパンドラからのインスピレーション。シングルのトップハンドルとオーバーサイズのジッパーが目を引くユニークなデザイン。23-24年秋冬メンズでモダンにアップデートしメンズバッグとして再登場。

“アンティゴナ(Antigona)”

2010-11年秋冬〜。ギリシャ神話に登場する王女、アンティゴネを着想源に、美しくも戦う女性をイメージしている。特徴とするシャープなボックスシルエットは、メゾンのアイコンバッグとして世代問わず人気を集める。

■公式サイト

https://www.givenchy.com/

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