4月に就任した三越伊勢丹ホールディングスの細谷敏幸社長は、百貨店のビジネスモデルを「マスから個へ」変えると宣言する。その大きな柱が外商改革だ。外商セールスだけでなく、商品の専門家であるバイヤーが連携して顧客満足を高める体制に改める。多くのVIP顧客から信頼を集める外商部の嶋崎信也マネージャーと、時計担当の松村佳美バイヤーを交えて、LTV(ライフ・タイム・バリュー、顧客生涯価値)を高めるための取り組みを語り合った。(この記事はWWDジャパン2021年7月19日号からの抜粋に加筆しています)
(右)嶋崎信也/三越伊勢丹 伊勢丹新宿本店外商部第一担当マネージャー:(しまざき・しんや)1970年生まれ、神奈川県出身。 1992年に伊勢丹(当時)に入社。メンズ館のスーツ売り場などのセールスマネジャーやスーツバイヤーを経てストアアテンダントに
(左)松村佳美/三越伊勢丹 伊勢丹新宿本店 特選時計スーパーバイザー:(まつむら・よしみ)2007年三越伊勢丹入社。同店化粧品売り場「ビューティアポセカリー」、婦人靴バイヤー、特選雑貨MDを経て現職 PHOTO:KAZUO YOSHIDA
WWD:社長就任以来、外商セールスとバイヤーの連携を繰り返し訴えてきた。
細谷敏幸社長(以下、細谷):中長期計画の重点戦略として「高感度上質戦略」「顧客とのつながり戦略」「グループ連邦戦略」の3つを打ち出した。その全てに関連するのが上位のお客さまの暮らしに広く深く入り込むことだ。
岩田屋三越の社長時代(21年3月まで)、外商セールスを1.5倍の約150人に増員し、デジタル上でバイヤーと情報共有する仕組みを作った。外商セールスは「どんなお客さまが、どんな商品を欲しているのか」を書き込む。すると各部門のバイヤーたちがそれぞれの専門知識に基づいた商品やサービスの案を出す。
嶋崎信也・外商部第一担当マネージャー(以下、嶋崎):伊勢丹新宿本店でも新しい試みが始まっている。外商セールス全員とワイン、宝飾、ファッションなど各売り場のバイヤーによるチャットを設けた。例えばワイン担当の高橋隼人バイヤーは、お客さまの琴線に触れる提案をしてくれる。彼のビンテージワインへの造詣に感心し、その1本を飲みたくなる。コロナ禍でも販売は全く落ちていない。
松村佳美・時計担当スーパーバイザー(以下、松村):私が担当する時計は単価が高いので、お客さまの顔をイメージするのに適している。嶋崎さんのような外商セールスにお客さまの個人の嗜好を聞きながら、この時計なら気に入ってくれるかもと考える。例えば体格がいいので(ケースサイズが)48mmと決めている方、お子さまに受け継ぐことを前提に価値ある一本を選びたい方、最近スーツを着なくなった方。購買データでは分からないお客さまの胸の内まで外商セールスは知っている。
私たちバイヤーは、商品ありきで総体としてのお客さまに投げかけていた。でも顔の見えるお客さまに向けて「こんなのいかがですか」と提案した方が心に響く。
嶋崎:先週も松村さんに尋ねられました。「◯◯さまはどういったものが好きですか」「どんな生活をしていますか」って。外商の仕事は長いけど、こういったやりとりは初めて。ものすごい可能性を感じている。
外商の三越、MDの伊勢丹の融合
細谷:僕は「マスから個へ」のマーケティングと定義している。百貨店はずっとマス狙いだった。広く網をかけるのが常識だった。今後は個のお客さまに照準を合わせる。個々のお客さまとの付き合いを深めていく商売に変わる。外商は伝統的に三越が強い。伊勢丹はマーチャンダイジング(MD)なら負けない。外商セールスとバイヤーの融合は、その二つの融合でもある。
嶋崎:外商のお客さまはギフトにこだわりを持っていて、店頭に並ぶ商品だけでは物足りない。この前、ある大物歌手のお客さまからゴルフのホールインワンの記念品の相談を受けた。達成したコースの絵を描くことになった。どのイラストレーターに頼むべきか、私はあまりアートに詳しくない。でも三越日本橋本店の美術部にはどこにも負けない知見がある。さっそく美術部のバイヤーに相談したら、素晴らしい人を紹介してもらい、世界に一つだけの記念品が完成した。とても喜んでもらえた。
WWD:バイヤーの仕事もマスに向けた買い付けだけではなくなってきている?
松村:例えば、女性のお客さまには既存の時計売り場はくつろげないという声もある。女性だけの時計を、クローズドの環境で食事も楽しみながら選べる機会があったらいいな、と。実際にそんな企画をやってみると、とても喜んでくれて、売り上げも良い。
バイヤーの仕事として、これまで通りマス市場でトレンドを仕掛ける力はもちろん必要だ。一方で、百貨店の集客力や客数に頼り過ぎない方法も求められている。
細谷:バイヤーは外商の上位のお客さまと深い会話をする機会はほぼ持ってこなかった。深い会話をすることによって、想像を巡らせて、新たな商品政策やダイレクトマーケティングに発展させたい。百貨店のMDが進化するきっかけになる。
外商セールスの仕事も変わる。自分で商品を提案もするし、時には仕入れをする機会も増える。MD活動全体に関わり、なおかつ全ての商材を知っている。バイヤーは担当分野が決まっているが、嶋崎さんは全ての分野を網羅したいと思っているよね?
嶋崎:長くそうありたいと考えていた。でも一人だと限界があった。今はスマホを中心としたデジタルツールで、各バイヤーや店頭の販売員とチームで動いているので、可能になった。お客さまのリクエストに自分で即答できなくても、チームに確認すればベストの回答ができる。改めて百貨店のチームの力はすごいと思う。お客さまともLINEワークスで頻繁に対話できるようになったことも大きい。
松村:同感だ。嶋崎さんから時計の問い合わせはとても具体的だ。お客さまのニーズになるほどと気づかされることが多い。「このモデルありますか」「在庫切れです」で終わってしまうのではなく、こんな理由でこんな時計を探していると言われれば、もっと満足してもらえる時計を探すこともできる。
外商に4つの武器を加える
細谷:僕は外商セールスに4つの武器を加えたい。1つ目は嶋崎さんが話したチーム制。2つ目は、上位のお客さまに対して外商セールス1人では対応できないので、支援してくれるアシスタント。3つ目がチーム制とも重なる商品知識に優れたバイヤー。そして4つ目がデジタル。この4つの武器が伊勢丹新宿本店などで活躍し始めている。
松村:地方店からも問い合わせが増えている。きのうもジェイアール京都伊勢丹から問い合わせが入り、お客さまが東京に来る際に時計をお見せすることになった。私たちバイヤーが地方店に出向いて、そこの外商のお客さまに説明することもある。店舗間を越えた取り組みになっている。
WWD:外商は店舗にある商品を売ることが前提だった。そうなると、都心と地方の店舗で差が出てしまう。
細谷:都心だから強くて、地方だから弱いというわけではない。実際には店舗の規模と歴史の違いだ。外商の取扱高では1位は三越日本橋本店、2位が伊勢丹新宿本店と岩田屋がほぼ同じくらい。今は店舗間を超えてお客さまの要望に応える。どこの店舗にもなければ、そのために仕入れてもいい。あと「グループ連邦戦略」とも関連してくるが、当社には38の子会社がある。これを外商に活用する。今は旅行会社の三越伊勢丹ニッコウトラベルくらいに限られている。木工会社の三越製作所は高級ホテルの家具も作っており、お客さまのご自宅のリフォームなどにも対応できる。その機能をフル活用する。
WWD:外商といえば、どうしても高額品をたくさん売ることを想像するが……。
嶋崎:決してそんなことはない。私は「食品を制する者が外商を制する」と思っている。確かに外商ビジネスでは何百万円の宝飾品に目を奪われて、500円のシャケの切り身にまで手が回らない。ただ、お客さまの信頼を勝ちうるのは毎日の暮らしの食品や日用品だ。
松村:時計はそんなに頻繁に購入する商品ではない。一度買ったら次は10年先かもしれない。時計だけではお客さまとの深い関係性はできない。三越伊勢丹の他の部署との連携によって一人のお客さまとのタッチポイントを増やすことが大切だ。だから時計のお客さまを別の売り場に紹介したり、その逆を行ったりすることを意識している。
WWD:外商の顧客だけでなく、裾野にたくさんいるボリュームの顧客にはどんなアプローチをするのか。
細谷:中長期計画の「顧客とのつながり戦略」がそれに相当する。全てのお客さまを識別顧客にしたい。現状、三越伊勢丹が把握できるお客さまは、外商とMIカード合わせて50%強にすぎない。あとの50%弱はフリーのお客さまで、名前もメールアドレスも分からない。まずデジタルIDからスタートして、次はMIカードに入会してもらい、究極的には外商のお客さまになっていただくストーリーを作る。そのためにきちんとしたベネフィットと、きちんとしたインフラを整えたい。いくら買ったら、いくらの宣伝費をかける。僕はそれを「顧客PL」と呼んでいる。お客さまを年間購入額に分けて分類し、収益を精緻に分析して適切にコスト配分する。外商だけではなくて、全てのお客さまとより深くつながる。
基本はあいさつ 店頭の大切さ
WWD:10年先どんな百貨店を目指すか。
嶋崎:保守的だと思われるかもしれないが、世の中が変わっても一番大切なのは店頭だと思う。そのために基本はあいさつ。スタッフの誰もがお客さまに笑顔で「いらっしゃいませ」と声をかけられるお店にすることが自分の夢だ。それができれば、最高なお店になる。日曜日にお母さんと小さなお嬢ちゃんがおめかしをして手をつないでいる姿を見ると、百貨店っていいなとつくづく思う。ワクワクやドキドキを提供できる百貨店であり続けたい。
私が店頭に立つ際、エスカレーターの案内ボードで立ち止まるお客さまがいたら「どちらをお探しですか」と必ず声をかける。そこからアテンドが始まる。縁があって伊勢丹に入られたお客さんには、絶対に来てよかったと思ってほしい。目指したいのはそんな店だ。
松村:三越伊勢丹のお客さまには豊かな気持ちになっていただきたい。人を介してそれができるのが百貨店。だからどの売り場であっても一定レベルの体験をしてほしい。一層強い関係ができ、お客さまに対する理解が深まり、よい提案ができる。そんな好循環になる。お子さまやご家族を通じて生涯つながることがきっとできる。それが三越伊勢丹の資産になっていく。
細谷:当社が長期的に目指す姿は「お客さまの暮らしを豊かにする、特別な百貨店を中核とする小売りグループ」だ。ナンバーワンかつオンリーワンな百貨店になる。嶋崎さんや松村さんが繰り返し話すように、お客さまの困りごとを感動的に解決する、お客さまの関心事を革新的に提案する。百貨店の本質はこれに尽きる。その積み重ねでお客さまの支持が拡大する。逆にいえば、それができなければ存在価値を失う。