流行通信

クリエイティブの力で多角的に広がる、
「虎へび珈琲」というコンセプトブランドのかたち

渋谷パルコで開催された流行通信1号限定復刊記念イベントの際に、一夜限定の“虎へびファッションラテ”を提供した「虎へび珈琲」。その仕掛け人である田中了に、クリエイティブ・ディレクションの哲学を訊いた。

  • 田中さんはファッションデザイナー、フォトグラファー、クリエイティブ・ディレクターなど幅広く活動されていますが、どういった経緯で「虎へび珈琲」のディレクションを手がけることになったのでしょうか?

    田中了(以下、田中):僕は海外に住んでいたんですが、ちょうどキューバに居た時に、実家から父親が病気だからすぐに帰ってこいっていう連絡が入ったんです。それで地元の空港まで帰ってきた時に、車で迎えにきたのが、現在では「虎へび珈琲」の焙煎士を務めている今井惇人なんです。彼は元々科学者としてマラリアなどのウイルス研究をはじめ、薬剤や化学薬品などの研究・開発をしていたんですが、その車の中で、焙煎士になりたいという話を聞いたんです。そのままの流れで、じゃあ何か一緒にやろうかって。

  • では、ブランドのコンセプトなども田中さんと今井さんで話し合いながら決めた形ですか?

    田中:そうですね。いま世の中的にはシングルオリジンの豆を提供するコーヒーショップが多いですが、どうせやるからには僕たちだけの特色を打ち出したいと考えて、うちはすべてブレンドで勝負をしようというコンセプトになっています。ファッションで例えると、「虎へび珈琲」はおもしろいブランドを集めて販売するセレクトショップではなくて、独自の世界観を持ったオリジナルブランドであるべきだと思っています。

  • コーヒーブランドをクリエイティブ・ディレクションするというのは初めての経験だと思いますが、なぜコーヒーにクリエイティブが必要なのでしょうか?

    田中:コーヒーに限らず、クリエイティブはすべてのものに必要だと思っています。僕の中で、クリエイティブとか、表現とか、もの作りっていうのは、すべてつながっているものだという意識でやっているので。ファッションデザイナーとしてブランドをやっていた時もそうですが、洋服がカッコよければ成立するということではないと思っていて、ライフスタイルとか、考えかたとか、思想とか、生きる上での意思を持っていることが、総じてファッションなんじゃないかなって思うんです。だから僕にとってのファッションというのは、表層的なものではなくて、もっと深いものだと捉えています。きちんとカテゴライズする方がわかりやすいし、世間はそこに重きをおこうとするけど、僕にとってはすべて共通するもの。もっというと、不動産屋でも、銭湯でも、どんなビジネスでもいいですけど、結局はクリエイティブということが、すべて社会を回しているんじゃないかなって思っています。

  • 「虎へび珈琲」のディレクションはどのように行われているのでしょうか?

    田中:僕がディレクションをしているからといって、1から10まですべてを僕が決めているわけではありません。元々音楽も好きで、バンドもやっていたので、ブランドのディレクションも会社経営も、ある種バンドのセッションのような感覚で進めています。もちろん僕自身がバンマスとしての役割を務めるのですが、スタッフの一人ひとりもバンドメンバーで、みんながそれぞれのパートを奏でながら、一つの楽曲をつくり上げていくようなイメージを持っています。僕が作詞作曲をしてゼロから1を生み出したとしても、それを10にするのも、100にするのも、結局は一緒に働いている人たちだと思っています。

  • 「虎へび珈琲」がテーマとして掲げている「コーヒー&サイエンス」とはどういったコンセプトなんでしょうか?

    田中:サイエンスというと化学薬品を使うようなイメージを抱かれることもありますが、「虎へび珈琲」では、元科学者という特殊な経歴を持つ焙煎士の今井惇人が独自に開発した技術を駆使して、有機的なアプローチで品質と味わいの向上に取り組んでいます。例えば、一般的には目視とハンドピックのみでカビのついた生豆を取り除くのですが、「虎へび珈琲」では水や超音波を使ってカビ毒を99.9%除去しています。このプロセスによって、コーヒー豆が本来持つ豊かな香りを引き立て、深い味わいと、すっきりとした後味を実現しています。また、コーヒーによる胸やけや胃もたれの原因ともなるタンニンも有機的な方法で数週間かけてディタンニンすることで、嫌なえぐみのないクリアな飲み口に仕上げています。

まず優先するのは、
無知的な楽しさ

  • サカナクションの山口一郎さんやアウトドアブランドの「スノーピーク」などとともにオリジナルブレンドを開発したり、サスクワァッチファブリックスと組んでアパレルを展開したりと、独自の取り組みも目立ちます。多角的に情報を発信し続ける意図は?

    田中:「虎へび珈琲」は珈琲ブランドであると同時にクリエイティブのプラットフォームでもあるので、その表現の発露はどのような形になってもいいと考えています。先ほど説明したサイエンスの話に限らず、コーヒーは難しく捉えようとすれば、いくらでもマニアックなアプローチで深掘りしていくことができるジャンルです。でもそればかりになってしまうと、どんどん“無知な楽しさ”の部分が失われていくと思うんです。それはファッションも同じで、僕自身も長いキャリアの中でいろんな知識を蓄えてきましたが、それに縛られて「こうじゃなきゃいけない」っていう固定概念が生まれた瞬間に、新しいものが生まれる余白がなくなり、新しい人も気軽に入ってこられないような、堅苦しいものになってしまうんです。だから、表面的な見えかたは、なるべく距離が近い方がいいと思っています。そこから気になってもっと深く調べてもらった時に、味わいや品質へのこだわりを知ってもらえたらいいと思います。

  • 渋谷パルコに旗艦店を構えた経緯は?

    田中:出店前から何度もポップアップショップをやらせていただき、そこに対して認知も広がっていたので、自然な流れから出店させていただいたというのが直接的な出店の経緯です。元々出店の場所に関しては、青山だったり、僕と今井の地元の新潟だったり、オンラインだけにしようっていう話もあったりしたんですが、ちょうどこの場所が空いていて、パルコであって、パルコでないような、平場とは違う独立した立ち位置が面白いと思えたんです。青山に出店していたとしても、メイン通りではなくて裏通りを選んでいたはず。ここのある種“裏パルコ”的な立地はとても気に入っています。

  • 旗艦店を持つことの意味は?

    田中:こうやって旗艦店を構えるということは、虎へび珈琲というブランドをより深く理解していただくことにつながります。ネットやSNSでもいろんな情報を発信していますが、やっぱり実際に来店して、見て、触って、味わって、聴いて、初めて理解できることも多いと思うんです。世間ではAI技術やメタヴァースなどが取り沙汰されていますが、コロナ禍以降、人々はこういったリアルな体験を求めていると思うんです。その点は流行通信みたいな雑誌も同じで、オンラインでもフィジカルな雑誌と同じコンテンツが観られるとしても、手に触れるものがないとどうしても体験として物足りなく感じてしまいます。リアルであると同時に、本物であることも重要です。クリエイティブでも、ファッションでも、雑誌でも、インフルエンサーでも、安直なものはすぐに消えていきます。ちゃんと芯を食っているものでないと、誰かを感動させたり、記憶に残ったり、行動を起こさせるようなことはできないと思います

  • 「虎へび珈琲」はこれからどこへいくんでしょうか?

    田中:僕たち自身、虎へびがこれからどこにいくのかわからないから面白いんだと思います。先ほども言った通り、珈琲ブランドをやっているというよりは、オリジナルブランドを立ち上げて、周りのいろんな人たちを巻き込みながら、自分たちの世界をつくっていくというマインドで動いているので、どこに自分たちの“感”と“動”が向かっていくのかっていうところに興味があります。ファッションという言葉も日本語にすると、“流(れ)”の“行(き先)”と解釈をして読み解き、そこをどう自分たちで紡いでいくかっていう部分も面白いと思います。もちろん前には進んで行くと思いますが、お決まりのコースではないことは確かで、まだ見ぬ世界のルートで進んで行きたいなっていうのはあります。

  • クリエイティブ・ディレクションをする上で、常に意識していることはありますか?

    田中:クリエイティブっていうのはあくまでこちらの主観の提案であって、一瞬のアクションにすぎないから、それがすべてだとは思っていません。コーヒーだって、こちらがどれだけ完成された状態で提供しても、その日の気分だったり、体調だったりで味わいの印象は大きく変わります。それは洋服でも同じで、最終的には着る人の感性に委ねられるものだし、今日気に入っていた服が、それ自体は何ひとつ変わっていなくても、明日には見え方が違ったりするものです。だからクリエイティブはあくまで未完成の状態で提供するように意識していて、それが誰かの手に渡った時に、いろんな形に変化していけるように、余白が残されているべきだと考えています。そういうところから新しい発見が生まれたり、新しい扉が開いたりする。もっと大きな話で言うと、クリエイティブも社会も一人では成り立ちません。人類みんなでつくっていくものだと思っています。

  • 田中了
    2000年代にファッション・ブランド「サトル タナカ」を立ち上げ、東京のファッション・シーンを牽引した田中は、2009年より発表の場をニューヨークに移すなど精力的に活動。その後世界27カ国を巡りながらクリエイション・ワークを行ない、現在は東京に戻りフォトグラファーとして活動する他、ファッションデザインやクリエイティブ・ディレクションを行う。

    Interview & Text
    Shingo Sano
    Photography
    Hiroto Nagasawa