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「エンジニアド ガーメンツ」の鈴木大器が語る「NYで一番いい店、売れている店になりたい」  最新コラボの裏話も

 アメリカで日本人の視点から作るこだわり満載のアメリカンワークウエアを提供し続けている鈴木大器「エンジニアド ガーメンツ(ENGINEERED GARMENTS)」デザイナーは、米国に渡ってから今年で33年目を迎える。商品のバイイングからスタートし、服を作る側へと当時としては異例のキャリアを進み、アメリカのどのブランドよりもアメリカン・メイドにこだわり、その伝統を守りながら挑戦し続けてきた。
  
 「ドクターマーチン(DR.MARTENS)」と継続しているコラボに加え、最近では「パレス スケートボード(PALACE SKATEBOARDS)」とのコラボもほぼ完売し人気となっている。「服のことばかり考え続けてきた」という鈴木が手にしたもの、長いニューヨーク生活で感じることとは?そして変わりゆくニューヨークでなぜ生き残ってこられたのか。ロングアイランドシティにあるオフィスで語った。

WWDJAPAN(以下、WWD):9月上旬に発売された「ドクターマーチン」とのコラボについて教えてください。

鈴木大器ネペンテス アメリカ代表兼「エンジニアド ガーメンツ」デザイナー(以下、鈴木):「ドクターマーチン」とのコラボも今回が確か5回目。最初にやった1461がベースで定番の3ホールシリーズにアレンジを加えたデザイン。こっち(右)から見ると普通になっていて、逆から見るとスリッポンになっている(イラストを描きながら)。反対側はウイングが立つ感じ。それも面白いと思うな。昔「アディダス(ADIDAS)」のスーパスターを紐なしで履いていて、ぴょんと上がっている、あの感じがインスピレーション源。

WWD:長くコラボが継続しているが、そもそもコラボのきっかけは?

鈴木:最初のきっかけは「ドクターマーチン」にいた連中が、うちの服を好きで着てくれていたということ。でも「ドクターマーチン」に限らず、どこのブランドもコラボレーションのきっかけはそういうことかな。これも後から気付いたことだけど、2003年くらいから卸を始めて、その頃に服を買ってくれていた人がたとえば20歳だったとして、10年経ったくらいからもう(会社の中では)中堅になっている。そういう人たちが声をかけてくれる。ブランドを長くやった甲斐があるというか、年の功というか。改めて長くやっているなと実感するとき。

WWD:「パレス スケートボード」とのコラボは、どうやって実現したのですか?

鈴木:あれに関してはデザインのベースを全部あげて、「パレス スケートボード」が生産した。向こうが「何年のこれが好き」とリストアップしてきて、それでパターンを提供して。「パレス」の店だけで売っている。プラスうちの店にちょっと置いているけど、もうほとんど売れてしまった。ゴアテックスを使ったジャケットとパンツとか。「パレス」は若い子にすごい人気だね。自分も一応スケーターなんで(自分のスケートボードを指して)。

WWD:どこでスケボーしているんですか?

鈴木:サーフェースがきれいなところが好きだから、ここで(オフィス)やってる。ほかのフロアとか。

WWD:サーフィンも定期的に行かれている。

鈴木:普段はサーフィンに行ってるんだけど、ビーチのゴミ拾いのボランティアをやっているときに腰を痛めてしまって今は休憩中。基本的に週末は行くし、いい波のときは平日でも行っている。夏場は週3日くらい。寒くなってきたら減る。以前はロングビーチに行っていたんだけど、砂を入れたら地形が変わってしまったので、今はロカウェイ。サーファーはロカウェイに行くから、ほぼみんな顔見知りだね。5時半くらいに起きて向こうに6時半に着くって感じ。この時期だと2時間半から3時間やるけど、寒くなるとどんどん短くなってくる。ウエットスーツを着ているからやっているときは平気なんだけど、着替えるのは本当に痺れるくらい寒い。風がピューピュー吹いているときはめっちゃ寒い。手がすぐ凍っちゃうみたいな。ウエットスーツもなかなか脱げない。死ぬ思いでやってるよ。

WWD:コロナウイルスが蔓延していたパンデミックの間はどうしていましたか?

鈴木:2年半くらいどこにも行かなかった。ガーメントディストリクト(ニューヨーク・マンハッタンの34~42丁目、5~9番街の周辺)からこのロングアイランドシティのオフィスに引っ越したのは5年前くらい。コロナになってオフィスもシャットダウンになって誰も出社しなくなって。でも仕事道具はぜんぶここにあるから、オフィスには毎日来ていた。道も空いてるし、車で来ていたからいつもよりもスムーズでもあった。誰も周りにいなくて自分だけの時間を持てた。改めて自分がやってきたこと、やっていること、やりたいことを考えるいい機会だった。振り返ると貴重な時間だった。

「ニューヨークで一番いい店、売れている店になりたい」

WWD:コロナウイルスの影響でしまった店舗も多い。今の時代においての店舗を持つ意味とは?

鈴木:もともと店で働いていた人間だから、店がすごく好き。お店の基盤を作っていくのが今は大事。コロナもあって実際つぶれた店もたくさんあるけど、逆に伸びているところもある。共通しているのは、強いビジョンがあって、オリジナリティーを持っていること。自分が持っているビジョンをシェアして、それを若い世代なりに消化して新しいビジョンにしていってほしい。最初は洋服なんてオンラインでは売れないと思っていたんだけど、自分自身もオンラインでしか服を買わなくなってきて(笑)。うちの店(ネペンテス ニューヨーク307 West 38th St. New York, NY)は面積を約2倍(約500㎡)にして2年前にリニューアルオープンした。コロナの最初の頃に工事をして家賃は2倍になったけど、人は来るんだよ。今は両極化しているから。うちの店はマニアックだし、本当に洋服が好きな人たちって、お店に行ってしゃべるのが楽しいのよ。そういう場を作るのが大事と思った。うちの商品というのは、そういうのが合っている。いっぱいしゃべって、これかっこいいよね、とかってしゃべって最後に買うみたいな。それって昔のスタイルなんだけどね。それを認識した。

WWD:今後、店舗を通して目指しているものは?

鈴木:売り場も2倍になったから、売り上げも2倍になった。でももっと売りたい。自分たちがいいなと思うものを売っているので、ニューヨークで一番いい店、売れている店になりたい。「シュプリーム(SUPREME)」の当時の勢いとかあるじゃない?だったらそれを抜きたい。今人気なのは、ダントツ「エイメ レオン ドレ(AIMÉ LEON DORE)」じゃない?デザイナーのテディ・サンティス(Teddy Santis)はこのオフィスの裏に住んでるよ。ほんと服が好きなんだよ。すごい勉強熱心だし。メンズの場合は流行りとかじゃなく、本人のビジョンとオリジナリティーがあると人はついてくる。そして丁寧にモノ作りに取り組むのが大事。もちろんそれでもダメなときもあると思うけど。あとはちょっとラッキーであること。

自分はなぜニューヨークで残ってこられたのか

WWD:そのラッキーについてもう少し詳しく教えてください。

鈴木:古い時代からすごく仲良くしていた人たちは、ほんと全員日本に帰ってしまった。死ぬほど才能ある人たちもいたのに、本当に残念ながら力尽きて帰ってしまった。自分と何が違ったんだろうといろいろ考えたんだけど、こうやって残ってこられたのは、単純にラッキーだったからと最近分かった。運がよかったんだな。買い付けしていた頃、値段を叩かれてやばいなと思ってきたとき、自分たちで作ろうと思い立って。それまで自分で作ろうなんて思ったことはなかったのに。自分たちで作ったから、自分たちの値段でコントロールできるようになったし、追われるようにやっていたらこうなっていた、というのはラッキーだった。いい人に恵まれたというのもラッキー。どちらかというと好き勝手にやっていた感じだけど。

WWD :「エンジニアド ガーメンツ」を立ち上げたのが1999年。そこに至る経緯は?

鈴木:アメリカに来たのは、89年。まずボストンに行って、90年の4月にニューヨークに引っ越してきた。最初は買い付けをやっていた。いろんな洋服のメーカーに行って、自分で買って日本に送っていた。89年にネペンテスに入社したわけだけど、1時間も日本の会社では働かずにアメリカに来た(笑)。自分としてはサンフランシスコを希望していたんだけど、当時は靴が大事だったので、メイン州の工場まで車で3時間くらいで行けるボストンに滞在することに。「申し訳ないんだけど、ボストンへ行ってくれ」と清水さん(ネペンテスのオーナーの清水慶三氏)に言われて。土地勘も全くなかったし、英語も本当に分からなかったから大変だった。ボストン時代は、バークリー(音楽大学)の学生たちがたくさん住んでいるエリアに居住していた。ロスとニューヨークしか知らなかったから、ある意味新鮮だったとも言えるかな。97年にニューヨークにオフィスを構え、その後「エンジニアド ガーメンツ」をスタートした。

WWD:当時の方がよかったと思うことはありますか?

鈴木:それ言っちゃうとね。当時来たときも、すでに15年くらいニューヨークにいた日本人が「昔はよかったよね」みたいなこと言っていたから。確かに時代は変わった。当時は日本食もあんまりなかったし。インターネットもなかったし。携帯も一部の人しか持ってなかった。インターネットが普及し始めたのが94、95年くらい。コンピューター自体は早かった。90年代初頭から付き合いのあるデザイナーたちがいて、彼らはサンフランシスコだったからパソコンの着手も早かった。その人の妹がアップル(APPLE)で働いていて、社販で買ったものが思っていたものじゃなかったらしく、いらないかって聞かれて。使い方教えてくれるならって購入したんだけど、まだ使えるんだよ。板を壊していく単純なゲームとかでまだ使っている。

WWD:ニューヨーク生活で印象に残っていることは?

鈴木:自分の話だけど、最初に洋服を買う側でアメリカに来ていて、作る側になるという、立場が逆転したっていうのが面白かった。ほぼ30年を費やしてきて、自分の人生の27歳からの30年で、これが自分の人生だったんだなと最近思うようになった。

会社に帰属しないフリーランスとしてのスタンス

WWD:次の世代に受け継ぐこと、期待していることは?

鈴木:いろんなことをパンデミック中に考えてみたんだけど、昔のやり方、自分が育てられてきたやり方はまったく今の世代には通用しないってことは分かる。今からは会社に帰属しないスタイルがいいんじゃないかな。一人ひとりがフリーランスみたいなスタンスがこれからの形ではないかというところに行き着いた。フリーランスは自分で成果を出さないと収益が出ない。昔みたいに、とりあえずトイレ掃除からみたいなのはダメだし、最初は安い給料でがんばるんだっていうのもダメ。やったことをちゃんと評価していかなくちゃいけない。引き出していかないといけない。最初のきっかけは作ってあげて、あとは自分たちでやっていくみたいな。

WWD:若い世代もニューヨークに集まってきているのですか?

鈴木:若い世代は興味の対象が違うと思うこともあるけど、自分が知らないだけで、人もモノもちゃんと動いているなと思う。そういう部分に関してはニューヨークってタフなところもある。とにかく人材が豊富。いくらふるいにかけてもいい人がちゃんと残っているとつくづく思う。なによりも、ニューヨークというブランド力が強い。それはいつも思う。ここで、ただ息をして生活しているだけで、自分が大したことなくても、ニューヨークブランドになっちゃう。たとえば「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のステッカーでも「ルイ・ヴィトン」であるみたいな。それが面白いなと。自分の人生の中で911とかコロナとか、滅多にないことをニューヨークで経験できたってことも、ニューヨークブランドの一つになっているのかも。笑うところじゃないけど。

今も商品はほぼアメリカで生産

WWD:生産は引き続き全てニューヨークですか?

鈴木:今も生産はほぼアメリカ。8割はニューヨーク。ニットとかは一部イタリア産だけど。これを続けていくのが一番大変なところ。うちのようなやり方をやっているところは、実際にうちしかないと思う。ニューヨークで考えて、ニューヨークに工場もあって、検品もして、それを自分たちがピックアップして分けて出荷する。最初から最後まで自分たちでやっているのは我々しかいないなと。

WWD:ファッションブランドに今求められることは?

鈴木:コロナの前と後ではSNSの力が強くなったと痛感している。コロナでみんな家にこもって情報源がないからSNSに頼って、そんな中インフルエンサーの影響が大きくなっていった。ファッションビジネスのモデルが随分変わってきた。今じゃSNSを使って戦略を打ち出しているところが強い。あとはファッションビジネスも、サステナブル、リセール、レンタル、サブスクにシフトしている。これらをキーワードに新しいビジネスをうまく仕掛けているところが成功している。そういうところに疎かったところがどんどん沈んで消えてなくなっている。

WWD:「エンジニアド ガーメンツ」でも何か取り組まれていますか?

鈴木:余った在庫をいろんなアーティストやメーカーにプリントしてもらったり刺しゅうしてもらったりしたリメイク、それを“REENGINNERED”と呼んでいるんだけど、そのポップアップをやろうとしたり。次に考えているのは、自社製品の中古を売り始めようと思っている。やっぱり時代についていかないとね。とりあえずは内輪でスタッフが持っている商品をきれいにして店で売ろうかと。それがうまくいったら、買い取りもしていきたいと考えている。以前は「あの人も『ヴィトン』持ってるから私も」みたいな感じだったとしたら、いまは大して高くない有名でないものをかっこよく着ているのが、一番かっこいいらしいよ。

WWD:スタイルについてどう考えていますか?

鈴木:ついつい買っちゃうから、ここに置いているものもほとんど私物(ショールームの一角)。買っていること自体はいいことだと思う。これくらいまだ自分は服が好きなんだなと。靴も100足以上持っているけど、結局サンダル(ビルケンシュトック)しか履いてない。同じものをいっぱい持っている。このサンダルは年に2回は履きつぶすから、いつも新品を用意してあるよ。これは自分個人のスタイルで、同じようにブランドでも店でも、自分のスタイルをちゃんと作れる人が必要。そのスタイルを説明できるビジョンを持っている。その良さを自分で理解できている人。これをちゃんとできる人が次のステップに進める。そういう人材を集めたいし、育てたい。全て人ありき。そういうかっこいいやつがいると、あとは全てうまくいく。見た目の話ではなく、考え方の話。ブレない人。

WWD:ブレない秘訣を教えてください。

鈴木:ブレない人っていうのは、時代に沿って実は微調整しているから、ブレないように見える。ブレてないように見せることが大事。あとは時代を読み過ぎないこと。そのバランス感覚が大事。

WWD:ほかにも今後やってみたいことは?

鈴木:絵を描きたい。いつか時間ができたら習ってみたいと思っている。うちの親父が画家だったんだ。油絵がいっぱいあって。2歳くらいだったと思うんだけど、親父の膝に乗って油絵具の匂いを嗅いで、その匂いが嫌だなと思った強烈な記憶がある。暗い絵があって、お化け屋敷かなと思って親父に聞いたら、ガソリンスタンドだって言われた(笑)。そのときの体験からなのか、絵を描きたいと思うようになったんだよ。

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