冨永愛 プロフィール
(とみなが・あい):15歳でモデルデビュー。17歳のときにニューヨークコレクションで世界のランウェイデビューを果たし、一躍話題となる。以後、世界の第一線でトップモデルとして活躍。モデルの他、テレビ、ラジオ、イベントのパーソナリティー、俳優など様々な分野に精力的に挑戦。2023年NHKドラマ10「大奥」の吉宗役では、その演技に高い評価を得た。日本人として唯一無二のキャリアを持つスーパーモデルとして、チャリティー・社会貢献活動や日本の伝統文化を国内外に伝える活動など、その活躍の場をクリエイティブに広げている。公益財団法人ジョイセフ アンバサダー、消費者庁エシカルライフスタイルアンバサダー、ITOCHU SDGs STUDIOのエバンジェリストを務める。
冨永愛がこのほど、新会社Crossover(クロスオーバー)を設立した。陳恵晴(Keisei Chen)CEOらとともに、モデルをはじめ、表現者たちのセカンドキャリアを支援する活動をスタートするという。15歳でファッション界に入り、世界のランウェイで活躍。今もモデルとして第一線で活躍しつつ、同時にTVドラマでの俳優業や社会貢献活動など数多くの場で活躍している。その冨永がなぜ今、新しいビジネスに取り組むのか。東京のオフィスで話を聞いた。
WWDJAPAN(以下、WWD):Crossoverでの愛さんの肩書きは?
冨永愛Crossoverファウンダー(以下、冨永):発起人であり、ファウンダーの一人です。ビジョンを共有したメンバーで立ち上げました。外部からの出資は受けていません。
WWD:立ち上げの経緯は?
冨永:20代の頃からモデル仲間の間で常に出ていた話題が「モデルのキャリアの短さ」でした。20代前半にして将来を案じているモデルも多く、ファッション産業の規模が小さい国の出身モデルたちは「愛は日本に帰れば仕事があるからいいじゃない」と一層不安そうだった。生まれた国が違うだけでキャリアが変わる世界で、自分は恵まれていると思う。とはいえ日本であってもモデルはモデルの仕事がなくなったら事務所を出るしかないのが現状です。
私は36歳から個人事務所なので、自分のキャリアの変化を受け入れながらここまできました。マネージャーと密に話し合い、テレビのバラエティやラジオパーソナリティ、俳優もやらせてもらってきたからこそ、この年齢(40歳)になっても活動できていると思う。
その経験を経て、モデルのセカンドキャリアをサポートできる事務所、その目標を全面に掲げる事務所があってもいいのではと2年くらい前から思うようになりました。志を共にしているケイさん(陳恵晴CEO)という存在があり、一緒に会社を立ち上げるに至りました。
WWD:これだけダイバーシティーが声高に言われてもモデルの仕事には年齢の壁があるのが現実なのでしょうか。
冨永:難しい。多様性と言われ始めて5年くらいですが、まだまだこれからだと思う。
WWD:そんな現実がある中、個人事務所ではマネジャーとじっくり向き合って仕事を作ることで「冨永愛」の幅を広げてきたことが側から見てもわかります。
冨永:まさにそう。いろいろな可能性を自分の中に探して、広げてもらおうとしたし、広げようとしてくれるスタッフがいた。たくさんのことを経験し、すごく勉強をした。そして大所帯の組織では気がつきにくいスタッフの苦労を知るのも個人事務所ならではです。
WWD:スタッフの苦労がわかると、なぜ成長につながる?
冨永:どんなことも根底にあるのは人との関わりですよね。いろいろな人の人生やいろんなタイプの仕事の背景がわかることで、頭の中の回路が繋がっていくような感覚があります。
WWD:人として豊かになることが、表現者としての豊かさにつながる?
冨永:それはきっとそう。モデルとしての表現力は人生の経験がまとうオーラや雰囲気に直結するし、俳優としては演技力に直結する。人間としての深みが増すと、表現にも深みが出ると思う。
だからCrossoverでも所属モデルと、できる限り個人事務所のような関係で付き合っていきたい。モデル自身が自分のライフステージをきちんと考え、それをサポートする、一緒に選択肢を作るスタンスです。
WWD:最初に所属するメンバーは?
冨永:私と森星ちゃん、UTAくんです。
WWD:Crossoverという社名に込めた思いは?
冨永:「オーバー」には境界や垣根、既存のルールなど、いろいろなものを「超えていく」意味が、そして「クロス」には、混じり合ったり繋がったりといった意味がある。 “乗り越えていく”感覚がすごく好きなんです。
実は今回の話の原点は、「クリエイターをプロデュースする会社を作りたい」でした。「プロデュース会社」だとわかりにくいから、「マネージメント会社」としたけど、本質は「才能のプロデュース」。だから今後は、既存のモデル事務所に所属してモデル業を突き詰めながら、Crossoverにも所属して他のキャリアも形成するという方法もあっていいと思う。
それだけじゃない。理念に共感する企業とCrossover自体が協業し、一つの物事の達成を目指すケースも出てくると思う。広義でのマッチングですよね。それこそ“Crossover”で新しい世界を広げたい。
この会社の設立は、自分のモデル25周年の一環として実現すると決めていました。15周年の時は盛大にパーティを開いたけど、今回は、自分のためだけではなく誰かのために何かをしたかったから。8月1日に41歳になり26年目に入るから駆け込みです(笑)。