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【インタビュー】コピーとミックスだけじゃ世界は変えられない! “日本発ファッション”の行方とは?

INTERVIEW
2015/03/31

左から、スティーブ・ナカムラ=アートディレクター、軍地彩弓「ヌメロトウキョウ」エディトリアルディレクター、水野祐・弁護士、Arts & Law代表理事

左から、スティーブ・ナカムラ=アートディレクター、軍地彩弓「ヌメロトウキョウ」エディトリアルディレクター、水野祐・弁護士、Arts & Law代表理事

 3Dプリンタやウエアラブルコンピューターなど新しいテクノロジーが台頭する一方、1990年代から隆盛を極めたガールズカルチャーが衰退するなど、日本のファッションは新たな時代を迎えている。海外旅行者によるインバウンド消費の拡大など、2020年の東京オリンピックに向けて日本への注目が高まる中、この新グローバル時代に日本のファッションは何を目指し、何を発信すべきなのか。メディア、ヴィジュアル、法律の面から日本のファッション界を支える、練達の“クリエイティブ・フィクサー”3人に聞いた。

YKKが昨年10月30日に公開した「FASTENING DAYS」は、大手ファスナーメーカーがアニメを制作したという意外性に加え、監督に新進気鋭のアニメ作家である石田祐康、音楽に砂原良徳、エンディングテーマにPerfumeの”Hurly Burly”を起用したことで、大きな話題になった。現在は国内で38万回、海外ではなんと258万回も再生されるなど、特に海外で人気を博している。

WWDジャパン(以下、WWD):最近YKKが制作したアニメが国内外で約300万回再生されて話題になっています。監督に新進気鋭のアニメ作家、エンディングテーマにPerfumeを起用したことが大きいようです。日本企業が“日本”を感じさせつつ、グローバルに発信して成功を収めた事例の一つですが、これをきっかけに、改めてファッションを含めた日本初のカルチャーがいま世界とどう向き合い、何を発信していくかを考えたいと思っています。
軍地彩弓(以下、軍地):アニメやPerfumeっていわゆるクールジャパンですよね。YKKはあまりにもグローバル化しすぎてて、海外では日本企業と知らない人も多そう。だから、あえてクールジャパン的な要素を入れたという感じなのでしょうか。

水野祐(以下、水野):音楽だと日本で大ヒットを連発した宇多田ヒカルをアメリカで売り出すためにティンバランドとかアメリカの大物プロデューサーを起用して流暢な英語で歌ってもうまくいかなかったけど、きゃりー(ぱみゅぱみゅ)やPerfume、ベイビーメタルみたいな日本でしかなさそうなものを日本語でそのまま出すとウケる、みたいな感じですよね。

軍地:それにしても海外にきちんと広げていくにはキーマンみたいなものは必要ですね。ガールズカルチャーの場合はパリスやブリトニーだったし、きゃりーちゃんの場合はケイティ・ペリーだった。

スティーブ・ナカムラ(以下、スティーブ):うん。それに、ファッションだけじゃなくてカルチャーや音楽など、いろんなものが全部セットになっているってことも大事だと思う。きゃりーの場合も、ファッションと音楽がセットになっていたのも大きい。

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軍地彩弓 / 「ヌメロトウキョウ」エディトリアルディレクター

WWD:1990年代~2000年代は日本のギャルが元気で、彼女たちのユニークなファッションが海外でも人気だった時代がありましたね。
軍地:私が「ViVi」「グラマラス」で編集者だった 1990年代~2000年代は(ジョン・)ガリアーノがパリコレで、東京のストリートファッションを下地にしたコレクションを発表したり、日本のギャルカルチャー、ギャルブランドがパリス(・ヒルトン)やブリトニー(・スピアーズ)などのセレブを通してアメリカのマーケットに紹介されたり、従来のファッションの流れで言うと下流のストリートファッションが上流のパリコレに逆流した時代だった。

水野祐(以下、水野):当時から海外でのクールジャパン的な見せ方を狙って、マルキューブランドを海外のセレブに着せたんですか?

軍地:狙ったというより、結果的にそうなったという感じ。パリスやブリトニーの来日時には、私が東京でのショッピングをコーディネートしました。日本のファッションのことをもっと知って欲しくて、一緒にマルキューでショッピングしたり、「マウジー(MOUSSY)」「ラブボート(LOVE BOAT)」などのマルキューブランドや「スワロフスキー」でデコったヘッドフォンを紹介したり、プレゼントしまくっていた(笑)。彼女たちがプライベートで着てくれたので、アメリカでパパラッチされると、マルキューブランドのTシャツやアイテムが一緒に映ることになり、結果的にマルキューブランドがアメリカにも紹介された。日本の“kawaii”という言葉をアメリカに紹介したのって、パリスやブリトニーが初めてだったんじゃないかな。当時はギャルブランドのパワーがものすごかったし、パリスやブリトニーと、ギャルカルチャーの根底にある “ヤンキー”的な感覚が、国境を超えたという感じ(笑)。

WWD:パリスやブリトニーって、ヤンキーというより、真のセレブみたいなイメージがありますが。
軍地:ヤンキーというと語弊があるな(笑)。けど私服に「ディオール(DIOR)」のバッグにマルキューのカットソーを合わせるセンスって他のセレブにはなかったし、そのキュートさに対するフラットな感覚は、日本の女の子たちと通じていた。本来ラグジュアリー・ブランドを頂点にヒエラルキー構造が強いはずのファッションをあまり意識せず、普通の女の子が「シャネル(CHANEL)」バッグとマルキューを組み合わせるスタイリングって日本の独特のもの。ラフォーレ原宿のある、あの原宿の交差点って本当に象徴的で、あの交差点を起点にラグジュアリーからデザイナーズブランド、古着、ファストファッションの店舗がつながっているのは本当に面白い。あそこを行き交うファッションキッズたち自身が、ラグジュアリーから古着、デザイナーズブランドをかなり上手にミックススタイリングしているしね。