ジュリア・ロバーツ(人物)

1967年10月28日、アメリカのジョージア州で生まれる。両親は俳優で演劇学校を経営していたが72年に離婚。母親が再婚した相手は暴力的で、後に俳優となる兄、エリック・ロバーツは義父のことを嫌って家を出てしまい、ジュリアはつらい思春期を送った。子供の頃は獣医になることを夢見ていたが、俳優としてデビューしたエリックの影響で演技に興味を持ち、大学を中退してニューヨークに引っ越して演技を学んだ。80年代にテレビドラマに出演するようになり、映画「ミスティック・ピザ」(88年)で注目を集める。「マグノリアの花たち」(89年)でゴールデングローブ賞助演女優賞を受賞して演技が評価され、初めて主演を務めた「プリティ・ウーマン」(90年)でゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞。映画は大ヒットしてハリウッドスターの仲間入りを果たした。「フック」(91年)、「ペリカン文書」(93年)、「世界中がアイ・ラヴ・ユー」(96年)、「ノッティングヒルの恋人」(99年)など、さまざまなジャンルの作品に出演。「エリン・ブロコビッチ」(2000年)では、アカデミー主演女優賞、ゴールデングローブ賞主演女優賞など数多くの映画賞に輝いた。そのほか、「アメリカン・スイートハート」(01年)などに出演。また女優業の傍らでプロデューサーとしても活動しており、いくつかの映画やテレビ番組の製作にも関与している。私生活では93年にカントリー歌手のライル・ラヴェットと結婚したが2年で離婚。2002年にカメラマンのダニエル・モダーと不倫の末に結婚して3人の子供を授かった。「食べて、祈って、恋をして」(10年)を撮影中にヒンドゥー教に改宗。子供達もヒンドゥー教徒としての名前を持っている。05年に「ハリウッド・リポーター」紙が「最も出演料の高い女優ランキング」を発表した際、映画1本の出演料が2000万ドルで1位にランキング。「バレンタインデー」(10年)では6分間の出演で300万ドルのギャラが支払われたといわれている。

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