“京都が眼鏡で活性化!”として、現地で約30年眼鏡ビジネスを続ける2社の社長インタビューを掲載してきた。ここからは、その京都に進出する2社のトップに話を聞く。まずは全国に28店舗を運営するアイヴァン(東京)の山本典之社長だ。
WWD:オリジナルブランドの「アイヴァン(EYEVAN)」「アイヴァン 7285」「10 アイヴァン」「アイヴォル(EYEVOL)」のみで構成する新業態「ジ・アイヴァン」を5月26日、祇園にオープンした。
山本典之アイヴァン社長(以下、山本):主力ブランドの「アイヴァン」は3月に、旗艦店を東京・青山の骨董通りにオープンした。また骨董通りには、その「アイヴァン」から派生した「アイヴァン 7285」や、スポーツーンにも対応する「アイヴォル」の単独店舗もある。骨董通りにドミナント出店する一方で、全ブランドを集約したショップは不動産的にも東京では実現が難しいと感じていた。世界に向けて発信する際、代替都市は京都しか考えられず、2年ほど前から構想していた。
WWD:京都市によると2020年の外国人宿泊客数(日本在住の外国人も含む)は、前年比88.2%減の45万人だった。特にインバウンド消滅の影響が大きい京都、それも祇園を選んだ理由は?
山本:20年夏に訪れた、高級時計ブランド「ウブロ(HUBLOT)」の祇園ブティックでの体験がヒントになった。祇園のメインストリートである花見小路通もコロナの影響で人影はほぼなく、ことインバウンドは皆無だった。そんな中でも「ウブロ」には、京都で食事や観光をし、さらに「ウブロ」を買うことを一つのイベントとして捉える国内富裕層がいた。それを見て、インバウンドに頼らなくとも売り上げが立つと直感した。祇園には、ほかに高級カメラメーカーの「ライカ(LEICA)」の店舗があり、かつては「エルメス(HERMES)」の期間限定ショップもあった。京都・祇園という特別な場所で眼鏡を買う喜びが、ブランドの付加価値につながればと思う。
WWD:コロナは開店日にも影響した?
山本:いや、予定通りだった。「ジ・アイヴァン京都祇園」の内装はインテリアデザイナーの森田恭通さんに依頼したのだが、元の店舗である「マスターレシピ(MASTER RECIPE)」(フランフラン)も森田さんによるもので、そのため改装が最小限で済み、コストも抑えられた。
WWD:長い歴史を持つ京都では、“新参者の商売は難しい”と言われる。
山本:15年に、京都の中心地である河原町のファッションビル、京都バルに「アイヴァン リュクス」を出店した際にも言われた言葉だ。けれどコロナ前の19年には、年間売り上げ1億円を超えるまでに成長した。顧客の6~7割が京都の方で、そのほかに近県からも来店がある。この成功体験が祇園出店の原動力ともなった。アイヴァン リュクスの顧客は20〜30代が中心なので、今度はより大人に向けた店をつくりたかった。それが、ジ・アイヴァン京都祇園だ。
WWD:ジ・アイヴァン京都祇園は、単に広告ではない?
山本:もちろん違う。単店でも勝機を感じており、実際、初月売り上げは目標値に対して10%増だった。京都を含む関西圏の方に多く購入いただいている。彼らは車文化の中にあり、そのために“駐車場裏”とも言える立地をむしろ歓迎したほどだ(笑)。
WWD:ひと癖もふた癖もある京都で、どのように眼鏡ビジネスを続けていく?
山本:当社の商品は決して安くない。だから良いものを作って発信し、共感いただく。そしてファンとなってもらい、そのコミュニティーを大切にしていくしかない。当たり前のことを丁寧に、長く続けていきたい。祇園店のオープンに際して1688年創業の西陣織の老舗、細尾と協業して眼鏡ケースを作ったが、今後も京都に根付くさまざまなカルチャーとコラボレーションしていけたらと思う。
藤井たかの(ふじい・たかの)/眼鏡ライター:1976年、大阪府生まれ。大学卒業後、編集プロダクション勤務などを経てフリーランスに。年間1000本以上の眼鏡に触れ、国内外の見本市や工場、商品紹介などのアイウエア記事を担当する。自身のユーチューブチャンネル「メガネ流行通信」でも、世界の眼鏡トレンドやデザイナーインタビューなどを配信中。著書に「ヴィンテージ・アイウェア・スタイル 1920's-1990's」(グラフィック社)がある