1980年にシングル「アンジェリーナ」でデビューして以来、日本の音楽界をけん引してきた佐野元春。その活動はミュージシャンという肩書きにとどまらず、いくつものジャンルのカルチャーを縦横無尽に行き来し、常に時代の空気とシンクロしながら自己表現を試みてきた。あらゆるものを巻き込みながら音楽を作り続けてきた背景には、ロックンロールへの揺るぎない信頼が存在している。そんな絶えず輝く表現者の言葉が、ゴールドにこだわり続けてきた「ピアジェ」の”STAY GOLD”を体現する。

3分間のロックが描く
時代と街の物語

WWD : 佐野さんの音楽はロックにこだわりながらも変幻自在な作風が特徴ですが、自由な表現を続けてきた理由は何でしょうか?

佐野元春(以下、佐野) : ロックンロールはとても柔軟で、さまざまな表現を受け入れられる懐が深い最高のコミュニケーションアートだと思います。確かに僕の音楽は多くのジャンルに分けられるかもしれないけれど、ジャンルで区切っているのではなく、あくまでもその時代に適したサウンドを作ってきました。

WWD : 10代でビートを通じてソングライティングを始められましたが、その過程で触れたカルチャーが音楽的な進化をもたらしたのでしょうか?

佐野 : 誰しも多感な時期に触れたものの影響は大きいと思いますし、それが表現者としての物差しにもなりますよね。僕は言葉と音楽という2つの表現に興味があったので、ソングライターになったのは必然だったと思います。自分で詩を書きたいと思うようになってから、ボブ・ディラン(Bob Dylan)やランディ・ニューマン(Randy Newman)、トム・ウェイツ(Tom Waits)の曲を聴くようになりました。

WWD : 主に海外のソングライターの作品を聴いていたんですね。

佐野 : ジャンルを問わず、言葉の表現者として何をどう歌っているかを学びたかったんです。当時の日本には、手本となるソングライターはいなかったので自分のスタイルを築きたくて詩を書き始めました。

WWD : 当時の日本のミュージシャンの詩は叙情的な作品が多い中、叙事的な詩は新しかったのではないでしょうか?

佐野 : 叙事的なストーリーテリングのような詩を書きたい気持ちは最初からありました。そもそも僕は東京で生まれ育って街の中で詩を書いてきました。「アンジェリーナ」や「ダウンタウンボーイ」は、10代の頃に感じたストリートの物語がもとになっています。その景色や人を見てうれしいとか悲しいとかではなく、冷静な観察者としての視点から詩を書いたんです。そうするとリスナーは「これは自分のこと」とか「この情景は自分にしか分からない」と考えて、愛着を持ってくれるんです。

WWD : 聴き手に解釈を委ねている?

佐野 : そうですね。僕も3分間のポップスやロックを自分のストーリーとして楽しみたかったから、自分が作った音楽もそのように聴いてほしかったんです。

WWD : 当時の日本のミュージシャンの詩は叙情的な作品が多い中、叙事的な詩は新しかったのではないでしょうか?

佐野 : 叙事的なストーリーテリングのような詩を書きたい気持ちは最初からありました。そもそも僕は東京で生まれ育って街の中で詩を書いてきました。「アンジェリーナ」や「ダウンタウンボーイ」は、10代の頃に感じたストリートの物語がもとになっています。その景色や人を見てうれしいとか悲しいとかではなく、冷静な観察者としての視点から詩を書いたんです。そうするとリスナーは「これは自分のこと」とか「この情景は自分にしか分からない」と考えて、愛着を持ってくれるんです。

WWD : 聴き手に解釈を委ねている?

佐野 : そうですね。僕も3分間のポップスやロックを自分のストーリーとして楽しみたかったから、自分が作った音楽もそのように聴いてほしかったんです。

“ユーモア”と“反抗”と“官能”

WWD : 観察者として作品を作る点はビートの精神にも共通していますね。

佐野 : 作者の目を通して描かれたスケッチをリスナーが自分の物語と解釈し、別の誰かに伝えていくと、その先にコミュニティーができるはずです。それが時代や世界を変えてきたのだと思います。

WWD : ウィリアム・バロウズ(William Burroughs)が用いた“カットアップ”(フレーズをバラバラにして組み直すことで新たな意味や解釈を持たせる)の手法も佐野さんの作品に多く見られます。

佐野 : “カットアップ”は聴き手や読み手の感性を信じている手法だと考えています。作者の感性に沿って並べ替えられた言葉は、受け手にある程度リテラシーがないと通用しない。僕が“カットアップ”を初めて用いたのは15歳の時に作った「情けない週末」です。“パーキング・メーター”“ウイスキー”“Jazz men”など一見脈絡のない言葉の羅列もビートやメロディーと歌唱が伴うと、ある景色が見えてくるはずです。

WWD : 15歳で「情けない週末」を書いた頃は、どんな景色が見えていたのでしょうか?

佐野 : 僕は街っ子でしたから、六本木周辺をぶらぶら遊んでいてあらゆる景色が飛び込んできました。「情けない週末」で描いたのは、年上の女性に心を寄せる少年のストーリー。街にはあらゆる誘惑が溢れていますから、その情景を物語にして落とし込んだこれも聴き手を信じた表現です。

WWD : 歌詞と同様に一貫してバンドサウンドにこだわってきた佐野さんにとって、音楽の本質はどこにあると考えますか?

佐野 : ライブパフォーマンスです。そこには表現の全てがあります。言葉やビート、肉体、そして巨大な音がある。スタジオワークは土台から少しずつ積み上げて理想に近づける緻密な作業ですが、ライブはカオスな状況から新しい表現が誕生する可能性を見出すのだと思います。ですので、段取りや予定調和が好きじゃないんです。世の中には多様なアートフォームがあるけれど、ロックンロールのライブ以上の表現を僕は知りません。

WWD : 予定調和ではない表現とは既成概念を壊す作業でもあるのでしょうか。

佐野 : ロックンロールにはレベル(反抗)のスピリットも含まれるけれど、「全てをぶち壊してしまおう」というような暴力的なものではなく、「ちょっとおかしくない?笑っちゃうよね」と気付きをもたらすユーモアがあります。それはお笑いとかジョークではなく、ヒューマニズムに根ざした“上質なユーモア”。このユーモアに少しの反抗が含まれているんです。

WWD : “上質なユーモア”とは具体的に何でしょうか?

佐野 : 前提として技術がなければ成立しません。重要なのはクラフツマンシップ。技術力をベースに、表現としてのユーモアのセンスが伴った詩やパフォーマーの身体表現があることで初めて“クール”と感じることができるんです。“クール”にはユーモアのセンスにほんの少しだけレベルのスピリットが含まれていて、その先には“楽しさ”がある。(アンディ・)ウォーホル(Andy Warhol)や(サルバドール・)ダリ(Salvador Dali)の作品にも、(ザ・ローリング・)ストーンズ(The Rolling Stones)やディランの音楽にも共通のイメージを抱きます。この「ピアジェ」のエモーショナルな時計のデザインにも“上質なユーモア”を感じますし、クラフツマンシップが息づく作品といえますよね。

WWD : 確固たるスタイルを持ちながら、対極にあるフレキシブルな側面を併せ持つことが表現の本質なのでしょうか?

佐野 : 自分を批評することは好きじゃないけれど、自分の表現の基盤は“ユーモア”“反抗”“官能”の3つ。これさえブレなければジャンルは問わない。僕の音楽の柔軟性は、そこにあるのかもしれないです。

終わりのない
ゴールに向かって

WWD : ライブやバンドサウンドというフィジカルな表現にこだわりながら、デジタルもいち早く取り入れました。

佐野 : デジタルメディアに興味は持ったのは、85年に「エレクトリック・ガーデン」を作ったのがきっかけです。自分の表現のエッセンスは言葉、ビート、ビジュアルの3つ。これらが1つのものとして共有できたらどんなに楽しいだろうと考えたのですが、インターネットが誕生した時に、すべて解決できると気付いたんです。ですからすぐに表現のツールとして、95年に日本のアーティストで初めてオフィシャルサイトをオープンしました。

WWD : あらゆるカルチャーに精通してきた理由は何でしょうか?

佐野 : 簡単に言うと素早く仲間を見つけたいから。自分と似た感性を持った仲間がどこかにいるはずと思っていたんですね。

WWD : 「SOMEDAY」がヒットした直後に単身ニューヨークに渡ったのもそういった思いがあったからでしょうか?

佐野 : 当時、日本のポップやロックのメインストリームは鎖国状態でしたので、新しいことをするには創作の場を丸ごと変えるべきだと思ったからです。何も考えずにニューヨークでアパートを借りて、毎晩クラブやパーティーに通っているうちに黒人やプエルトリカンを中心に友達ができました。半年後くらいには何か面白いことをしようとレコーディング・プロジェクトが立ちあがり、制作したのが「VISITORS」です。このアルバムを一言で表すなら“ゲームチェンジャー”。それまでの国内の音楽とは違う、刺激的なロックを鳴らしたかった。ラップやヒップホップといったブラックミュージックの文脈で語られることも多い作品ですが、自分ではロックだと思っています。

WWD : 海外のカルチャーと強く結びついた一方で、大瀧詠一さんとの出会いもターニングポイントでしたよね。

佐野 : そうですね。確かにはっぴいえんどは10代の自分にアピールするものがありました。その後、80年代に大瀧さんと知り合い、「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」で初めてご一緒しました。大瀧さんの音楽に対する考え方だけでなく、レコーディングでのサウンドメーキングは特に初期作品で影響を受けました。

WWD : 若い世代から影響を受けることはありますか?

佐野 : 創作の場で一番大切なのは、あらゆる瞬間でクリエイティブにスパークし合えるかであって、相手の年齢や経験、国籍は気にしないです。コラボレーションの優れている点は、お互いのインスピレーションを共有して新しい作品を作り上げていくことですが、その意味でコヨーテバンドのメンバーは素晴らしいですよね。

WWD : 来年デビュー40周年を迎えますが、佐野さんにとってチャレンジとは何でしょうか?

佐野 : 僕にとってチャレンジは愉快で喜びにつながっていくもの。アーティストは“絶対”ではなく“相対”の中に生きています。それぞれの時代や人々の思いに呼応しながら表現を続けていくしかありません。今のアーティストは現実と直面して、自分の表現を長く続けていけるかそこにゴールはなくて、あるビジョンに向けて突き進むしかない。その行為こそ僕はチャレンジだと思います。

WWD : 海外のカルチャーと強く結びついた一方で、大瀧詠一さんとの出会いもターニングポイントでしたよね。

佐野 : そうですね。確かにはっぴいえんどは10代の自分にアピールするものがありました。その後、80年代に大瀧さんと知り合い、「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」で初めてご一緒しました。大瀧さんの音楽に対する考え方だけでなく、レコーディングでのサウンドメーキングは特に初期作品で影響を受けました。

WWD : 若い世代から影響を受けることはありますか?

佐野 : 創作の場で一番大切なのは、あらゆる瞬間でクリエイティブにスパークし合えるかであって、相手の年齢や経験、国籍は気にしないです。コラボレーションの優れている点は、お互いのインスピレーションを共有して新しい作品を作り上げていくことですが、その意味でコヨーテバンドのメンバーは素晴らしいですよね。

WWD : 来年デビュー40周年を迎えますが、佐野さんにとってチャレンジとは何でしょうか?

佐野 : 僕にとってチャレンジは愉快で喜びにつながっていくもの。アーティストは“絶対”ではなく“相対”の中に生きています。それぞれの時代や人々の思いに呼応しながら表現を続けていくしかありません。今のアーティストは現実と直面して、自分の表現を長く続けていけるかそこにゴールはなくて、あるビジョンに向けて突き進むしかない。その行為こそ僕はチャレンジだと思います。

PROFILE

佐野元春:1956年東京都生まれ。80年にシングル「アンジェリーナ」でデビュー。83年に単身でニューヨークに渡る。現地ミュージシャンとともに制作、ラップを取り入れた84年発表のアルバム「VISITORS」がオリコン1位を獲得する。最新作はセルフカバーアルバム「自由の岸辺」。今年は「ライジングサンロックフェスティバル2019」への出演が控えているほか、今春行った佐野元春 & THE HOBO KING BANDによる「Smoke & Blue」のアンコール公演をビルボードライブ東京で8月8日に開催する。

Place

現代美術を世界へと発信する
六本木の複合ギャラリー

東京・六本木のcomplex665には、国際的な評価を得る小山登美夫ギャラリー、シュウゴアーツ、タカ・イシイギャラリーという3つの現代美術ギャラリーが集結している。その1階には、数々のギャラリーの内装を手がけてきたbroadbeanによるオリジナル家具のショールームがある。形の美しさや仕上げの素材感を追求した、控えめながらも質が高く実用的なアイテムをそろえている。

住所 : 東京都港区六本木6-5-24
電話番号:03-3263-8990(broadbean)

History of PIAGET

© Piaget / Philippe Garcia

History of PIAGET

「ピアジェ」のユーモアのセンスに魅了された“ピアジェ ソサイエティ”の一人に、ポップアートの巨匠アンディ・ウォーホルがいる。彼が複数所有していた時計の中でも一際目を引くのが、1974年に製作された“インゴットウォッチ(金塊時計)”。ゴールドと極薄手巻きムーブメント“9P”(2mm)という、メゾンを象徴する2つの要素が詰まった傑作だ。金塊の中身をくり抜き時計を潜ませた遊び心溢れる“インゴットウォッチ”は、スチール製が一般的だった当時の時計業界に一石を投じた。しかし既成概念にとらわれない発想も、高い技術力がなければ形にすることができない。「ピアジェ」はメゾンの誇りでもあるゴールドへの一貫したこだわりとユーモア、そして巧みな技術によって、クリエイティブかつオリジナリティ溢れる作品を生み出している。

© Piaget / Philippe Garcia

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