ファッション

「ニットの女王」ソニア・リキエルが86歳で死去

 ソニア・リキエル(Sonia Rykiel)が8月25日、パーキンソン病との闘病の末、死去した。86歳だった。

 赤毛と生意気な性格で有名なソニアは、ボーダー柄やスパンコールをあしらったカラフルなニットが人気だった。米「WWD」は彼女を「ニットの女王」と命名し、その名前が定着した。

 フランス・ヌイイ出身のソニアは、夫が経営していたブティック、ローラ(LAURA)のためにニットなどをデザインしていた。1962年に出した"プア ボーイ(Poor Boy)"セーターが大ヒット。夫と離婚後、68年に「ソニア リキエル(SONIA RYKIEL)」 を立ち上げ、サンジェルマン地区にショップをオープンした。ブランドはすぐに人気を集め、69年にはギャラリー・ラファイエットに出店した。官能的であることを大切にした彼女は、71年に初めてロゴセーターを出した。「センシュアス(Sensuous、官能的)」の文字を施した同セーターは、ベストセラーになった。女性のためのフェミニンな洋服を手掛け、彼女のスタイルは度々エキセントリックで"まさしくフレンチテイスト"と述べられた。また、女性は自分で自身のファッションを定義づけるべきだと信じ、78年にはリアルな女性のワードローブを表現すべく他のデザイナーの服と混ぜてコレクションを発表した。

 ファッション以外にも活躍の幅を広げたソニアは、写真集や小説を出した他、ホテルの内装デザインも手掛けた。

 彼女はブランドを家族で経営し続けた。1995年から娘のナタリー(Nathalie)がマネジング兼アーティスティック・ディレクターやクリエイティブ・ディレクターを務め、キッズウエアやシューズ、アクセサリーをスタートした。ブランドのメンズライン「リキエル オム(RYKIEL HOMME)」はトーマス・マイヤー(Tomas Maier)が1990?2009年、手掛けた。2012年の2月にファン・ブランズ(FUNG BRANDS)が株式の80%を取得した。現在は14年にアーティスティック・ディレクターに就任したジュリー・ドゥ・リブラン(Julie De Libran)がデザインをしている。

MILES SOCHA
訳 北坂映梨

関連タグの最新記事

最新号紹介

WWDJAPAN Weekly

27メディアが登場、これが私たち自慢の“ナンバーワン”【WWDJAPAN BEAUTY付録:化粧品専門店サバイバル最前線】

11月25日発売号は、毎年恒例のメディア特集です。今年のテーマは "ナンバーワン"。出版社や新興メディアは昨今、ウェブサイトやSNSでスピーディーな情報発信をしたり、フェスやアワードなどのイベントを実施したり、自社クリエイティブやIPを用いてソリューション事業を行ったりなど、事業を多角化しています。そのような状況だからこそ、「この分野ならナンバーワン!」と言えるような核を持てているかが重要です。

詳細/購入はこちら

CONNECT WITH US モーニングダイジェスト
最新の業界ニュースを毎朝解説

前日のダイジェスト、読むべき業界ニュースを記者が選定し、解説を添えて毎朝お届けします(月曜〜金曜の平日配信、祝日・年末年始を除く)。 記事のアクセスランキングや週刊誌「WWDJAPAN Weekly」最新号も確認できます。

@icloud.com/@me.com/@mac.com 以外のアドレスでご登録ください。 ご登録いただくと弊社のプライバシーポリシーに同意したことになります。 This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.

メルマガ会員の登録が完了しました。