マリリン・モンロー(人物)
1926年6月1日にアメリカのロサンセルズで生まれる。本名はノーマ・ジーン・モーテンソン。シングルマザーの家庭で育ち、母親が精神を病んで入院してからは、孤児院や里親の家庭で暮らした。16歳で初めての結婚。第二次世界大戦中に軍需工場で働いている際、カメラマンの目に留まって写真のモデルになる。その経験がきっかけになり、ハリウッドに引っ越し、45年にモデル事務所と契約。すぐに人気モデルとなってさまざまな雑誌の表紙を飾った。女優デビューを目指して映画界に飛び込み、芸能活動に反対するする夫と別れると、46年から「マリリン・モンロー」という芸名で女優としてのキャリアをスタート。演劇学校で学びながら端役を演じるが芽が出ず、ヌード写真のモデルをして生活費を稼ぎながら夢を追い続けた。51年に20世紀フォックスと契約した頃から人気に火がつき、映画「ナイアガラ」「紳士は金髪がお好き」「百万長者と結婚する方法」(全て53年)といったヒット作品で「ダム・ブロンド(頭が弱い金髪美人)」というイメージが定着。セクシー女優として人気を集めてトップスターの座にのぼりつめた。しかし、実際は頭が良く繊細な感受性を持った女性で「ダム・ブロンド」は売れるための自己演出だった。54年に野球選手のジョー・ディマジオと結婚するが、ディマジオの嫉妬深さや暴力に耐えられず1年もたたずに離婚。演技派女優に脱皮するため、彼女を見下す監督や男性の俳優たちとぶつかりながら演技の勉強に打ち込み、劇作家のアーサー・ヒラーと結婚した。「お熱いのがお好き」(59年)でゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞。女優として高く評価される。私生活では流産や不眠症のために飲み始めた薬物への依存などトラブルが続き、ヒラーと61年に離婚。62年5月19日にジョン・F・ケネディの誕生日を祝うパーティーで「ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー」を歌うが、それが彼女が公式の場に姿を現した最後となった。同年8月5日に自宅で亡くなっているのが発見され、睡眠薬の大量服用による自殺ではないかといわれている。36歳の短い生涯だった。不幸な生い立ちながら男性社会で戦い、映画界の頂点に上り詰めたモンローは、ハリウッド黄金時代を象徴する美のアイコンとして今も人々を魅了し続けている。
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