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特集 アシックス 第2回 / 全5回

アシックス、ランニングシューズの「頂上」を奪還せよ

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好調アシックス(ASICS)の屋台骨は、売上高の半分を占めるランニングシューズである。しかし、つい数年前まではトップ選手から「勝てないシューズ」との烙印を押され、壁にぶち当たっていた。復活の道を切り開いたのは、強い危機感から生まれた社長直下のプロジェクトだった。(この記事は「WWDJAPAN」2024年11月4日号からの抜粋です)

起死回生の社長直轄プロジェクト

10月13日に行われたシカゴマラソン(男子)で、ケニアのジョン・コリル(John Korir)選手が2位以下に大差をつけて優勝した。タイム2時間2分44秒は世界歴代6位。アシックスの契約選手である彼は、鮮やかな黄色の“メタスピード スカイ パリス”を履いていた。

アシックスの竹村周平Cプロジェクト部長は「大きなレースでの優勝と好記録に胸が熱くなった」と興奮気味に話す。シカゴマラソンはワールドマラソンメジャーズ(世界6大大会、WMM)に数えられ、世界中のトップ選手がこぞって出走する。アシックスの着用選手は久しくWMM優勝から遠ざかっていた。

竹村氏は廣田康人会長CEOの直轄組織「Cプロジェクト」を率いている。レースで勝てるシューズ作りに照準を絞り、着実に成果を積み上げてきた。

今年のパリ五輪の男子マラソンの着用率は、東京五輪の約10%に対して約20%。契約するベルギーのバジル・アブディ(Bashir Abdi)選手は男子の銀メダルに輝いた。アシックス着用選手が五輪のマラソンでメダルを獲得したのは16年ぶり。トライアスロンにいたってはランで男子の43%、女子の55%がアシックスを履いていた。

しかし、つい最近までアシックスは厳しい状況に置かれていた。主要レースで優勝はおろか入賞も減っていた。勝てない状況が長引けば、ブランドの価値が下がり、顧客離れが進む。Cプロジェクトは社運をかけた大勝負だった。

Cプロジェクトと従来のシューズ開発の違い

アスリートに純粋に向き合う

「やられっぱなしで悔しくないのか」―。19年12月、社長(当時)の廣田氏は神戸本社の会議室で竹村氏らに檄を飛ばした。当時、世界の主要レースの表彰台をナイキ(NIKE)の厚底シューズが席巻し、アシックスは窮地に追い込まれた。

例えば五輪。女子マラソンが正式競技に加わった1984年のロサンゼルス大会以降、アシックス着用選手はずっとメダルを獲得してきた。ロサンゼルス女子1人、88年ソウル男女3人、92年バルセロナ男女4人、96年アトランタ男女4人、2000年シドニー男女2人、04年アテネ男女2人、08年北京女子1人。だが12年のロンドン以降はナイキの台頭でメダルから遠ざかっていた。廣田氏も海外の機関投資家から「アシックスには勢いがない」と批判され、忸怩たる思いを抱いていた。反転攻勢のため立ち上げたのが社長直轄のCプロジェクトだった。

開発畑の竹村氏をリーダーに、企画、デザイン、生産、営業、マーケティング、知財などの各部門から精鋭13人が招へいされた。Cプロジェクトの「C」は「頂上(CHOJO)」のこと。創業者・鬼塚喜八郎が唱えた「頂上作戦」(こちらの記事参照)にならった。

ミッションはただ一つ、「勝てるシューズを作ること」だ。厚底によるパラダイムシフトで、トップ選手が次々にナイキに乗り換えていた。流出を止めるのは、勝てるシューズを急いで提供する以外にない。社長直轄の組織にしたのは、意思決定のスピードを早めるためだった。人材や予算などのリソースもトップダウンで重点的に投じた。

マラソン大会でトップ選手が履くシューズは原則、市販品とされている。そのため通常は店頭で売れる前提で開発する。結果、市民ランナーの上級者レベルが履きこなせるような角が取れた商品になりがちだった。だが廣田氏は「極論すれば売れなくてもいい。とにかくレースで勝てるものを追求してくれ」と言い切った。竹村氏は「向き合う相手はアスリートだけ」と腹を決めた。

ケニアに作った育成と開発の拠点

まず選手の声を徹底的に聞くことにした。従来も選手の意見を吸い上げてはきたが、量と質を見直した。「量」とは聞く人数と時間。Cプロジェクト始動後、すぐにパンデミックに襲われたが、逆手にとって欧米やアフリカなど各国に散らばる契約選手とオンラインでじっくりミーティングを重ねた。「質」とはミーティングに開発担当が参加すること。従来は選手の渉外担当らが現地で話を聞き、日本の開発担当に伝えていたが、より正確で具体的なやりとりができるようになった。

トップ選手を多く輩出するケニアには拠点を設けた。標高2400mで高地トレーニングが盛んなイテンに「CHOJO CAMP」を21年に開く。ケニアから有望な若手選手を数十人集めて育成するとともに、開発に必要な走行データや選手の声を集める。

「選手の足元は真っ赤だよ」

21年1月、日本では箱根駅伝でナイキが95.7%の驚異的な着用率を叩き出す一方で、かつての王者アシックスの着用率がゼロになり、衝撃が広がっていた。

しかし竹村氏に焦りはなかった。20年10月のロンドンマラソンで女子契約選手のサラ・ホール(Sara Hall)選手(米国)が試作品を履いて、2位に食い込んでいたからだ。ホールは2カ月後にも37歳にして自己ベストを大幅に更新する。トップ選手およびその代理人たちは耳が早い。「ホールが履いていた白いシューズに対して問い合わせがいくつもあった。アスリートは常に勝てるシューズを探している。その選択肢にアシックスが再びエントリーできた」と手応えを感じていた。

そして21年3月に“メタスピード”シリーズを発表する。選手のヒアリングを重ねた結果、走り方に合わせてピッチ走法とスライド走法の2タイプを開発した。通常なら1年半から2年以上かかる開発期間を1年に縮めた。時間がない中、社内では1タイプにリソースを集約した方が効率的という意見もあったが、「どっちつかずの中途半端なシューズになりかねない」と竹村氏は退けた。

コロナで東京五輪が1年延期されたため、“メタスピード”は檜舞台に間に合った。最も着用者が多かったのがトライアスロンだ。入場制限でコースのお台場に行けなかった竹村氏に部下から電話があった。「竹村さん、選手の足元は真っ赤だよ」。目視では自転車からランに切り替えた選手たちの2〜3割のシューズが真っ赤な“メタスピード”だったという。男女とも“メタスピード”で走った選手が金メダルを取った。

東京五輪以降の主要レースでも“メタスピード”で自己記録を更新する選出が続出した。「勝てるシューズ」の実績は選手契約における最大の決め手になる。トップ選手が再びアシックスを選ぶようになる。パリ五輪でアシックスに16年ぶりのメダルをもたらしたアブディ選手も、契約していたナイキから23年3月にアシックスに切り替えていた。

箱根駅伝でナイキに迫れるか

並行して商品戦略を見直した。安価なエントリーモデルを集約し、高価な高機能モデルの品ぞろえを厚くする。10年代に販売数量にこだわった結果、価格競争に巻き込まれ、ブランドイメージが低下する負のスパイラルに陥った。その反省に立ち、高付加価値品を前面に出すよう方針転換したのだ。初心者に人気のロングセラー商品“ゲルカヤノ”も最新の31モデルで税込2万900円と高価だが、高機能が評価されてよく売れている。頂上での存在感が、すそ野に降りてきたといえるだろう。

各国でばらばらだった販売管理システムも、グローバルで統一し、デジタルによって供給量を精緻にコントロールできるようにした。24年1〜6月期のパフォーマンスランニングのカテゴリー利益率は、前年同期に比べて4.2ポイント上昇の24.0%になった。

ただ世界の主要レースの表彰台では、未だナイキの存在感が圧倒的であり、アディダス(ADIDAS)も急伸している。現時点では復活の足がかりをつかんだにすぎない。後方からもホカ(HOKA)やオン(ON)といった新興勢力の足音がひたひたと迫る。パリ五輪での銀メダル獲得を受けて、廣田氏は「男子・女子のマラソンで6個あるメダルの1個を取れたに過ぎない。もっと高みを目指す」と気を引き締めた。

近々の話題は、正月の箱根駅伝だ。21年に着用率ゼロの屈辱を味わったアシックスは、“メタスピード”発売以降の22年に11.4%、23年に15.2%と巻き返した。24年には24.8%まで回復したが、首位ナイキの42.6%とはまだ差がある。竹村氏は「社内目標はあるが、公表は控える」と言うが、前年実績を超えることはもちろんナイキにどれだけ迫れるか、追い抜くことができるかが焦点になる。

箱根駅伝での
シューズ着用シェアの推移

出典:アルペングループマガジン

2016
1位 ミズノ 35.7%、2位 アシックス 28.6%、3位 ナイキ 18.1%、4位 アディダス 16.2%、5位 ニューバランス 1.4%

2017
1位 アシックス 31.9%、2位 ミズノ 25.7%、3位 アディダス 23.7%、4位 ナイキ 17.1%、5位 ニューバランス 1.9%

2018
1位 ナイキ 27.6%、2位 アシックス 25.7%、3位 ミズノ 17.6%、4位 アディダス 16.7%、5位 ニューバランス 12.4%

2019
1位 ナイキ 41.3%、2位 アシックス 22.2%、3位 アディダス 17.0%、4位 ミズノ 10.4%、5位 ニューバランス 9.1%

2020
1位 ナイキ 84.3%、2位 ミズノ 4.3%、2位 ニューバランス 4.3%、4位 アシックス 3.3%、4位 アディダス 3.3%

2021
1位 ナイキ 95.7%、2位 アディダス 1.9%、3位 ミズノ 1.4%、4位 ニューバランス 1.0%、-位 アシックス 0%

2022
1位 ナイキ 73.3%、2位 アディダス 13.3%、3位 アシックス 11.4%、4位 ミズノ 1.0%、5位 ニューバランス 0.5%、5位 プーマ 0.5%

2023
1位 ナイキ 61.9%、2位 アディダス 18.1%、3位 アシックス 15.2%、4位 プーマ 3.3%、5位 ミズノ 0.5%、5位 ニューバランス 0.5%、5位 アンダーアーマー 0.5%

2024
1位 ナイキ 42.6%、2位 アシックス 24.8%、3位 アディダス 18.3%、4位 プーマ 8.7%、5位 ミズノ 2.2%

パフォーマンスランニングの業績推移

パフォーマンスランニングの業績推移

Topics
最先端のモノ作りを支える
「スポーツ工学研究所」

ランニングシューズをはじめとしたアシックスの研究開発の拠点がスポーツ工学研究所(INSTITUTE OF SPORT SCIENCE、略称ISS)だ。世界中のランナーが支持する“メタスピード”だけでなく、テニスのノバク・ジョコビッチ(Novak Djokovic)、野球のダルビッシュ有、バスケットボールの河村勇輝らトップ選手が履くシューズ、あるいは五輪で多くの人が目にした日本選手団の赤い公式スポーツウエアまで、数々の商品がここから生まれた。

ISSは神戸市郊外の西区にある。1985年に設立され、2015年に新館を建てるなど規模を拡大してきた。ここで行われているのは人間特性、材料、構造、分析・評価試験、生産技術などの研究だ。広い施設内にはさまざまな実験室があり、最先端の機器が並ぶ。施設内には陸上競技のトラック、バスケットボールやバレーボールなど屋内競技のコート、テニスコートが完備されており、人間の動きを測定したり、試作品のデータを取ったりしている。海外からアスリートが訪れ、実験に参加することも少なくない。約90人が所属し、研究に勤しむ。

これをアウトソーシングせずに、社内で行うことがアシックスの商品開発における最大の強みになる。マテリアル(材料)とストラクチャー(構造)の開発を社内で行える企業はそれほど多くない。CプロジェクトもISSがあればこそ、トップ選手の難しい要望に沿うシューズを迅速に開発することができた。

ランニングシューズの開発では、まず動作解析が重要になる。体とシューズにたくさんのマーカーを貼り付けてカメラで撮影し、ランニングフォームを解析するモーションキャプチャーシステムでデータを収集する。テスト用のトラックはレーンごとに3種類。オンロード1種と陸上トラック用2種で、異なる路面環境でテストを行える。トラックは建物を取り囲むように350m。直線やコーナーでもデータを集める。

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