PROFILE: 嘉数義成/琉球藍研究所代表

嘉数義成・琉球藍研究所代表の「琉球藍」復活運動は、筋金入りだ。ファッションブランド「レキオ(LEQUIO)」でデザイナーをしていたが、ある時に琉球藍に行き着いた。沖縄の地で細々と伝統工芸の範疇で続いていた「琉球藍」復活のため、私財を投じて山原(やんばる)のジャングル状態の耕作放棄地を開墾し、試行錯誤を続けながら製法とビジネスモデルのアップデートに挑む。(この記事は「WWDJAPAN」2025年2月24日号からの抜粋です)
琉球藍の復活のために、嘉数代表がまず着手したのが畑の開墾だった。「琉球藍染めを『レキオ』に取り入れられないかと思ってリサーチしたところ、個人や作家が細々と続けていたものの、高齢化も進んでいた。そういった状況だと、いわゆる量産は無理だし、クオリティーも一定にならないので現代にフィットしない。さらに調べると琉球藍は、沖縄で自生している植物なのに日差しに弱いなど、栽培に苦労も多い。なのに若い自分たちが、高齢者にお願いして(栽培を)依頼するのはだいぶ違うな、と」。嘉数代表が山原(やんばる)の耕作放棄地を借り、その場所に行ってみると「長い間、耕作放棄地だったので単なるジャングル(笑)。周囲に人家はなく、テントと寝袋を持ち込んで一人で寝泊まりしながら開墾したが、夜になると野犬の群れがテントの周りをぐるぐる回っていて怖かった。一生分のソロキャンプをした気分だ」と振り返る。
天候に左右される農業なので苦労は絶えない。「昨年は豪雨で畑の大半が駄目になった。それに琉球藍は、あくまで染め物の原料なので、JAなどからは農作物として認定されておらず、トラクターを借りるためのローンが組めない。今は農業法人を作り、ウコンなど琉球藍以外の農作物も栽培することでローンを借りられるようになった」。
現在は琉球藍を年10トン収穫できるまでになった。琉球藍の染色の原料になる「泥藍」に換算すると1トン、衣服の染色量に換算すると1000着ほどになる。藍葉を収穫して水に漬け込む梅雨時の作業は、屋根があるだけの屋外の小屋での重労働だ。「琉球藍は本州のタデ藍の製法と異なる、沈殿藍(泥藍)で、かなり古くから変わっていなかった」。そこで嘉数代表が取り組んだのが、合理化と科学的な知見の導入など、製法のアップデートだ。2019年には沖縄県の産官学連携事業として徳島県農業研究センターの技術指導を受け、経験と勘に頼りがちだった漬け込みや発酵プロセスでpHを計測し調整するなど、試行錯誤を繰り返しながら少しずつ知見を蓄えている。「農地では琉球藍だけでなく、タデ藍やインディゴ藍の栽培にも取り組んでいる。タデ藍の方が琉球藍に比べて栽培しやすい。『琉球藍』を存続させることは大前提だが、いろんな藍のハイブリッドがあってもいいと思っている」。
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