古屋毅彦/松屋社長 プロフィール
(ふるや・たけひこ)1973年8月17日、東京都生まれ。学習院大学法学部を卒業後、96年4月東京三菱銀行入社。2001年松屋入社。米国留学し、08年米コロンビア大学院国際関係学修士号取得。松屋に復帰後、取締役執行役員、構造改革推進委員会事務局長、本店婦人服一部長、本店長などを経て、22年3月から代表取締役専務執行役員として経営企画室長、経理、環境マネジメントなどを管轄。23年3月1日社長に就任 PHOTO : TAMEKI OSHIRO
松屋の創業家5代目・古屋毅彦社長は3月の就任以来、「風土改革」を掲げて社員との対話に力を注いでいる。オープンでフラットな議論の場を重ね、接客、売り場、MD、催事といったあらゆる百貨店サービスを顧客目線で再設計する。地道な意識改革の先に、「他の商業施設にはない松屋としての存在意義が見えてくる」と古屋社長は語る。(この記事は「WWDJAPAN」2023年7月24日号からの抜粋です)
「風土改革」へ月1回のオープンセッション
WWDJAPAN(以下、WWD):就任以来、社内の風土改革を掲げてきた。
古屋毅彦社長(以下、古屋):とにかく現場の社員との意見交換を繰り返している。経営企画室長だった2年前に中期経営計画を策定した際にも、社員10人前後の規模のミーティングを50回ほど重ねた。よりよい経営のヒントは現場の声に詰まっている。その考えは今でも変わっていない。社長に就任してからも、さっそく社内でオープンセッションを始めた。銀座・浅草の両店でそれぞれ月に一度、意見交換の場を設けている。新入社員から常勤アルバイトを含め、当社雇用のすべての従業員が参加できる。会議は6月までにすでに3回実施し、いずれも100人程度が参加してくれた。
当社は銀座と浅草にしか店舗がない。規模の大きな百貨店と比べると、良くも悪くも経営と現場の距離が近い。従業員が上司や役員の顔色をうかがいながら仕事をしてしまうようなら、顧客本位とはいえない。会議では、僕も従業員に伝えたいことがたくさんあって、ついついしゃべり過ぎてしまう。僕が講師で社員が聞き手という構図では意味がないので、どんなやり方がいいか試行錯誤しているところだ。

COMPANY DATA
総額売上高:876億円
営業利益:3億4700万円
主要店舗売上高:松屋銀座本店751億円、松屋浅草店58億円(2023年2月期)
WWD:社員同士の対話を通じて何を変えたいのか。
古屋:接客や売り場作り、MD、催事などあらゆる百貨店サービスのベクトルを、すべて松屋のファンに向けて再設計し直すことだ。銀座本店は、2023年2月期の売上高が前期比38%増。コロナ前の20年2月期とほぼ同水準だ。確かに売上高だけ見れば好調だが、利益を稼ぐ力にはまだまだ課題がある。売る物の中身が変化し、利益効率の高い衣料品のボリュームが縮小している。かつてのように売り場に人員を割けるわけではなく、お客さまとの接点は限られる。その中でも松屋カードなどをお持ちのID顧客の売上高はコロナ禍前(20年2月期)と比較しても8%増、年間100万円以上を購入した優良顧客の売上高は35%増だ。熱烈な顧客にいかに投資を集中させるかがキモになってくる。
WWD:顧客はどんな商品やサービスを求めているのか。
古屋:銀座にはラグジュアリーブランドの旗艦店や立派な商業施設が立ち並ぶ。もはや百貨店だけが消費における“ハレの舞台”ではない。館全体として発信するメッセージに共感してこそ選んでいただける時代だ。当社は“未来に希望の火を灯す”というコーポレートメッセージを掲げている。価値あるモノ作りを、次世代へとつないでいくことも百貨店の重要な役割だ。例えば「手仕事直売所」と「銀座・暮らしの商店街」という職人のクラフツマンシップに焦点を当てた催事は、顧客の反応が非常にいい。それぞれの催事を買い回る客が多く、出店者同士でのつながりもでき、松屋ならではのコミュニティーが生まれている。当社は従業員、ブランド、コンテンツは素晴らしいものがそろっているが、それぞれが“点”でしかお客さまに伝わっていないのがもったいない。一本の串を通せばより強いファンが作れるはずだ。
近隣ブランドとの連携を深化
WWD:顧客の深耕が進むのは外商の分野だ。
古屋:年間購買額1000万以上の顧客が勢いよく増えている。個人外商の人員は、コロナ前と比較して10人以上増強した。衣料品のバイヤー経験者が外商部に移った例もあれば、他社の百貨店から転職してきたエース外商マンもいる。顧客について理解を深め、売り場の従業員と連動しながら「お客さまのために何をするか」を突き詰める姿勢は、他の社員にも大いに刺激になっている。
店頭にないブランドとの提携も強化している。銀座にあるラグジュアリーブランドの旗艦店に外商のお客さまをアテンドすることも多い。阪急メンズ東京とは昨年秋から相互送客の取り組みを始めた。当店だけでは足りないMDを補いつつ、提携先は新客が獲得できるウィンウィンの取り組みだ。外商販売を近隣ショップに送客しての販売額(22年9月〜23年2月)は前年同期から2.1倍に増えた。上顧客向けの店内催事「松美会」の売上高はこの春、3日間で22億円と過去最高となった。近隣のブランドと連携した施策が底上げにつながった。
WWD:身の回り品が前期比79%増、雑貨が同49%増(いずれも23年2月期)と存在感を高めている。
古屋:ラグジュアリーブランドの小物類や化粧品を目的に来店される、若いお客さまが増えている。コロナ禍を経てフレグランスへの関心が高まっており、1階の化粧品売り場では「オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー(OFFICINE UNIVERSELLE BULY)」「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」「ノーズショップ(NOSE SHOP)」が若いお客さまでにぎわっている。化粧品売り場は昨年8月にリニューアルし、面積を2割増床した。一つ一つのショップの区画を広げ、ブランドの世界観やメッセージが伝わる空間にした。売り上げ効率よりも、お客さまとのつながりを大事にした設計だ。
WWD:インバウンドの見通しは?
古屋:銀座本店の3月の免税売上高は、19年度とほぼ同水準まで持ち直した。買い上げ額ではすでに中国がトップだが、客数は戻っていない。本土からの観光客が本格的に戻ってくるのは、おそらく夏以降になるだろう。コロナ禍の前に拡大した免税カウンターは現状半分程度の営業体制だが、本格再開に向けて準備を進めている。
コロナ禍の前は訪日客の対応に追われ、国内のお客さまへのサービスが充分ではなかったと反省している。観光客が多いエリア特性もあり、当社のカード会員比率は半分に満たない。しかし苦しい時期を乗り越えられたのは国内のカードホルダーのお客さまのおかげだ。銀座のお客さまは他と比べ、サービスの質に対して非常に厳しい目を持っている。従業員のちょっとした振る舞いや言動に対してお褒めいただくこともあれば、お叱りを頂くこともある。銀座らしいおもてなしを今一度見直していきたい。
取材後記
訪日客の人気エリア・銀座に本店を構える松屋は、新型コロナの深い傷がようやく癒えた。だがすでに隣のギンザシックスは2023年2月期、開業(17年)以来の最高業績を叩き出す。21年春のテナント刷新で、新客の取り込みに成功した。銀座という「地の利」で戦うだけではなく、その中でも松屋を選ぶ理由が問われている。社員一人一人との地道な対話を通じ、一枚岩の組織を作る古屋社長の風土改革は、「急がば回れ」の理にかなった改革だ。