昨年、ソロ活動40周年を迎えた音楽家の高橋幸宏。10代の頃から活動をスタートし、プロデューサーや映画音楽のほか、ファッション・デザイナーとしての経歴も長い。高橋のファンを公言する水原佑果も、モデルのみならずDJとしての才能も開花させている。今回は、「ピアジェ(PIAGET)」を象徴するウオッチとジュエリーを身につけ、“STAY GOLD”がテーマの対談が実現。2人の話から見えてくるのは、多面的な活動を続ける中で、常に自分の感覚に素直に物事を選び取っていること。そして、それは多くの人を引きつける。

感覚で面白い
と感じることを選ぶ

高橋幸宏(以下、高橋) : METAFIVEのライブで、テイ(・トウワ、TOWA TEI)くんの「LUV PANDEMIC」をやった時にゲスト出演してもらったのが出会いだよね。

水原佑果(以下、水原) : 最初にPVで共演しました!実際にお会いしたのはライブが初めてです。とにかくお客さんが多くて緊張しましたけど、あの一体感に感動を覚えました。お客さんが野菜に見えるほど(笑)

高橋 : 野菜?独特な表現だね(笑)。

水原 : 本当に緊張しすぎちゃって……あのときは、そういう妄想をしながら心を落ち着かせていました……(汗)。「ラブパン」を歌った瞬間、カラダ全身がシビれてました(笑)。

高橋 : 佑果ちゃんは異次元の子っていうイメージ。DJの時もいつも変わった曲を持ってくるよね。今はシティポップみたいなのが人気でしょう。でも、ター坊(大貫妙子)の初期とか庄野真代さんとかも聴いてる。僕のファンなんかだと「音楽殺人」のような初期の作品だったりYMOの頃の曲でDJをすることが多いだろうけど、そこともちょっと違う。

水原 : 40周年記念の東京国際フォーラムでのライブは本当に感動しました!「ELASTIC DUMMY」を生で聴けたし幸せ!

高橋 : やっぱりそこなの?インストじゃない(笑)。

水原 : あの曲はテンポが速くて難しそうだなと……。エナジーが湧き出るような音楽って作り手に相当のパワーが必要だなと思います。幸宏さんのエナジーやこだわりってどこから生まれてくるのですか?

高橋 : 特にこだわりはなくて、どこを切っても高橋幸宏みたいになってしまう。ある時から意識的に日本語の曲も作ったこともあったけど、歌詞のほとんどが弱っちい男。「遠くであの子を見てる」とか、そんな歌詞ばっかり。当時の男性ファンはそこにハマったんだろうけどね。この間の「Saravah! 40th Anniversary Live」のミックスダウンも進んでいて、後々、映像化も予定しています。

水原 : わー!おめでとうございます!楽しみ!待てない!

高橋 : ありがとう。佑果ちゃんのバックグラウンドは?

水原 : 音楽もアートもファッションもそれぞれ好きなカラーがあって、レコジャケのアートワークとか音楽の世界観にとっても刺激を受けるんです。そこからいつもインスピレーションを得ている気がします。YMOの「テクノポリス」は私の中の伝説の一枚です!テイ・トウワさんの「Brand Nu Emo」のPVで、水原姉妹が撮影をさせてもらったとき、セットデザインが、あの「テクノポリス」のセットだったので本当に感動しました!

高橋 : この間、アルファレコード時代のアルバムを「アナログ盤でリイシューしませんか?」って話もあったんだけど、アルファ時代のソロアルバムって4枚くらいしかない。ビジュアル面ではYMOでもお世話になってる井上嗣也さんや奥村(靫正)さん、立花ハジメくんたち一流の人と一緒だったし、周りのミュージシャンも含めてみんな一流。いい時代だったね。80年代初頭くらいまでは。

水原 : 80何年頃ですか?

高橋 : 83、4年くらいまでかな。バブルに突入する前の時代までだね。そういえば、この間カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)が亡くなったけれど、70年代後半、彼が「クロエ(CHLOE)」のデザイナーで「KL」っていうメンズラインを手掛けていたんだけど、幻のブランドだった。当時、僕はロンドンにいたから、トノバン(加藤和彦)と日帰りでパリに買い物に行ったこともあったね。

高橋 : 特にこだわりはなくて、どこを切っても高橋幸宏みたいになってしまう。ある時から意識的に日本語の曲も作ったこともあったけど、歌詞のほとんどが弱っちい男。「遠くであの子を見てる」とか、そんな歌詞ばっかり。当時の男性ファンはそこにハマったんだろうけどね。この間の「Saravah! 40th Anniversary Live」のミックスダウンも進んでいて、後々、映像化も予定しています。

水原 : わー!おめでとうございます!楽しみ!待てない!

高橋 : ありがとう。佑果ちゃんのバックグラウンドは?

水原 : 音楽もアートもファッションもそれぞれ好きなカラーがあって、レコジャケのアートワークとか音楽の世界観にとっても刺激を受けるんです。そこからいつもインスピレーションを得ている気がします。YMOの「テクノポリス」は私の中の伝説の一枚です!テイ・トウワさんの「Brand Nu Emo」のPVで、水原姉妹が撮影をさせてもらったとき、セットデザインが、あの「テクノポリス」のセットだったので本当に感動しました!

高橋 : この間、アルファレコード時代のアルバムを「アナログ盤でリイシューしませんか?」って話もあったんだけど、アルファ時代のソロアルバムって4枚くらいしかない。ビジュアル面ではYMOでもお世話になってる井上嗣也さんや奥村(靫正)さん、立花ハジメくんたち一流の人と一緒だったし、周りのミュージシャンも含めてみんな一流。いい時代だったね。80年代初頭くらいまでは。

水原 : 80何年頃ですか?

高橋 : 83、4年くらいまでかな。バブルに突入する前の時代までだね。そういえば、この間カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)が亡くなったけれど、70年代後半、彼が「クロエ(CHLOE)」のデザイナーで「KL」っていうメンズラインを手掛けていたんだけど、幻のブランドだった。当時、僕はロンドンにいたから、トノバン(加藤和彦)と日帰りでパリに買い物に行ったこともあったね。

多面的な活躍をする
2人の共通点

水原 : ロンドンにはどんな思いがありますか?

高橋 : 記憶に残っているのは81年だね。ロンドンに約7カ月住んでいて、その年にアルバムを11枚も作ったんだよ。YMOの「BGM」と「テクノデリック」、ソロで「ニウロマンティック」も作って、その間を縫って、加藤和彦の「ベル・エキセントリック」をパリで録った。トニー・ヴィスコンティ(Tony Visconti)がプロデュースしたザイン・グリフ(Zaine Griff)のアルバムにも参加したね。全部が81年のこと。

水原 : 豪華な人たち!

高橋 : 面白い仲間がたくさんいました。元々は僕が10代の頃から付き合いのある人たちとのつながりだね。ティン・パン(・アレー)のメンバーや(サディスティック・)ミカ・バンド一派、(山下)達郎、ター坊など、全てね。ちょうど同い年くらいだし。放送作家でのちに作家になった景山民夫は兄の同級生だったから自然とつながったしね。まわりには本当に面白い人たちばっかりだったな。今も昔も面白いと感じたことは何でもやったから。有名無名関係なくね。

水原 : そこってポイントですよね。

高橋 : 気概ではなく、感覚。

水原 : 私は姉です。衣装も姉がスタイリングしてくれたり、レコードを交換して音楽を共有したり、同じビジョンを持っていろいろな制作したいなと。家族なので深く信頼もできるし、彼女は優しいから私に頼ってもくれるんです。

高橋 : 2人は細野(晴臣)さんの追っかけだし、気がついたら細野さんと歌ってたよね。

水原 : はい! 2018年に細野さんが香港と台湾でライブをされていて、水原姉妹プラス細野ファンの友達を連れて追っかけしたんです。香港に着いた時みんなで「香港Blues」をYouTubeで聴きながらライブに走っていったりして。実際にライブを聴いた瞬間はかっこよすぎて心を打たれました!私達が細野さんを一番はじめに聴いたのは78年の「はらいそ」だったんですけど、幸宏さんも参加されてますよね?

高橋 : 「ファム・ファタール」をレコーディングした後に細野さんからYMOの構想を聞かされ、結成に至ったからね。

水原 : わぁ!そういう話ってドキドキします。

高橋 : 昔の話をするとね、高校生の頃ブッダズ・ナルシーシーっていうバンドをやっていて。小学校の同級生の東郷昌和がヴォーカルで、後にコロムビア・レコードのCEOになったジャック松村がベース、カルメン・マキ&OZのジョージ吾妻がギター。夏休みに軽井沢のホテルで、慶應大学の風林火山が主催のキャンドルライトパーティーで毎晩演奏していたの。その時に対バンしたのがバーンズという慶應大生のバンドで、そこにベースのトラで立教大学の細野さんがいたんだよね。ドラムは松本(隆)さん。その頃はアイビーっぽいスタイルをしていたね。実は僕、出会った頃から細野さんのファンだったの、こっそりね。

水原 : さまざまな環境にいらっしゃってお互いにどのような影響があるんですか?

高橋 : 何が影響を与え合っているのか、その時は分からない。振り返らないと分析できないでしょう。突き進んでいるとそれが分からない。好きでやっていただけだから、その時々の環境で出会った人たちと刺激し合っていたんだろうね。

水原 : なるほど!私はモデルの仕事やDJ、自分の好きなことを通していろいろなインスピレーションをキャッチしているというか。例えばテイ・トウワさんのディー・ライト(Deee-Lite)のアイコニックなファッションに憧れて世界観を取り入れてみたり。

高橋 : それってインスピレーションを受けるっていうより、自然にそうなるんでしょう。意識しているのではなくて。

水原 : はい。シンプルに“好き”っていう感じですね!

高橋 : 自分が今それにハマっているってことだよね。好きな音楽をファッションに置き換えられるっていうことが自然になされるんだね。時代が変わってもその感覚は変わらないよ。

水原 : 多分、流行っていうよりも、その時の自分のムードに沿って常に動いているという感じですよね。やっぱり自分に合ったリズムや感覚が一番心地いいと感じちゃうのかも。ファッションもそう!

高橋 : 僕は若い頃から究極のシンプルを目指していて。この「ピアジェ」の時計はシンプルなのがいいよね。形がシンプルでいい素材を使っている。それが大切。

水原 : 今回は幸宏さんに合わせてフォーマルなルックにしてみました!「ピアジェ」の美しいジュエリーのブレスとライトブルーの時計、あとくるくる回るダイヤモンドリングを身にまとえてとってもエレガントな気持ちになりました。そして、シンプルなデザインもとっても魅力的で洋服に取り入れやすくて、選ぶのにとっても時間がかかってしまいました!

水原 : はい! 2018年に細野さんが香港と台湾でライブをされていて、水原姉妹プラス細野ファンの友達を連れて追っかけしたんです。香港に着いた時みんなで「香港Blues」をYouTubeで聴きながらライブに走っていったりして。実際にライブを聴いた瞬間はかっこよすぎて心を打たれました!私達が細野さんを一番はじめに聴いたのは78年の「はらいそ」だったんですけど、幸宏さんも参加されてますよね?

高橋 : 「ファム・ファタール」をレコーディングした後に細野さんからYMOの構想を聞かされ、結成に至ったからね。

水原 : わぁ!そういう話ってドキドキします。

高橋 : 昔の話をするとね、高校生の頃ブッダズ・ナルシーシーっていうバンドをやっていて。小学校の同級生の東郷昌和がヴォーカルで、後にコロムビア・レコードのCEOになったジャック松村がベース、カルメン・マキ&OZのジョージ吾妻がギター。夏休みに軽井沢のホテルで、慶應大学の風林火山が主催のキャンドルライトパーティーで毎晩演奏していたの。その時に対バンしたのがバーンズという慶應大生のバンドで、そこにベースのトラで立教大学の細野さんがいたんだよね。ドラムは松本(隆)さん。その頃はアイビーっぽいスタイルをしていたね。実は僕、出会った頃から細野さんのファンだったの、こっそりね。

水原 : さまざまな環境にいらっしゃってお互いにどのような影響があるんですか?

高橋 : 何が影響を与え合っているのか、その時は分からない。振り返らないと分析できないでしょう。突き進んでいるとそれが分からない。好きでやっていただけだから、その時々の環境で出会った人たちと刺激し合っていたんだろうね。

水原 : なるほど!私はモデルの仕事やDJ、自分の好きなことを通していろいろなインスピレーションをキャッチしているというか。例えばテイ・トウワさんのディー・ライト(Deee-Lite)のアイコニックなファッションに憧れて世界観を取り入れてみたり。

高橋 : それってインスピレーションを受けるっていうより、自然にそうなるんでしょう。意識しているのではなくて。

水原 : はい。シンプルに“好き”っていう感じですね!

高橋 : 自分が今それにハマっているってことだよね。好きな音楽をファッションに置き換えられるっていうことが自然になされるんだね。時代が変わってもその感覚は変わらないよ。

水原 : 多分、流行っていうよりも、その時の自分のムードに沿って常に動いているという感じですよね。やっぱり自分に合ったリズムや感覚が一番心地いいと感じちゃうのかも。ファッションもそう!

高橋 : 僕は若い頃から究極のシンプルを目指していて。この「ピアジェ」の時計はシンプルなのがいいよね。形がシンプルでいい素材を使っている。それが大切。

水原 : 今回は幸宏さんに合わせてフォーマルなルックにしてみました!「ピアジェ」の美しいジュエリーのブレスとライトブルーの時計、あとくるくる回るダイヤモンドリングを身にまとえてとってもエレガントな気持ちになりました。そして、シンプルなデザインもとっても魅力的で洋服に取り入れやすくて、選ぶのにとっても時間がかかってしまいました!

PROFILE

高橋幸宏:1952年東京都生まれ。72年、サディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mika Band)に参加。78年、細野晴臣と坂本龍一とともにイエロー・マジック・オーケストラ(Yellow Magic Orchestra)を結成。以降、ザ・ビートニクス(THE BEATNIKS)、ピューパ(pupa)、メタファイブ(METAFIVE)などさまざまなバンドで活動。2018年にソロ活動40周年を記念し1stアルバム「サラヴァ!」のヴォーカルをリテイクした「Saravah Saravah!」を発表。

水原 佑果:1994年兵庫県生まれ。高校2年のときにモデルとしての活動をスタート。女性ファッション誌や広告、ファッションショーのモデルとして活躍する。2016年、音楽家のテイ・トウワのすすめでレコード収集を始める。現在はライブやフェスのゲスト出演のほか、DJとしてさまざまなイベントで活躍の場を広げている。

Place

“街を楽しむ”ための渋谷の新業態ホテル

複合施設、渋谷ブリッジ内のマスタードホテル(MUSTARD HOTEL)は、1階にカフェ・バーのミーガン(Megan)とカレー居酒屋のトライアングルカレー(Triangle Curry)を併設。いずれも24時まで営業しているので、宿泊客以外も訪れたくなるようなテナントを擁する。また、東京に訪れるクリエーターやアーティストに無料で部屋を提供し、滞在期間中に展示会やライブなどを共同で開催している。

住所 : 東京都渋谷区東1-29-3 SHIBUYA BRIDGE B棟
TEL : 03-6459-2842

History of PIAGET

History of PIAGET

140年以上の歴史が裏付ける技術力もさることながら“ピアジェ・スタイル”と呼ばれるアイコニックなデザインは、ジュエリー業界だけではなく各方面に衝撃を与えた。「ピアジェ」に魅せられた最も有名な芸術家はサルバドール・ダリ(Salvador Dali)だ。妻のガラ(Gala Eluard Dali)をモチーフにした“ダリ金貨”を使ったウオッチを「ピアジェ」と共同制作した。1966年に発表した“コインウォッチ”だ。また、ポップアート界の巨匠アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)が生前「ピアジェ」を愛用していたのも有名な話。テレビスクリーンとスクエアの文字盤というモダンなデザインが特徴の1本は、ウォーホルが10本以上所有していた中でも特に愛用していたモデルで後に“アンディ・ウォッチ”と呼ばれた。以降も「ピアジェ」は数々の映画俳優や音楽家などの著名人に愛され続けている。

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