PROFILE: 高橋瑞木CHAT館長兼チーフキュレーター
須藤玲子「NUNO」代表兼ディレクターの大規模個展が2月17日から、水戸芸術館でスタートした。今回は、その最初の展覧会をキュレーションした香港のアートセンター「CHAT(Centre for Heritage, Arts and Textile)」の館長兼チーフキュレーターの高橋瑞木さんに、須藤さんと「NUNO」、そしてテキスタイルの展覧会のキュレーションについて聞いた。(文中敬称略)
「布には可能性しかない」
昨年10月から香川県・丸亀市の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開催された展覧会「須藤玲子:NUNOの布づくり」。2月17日からは茨城県・水戸市の水戸芸術館で巡回展が始まった(5月6日まで)。そもそもこの展覧会は、2019年に香港のミュージアム「CHAT(Centre for Heritage, Arts and Textile)」で開催されたもので、その後ロンドン、エディンバラ、ザンクトガレン(スイス)と欧州を巡回。丸亀と水戸ではそれぞれ新作も加えて展示している。長い旅路の出発点となったCHATの高橋瑞木館長兼チーフキュレーターも、水戸芸術館での開催に合わせて来日した。
香港からロンドン、スイス、丸亀を巡回し水戸へ「里帰り」 須藤玲子の「NUNO展」が2月17日から水戸芸でスタート
2019年に開館したCHATは名称に「テキスタイル」が入っていることからもわかるように、テキスタイルを中心に据えた展覧会を数多く開催している。かつての香港において、テキスタイルと衣料産業は重要な産業で、1950年代から80年代にかけての経済発展に大いに貢献した。建物も紡績工場だったところをリノベーションしたもので、ヘリテイジビルディングである。その功績を後世に伝えるべく、常設展示室では香港のテキスタイル産業について紹介。一方、企画展では歴史を振り返ることにとどまらず、未来に向けて発信できる内容であることを旨としている。
高橋館長が須藤の展覧会を構想し始めたのは2016年、CHATの開館から3年の時間を遡る。開館に向けてのシンポジウムに登壇した須藤のプレゼンテーションに触れて、「テキスタイルに取り組む姿勢の斬新さと、チャレンジ精神に圧倒された」という。「世界という舞台で俯瞰したときにも、須藤さんのテキスタイルのユニークさは抜きん出ている。展覧会を開きたいと熱望しました」。
決め手は2018年の国立新美術館の「こいのぼりなう!」展
テキスタイル単体でとらえたときに、「一枚の布」がその完成形である。しかし、そこから一歩先に踏み出して、須藤の布の魅力を伝えるにはどういう展示にすべきか。思考をめぐらせているときに出合ったのが、2018年に東京・国立新美術館で開催されていた「こいのぼりなう!」展だ。須藤とライゾマティクス(現パノラマティクス)の齋藤精一氏、展示デザイナーのアドリアン・ガルデール氏が組んだ展覧会で、会場奥のギャラリーに、齋藤氏が撮影したテキスタイルの製造現場の映像が流れていた。「小さな画面でしたが、大きなパワーを感じました。カメラワークやスピード感あふれる編集と相まって、『布ってこうやってできるんだ』と興奮したのを覚えています。周辺の風景もおさまっていて、布づくりの現場の臨場感が伝わってくるのがまたよかった」(高橋氏)。
多くの美術館関係者がそうなのではと察するが、高橋氏にとって、テキスタイルは身近なものであるけれども知らないことが多い分野だった。「歴史もあり、文化を形成する役割も担ってきたのに、その背景の知識となるとすとんと抜けている。技術に関しても把握できていません。身近すぎて意識しづらい素材と言えます。現代美術よりも難しい側面を持っている」と高橋氏は言う。そのため展覧会開催に向けて、須藤のテキスタイル制作を請け負ういくつかの工場を見学し、プロセスへの理解を深めた。
香港CHATが話題を呼び、イギリスとスイスを巡回
そうやって作りあげた展覧会は、実際の機と映像を組み合わせたりしながら、クリエイティブとテクニック、双方のプロセスが紹介されると同時に、インスタレーションとしても見応えのあるものとなった。一枚の布ができあがるまでにどれだけの人のどれほどのエネルギーが込められているかが伝わってきて、テキスタイルの知識が深い人はもちろん、そうでない人も引き込まれる内容で、身近にあるテキスタイルなのに初めて見るかのような、新鮮な印象を抱いた人が多かった。さらに独特のテクスチャーを持つNUNOのテキスタイルを直に触れることができたことも、評判を呼んだ。展覧会の巡回も、自ら仕掛けたのではなく、興味を持ったヨーロッパやイギリスのキュレーターやテキスタイル関係者からの打診やアドバイスからだったという。「振り返ると、私がテキスタイルの専門家でなかったことが、功を奏したのかもしれません。知っていると、リテラシーの範囲内でつくっていってしまう。そのリミットがなかったことで、リテラシーを共有していない人も面白がってくれたのだと思います」。産地の特性、工場の特性、そしてそれぞれの職人の個性を把握した上で挑む“須藤独自の布づくり”だから、プロセスが展示として成立することも大きいだろう。「さらに齋藤さんや『こいのぼりなう!』の展示をデザインしたガルデールさん、会場構成を担当したたしろまさふみさんによって、プロセスがよりダイナミックに展開されています」。
巡回先となったうちのエディンバラとザンクトガレンはいずれもテキスタイル産業が栄えた地で、香港同様、ヘリテイジビルディングで開催された。実際にものづくりが行われてきた場所でプロセスを披露する展覧会に、産地で今もテキスタイルづくりに関わる人は嬉しかったことでしょうと高橋氏は言う。そしてこの展覧会をぜひ日本でも開きたいと丸亀市猪熊弦一郎現代美術館に持ちかけた。実現が決まると巡回展を打診してきたのが水戸芸術館で、実は高橋氏は2016年まで水戸芸術館の主任学芸員を務めており、驚きと喜びの巡回となった。
アジアにおけるテキスタイル×アートの可能性
現代のテキスタイルデザイナーのなかで、「須藤さんは唯一無二の存在」だと高橋氏。「発想の豊かさに加えて、自分の枠におさまることなく、テキスタイルの新たな可能性を広げ続けている。私のような専門外の人間も受け入れるおおらかさ、若いクリエイターと積極的にかかわってまだ見ぬものを生みだすエネルギー、産地の人への変わらぬ敬意、すべてが須藤さんの魅力です」。
CHATはアンテプリマとのパートナーシップにより「アンテプリマ×CHAT コンテンポラリー・テキスタイル・アート賞」を2023年に立ち上げ、テキスタイルの未来を能動的に促進させようと動いている。「テキスタイルには可能性しかないと感じています。特にアジアからという視点が重要です」と高橋氏は言う。産業革命の際にイギリス帝国が壊滅的なダメージをあたえたインドのテキスタイル産業を、インドが独立運動の際に回復させようとしたように、植民地化されたアジア諸国では、テキスタイルは脱コロニアル時代に再び注目をあびているマテリアルでもある。また、テキスタイル工場は多くの女性を労働力として受け入れてきたので、女性労働者の中でコミュニティが生まれた。その一方でテキスタイルや衣料産業は、環境にダメージを与えることで悪名が高く、サスティナブルな未来を考えるうえで重要な問題を提議しうる。「テキスタイルはいま我々が考えなくてはいけないすべてのことに関連しているのです」と力説する。
「美術の世界ではペインティングや彫刻といった分野に比べて、テキスタイルの地位がなぜか低く見られていることに違和感を覚えます。これは美術大学のカリキュラムがテキスタイルをどういう方針で教育してきたかにも関わっています。いままでの枠組みを批評的な眼差しで考えていくのにテキスタイルは最適な素材であり、ジャンルだと思っています」。