アエッフェ(AEFFE)傘下の「モスキーノ(MOSCHINO)」はこのほど、新たなクリエイティブ・ディレクターにアードリアン・アピオラッザ(Adrian Appiolaza)を指名した。11月の着任後に急逝したダヴィデ・レンネ(Davide Renne)の後任。ウィメンズ、メンズ、アクセサリーを監修し、2月の2024-25年秋冬ミラノ・ファッション・ウイークで初のコレクションをお披露目する。
アピオラッザ新クリエイティブ・ディレクターは1972年アルゼンチン生まれ。ブエノスアイレスで育つ中で、仕立て屋を営む祖母からデザイナーとしての基礎を学んだ。イギリスの音楽への情熱から渡英し、ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ校でファッションデザインを専攻。在学中に「アレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER McQUEEN)」などで経験を積み、卒業後の2002年にフィービー・ファイロ(Phoebe Philo)の誘いで、当時彼女が率いていた「クロエ(CHLOE)」に入社した。その後、「ミュウミュウ(MIU MIU)」、マーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)時代の「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」を経て、12年にクレア・ワイト・ケラー(Clare Waight Keller)の右腕となるデザイン・ディレクターとして「クロエ」に戻る。そして14年から10年間、ジョナサン・アンダーソン(Jonathan Anderson)率いる「ロエベ(LOEWE)」で、ウィメンズ プレタポルテのデザイン・ディレクターを務めてきた。
マッシモ・フェレッティ(Massimo Ferretti)=アエッフェ取締役会長は、「『モスキーノ』での最近の出来事(レンネの急逝)の後、アドリアンの就任は暗い空に差し込む一筋の陽の光のように感じられた。彼の経験、エネルギー、クリエイティビティーは、ユニークで無限大だ。彼はデザイナーであるだけでなく情熱的なコレクターでもあり、ブランドのヘリテージをとても尊重している。彼ならフランコ・モスキーノ(Franco Moschino)のDNAを現代的かつ魅力的な言語に変換し、『モスキーノ』に新しくフレッシュな一面をもたらしてくれると信じている」と話す。
アピオラッザ新クリエイティブ・ディレクターは、「フランコ・モスキーノの偉大なレガシーとメゾンの近年の歴史の両方に必要な敬意を払いながら」新たな役割を担っていくという。目標に掲げるのは服に焦点を当てることであり、「これは、真の宝庫であるモスキーノの膨大なアーカイブを存分に引き出しつつ、私自身のイマジネーションを通して表現する旅だ」と語る。
また彼は、「メゾン マルタン マルジェラ(MAISON MARTIN MARGIELA)」(現メゾン マルジェラ)や「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」「ヨウジヤマモト(YOHJI YAMAMOTO)」といった影響力のあるデザイナーズブランドのアーカイブを収集していることでも知られ、「モスキーノ」もその一つ。「フランコ・モスキーノの鋭いウィットと皮肉を常に尊敬していた。彼のクリエイションは単なる服ではなく、布から作られた時代の現状に対するコメントだった。そんな目標を表面的なものを超えて、シアトリカルな軽やかさをもって成し遂げたこととは並外れた偉業であり、1972年に生まれ、ブエノスアイレスで育ち、21歳になるまで一度も旅に出たことのない少年の想像力をかき立てた」と明かす。そして、「私の仕事は、フランコ・モスキーノが私たち皆のために開いてくれた世界への窓を再び開くことであり、これ以上の名誉はない」と続けた。
「モスキーノ」は、「アルベルタ フェレッティ(ALBERTA FERRETTI)」や「フィロソフィー ディ ロレンツォ セラフィニ(PHILOSOPHY DI LORENZO SERAFINI)」「ポリーニ(POLLINI)」も擁するアエッフェの成長のカギを握るブランドでもある。同グループはブランド別売上高の内訳を明らかにしていないが、情報筋によれば、「モスキーノ」が全体の70%を占めているという。12月31日に終了した2023年のアエッフェの業績は、アジアとグループの小売チャネルでは増収となったものの、欧米市場と卸売での減速が影響。昨年の売上高は、22年の3億5200万ユーロ(約563億2000万円)に対し、9.5%減の3億1900万ユーロ(約510億4000万円)だった。