六本木の東京ミッドタウン内にある展示施設21_21デザインサイト(21_21 DESIGN SIGHT)は2月23日、企画展「写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−」を開始した。開催に合わせて、写真家のウィリアム・クライン(William Klein以下、クライン)が来日し、22日のプレビューおよび23日の一般向けイベント「ウィリアム・クラインスタジオによるトーク」に出席した。57年振りの来日の印象や写真にまつわる話について、ユーモアを交えながらゆっくりと語った。
ーさまざまな作家が参加する今回の展示に参加した感想は?
クライン:こういった経験は私にとって全く初めてではなくて、これまでにもあったよ。
ー2020年にオリンピックを控えた今の東京をどのように感じている?
クライン:前回東京に来たのは1961年のことだった。ちょうど日本がオリンピック開催の準備をしていた頃で、いってみれば非常に心地よい混乱と興奮、熱気がそこにあった。50年以上の時を経て、再びその興奮を目の当たりにしたいと思って日本にやってきたんだ。
ー今一番撮りたい都市は?
クライン:わからない。
ーあなたの作品は黒の強さが印象的だが、クライン作品の黒はどういう色?
クライン:黒は黒かなあ(笑)。
ーあなたはニューヨーク出身だがパリに住もうとした理由は?
クライン:パリで生活してみて気付いたことがあるよ。ニューヨークでの生活は、そこに住む人たちが信じているほどには、素晴らしくないのかもしれないということだ。そこに住んでいる人たちはニューヨークを世界の中心、世界のトップであると信じているが、パリに来て、違う見方があるんじゃないかと思った。パリに渡ってみて、良い選択をしたと感じたよ。パリに着いてニューヨークを振り返って見ると、ニューヨークの喧騒は少し行き過ぎているように思えた。でも、ニューヨークの道の風景や、どこかの扉を写した写真は、私の大切な思い出の一部なんだ。
ーお気に入りの美術館や公園は?
クライン:庭の中に住んでいるようなものだよ。というのも、パリのリュクサンブール公園に面したところに家があるんだ。
ーあなたが短期間師事した画家のフェルナン・レジェ(Fernand Leger)との出会いはどのようなものだった?
クライン:私がパリに渡った時、2つの選択肢があった。美術学校に入るかアーティストの元で何かの職に就くかだ。その時に、当時の最先端ではなかったけれどもレジェに関心を持った。彼は印象派の後に、都市の風景を描き出した画家だが、その描き方に私はワクワクするような感覚を抱いた。そして彼が、どのように20世紀的なビジョンを会得したのかを理解したいと願った。昨夜、東京の街が巨大なおもちゃのように見えたということに、新しい都市の見え方というものを見てとったような気がしてうれしかったよ。
ーカメラの主流がフィルムからデジタルに変わって、これから心掛けるべきことは?
クライン:メモリーカードが必要だね(笑)。
ー15年に「Brooklyn+klein」を出版したが、今後のプランは?
クライン:昨夜は六本木の大通りを歩きながら夕食をとったよ。東京の街は巨大なおもちゃのように、あるいはゲームのように感じられた。そこは写真、レストランなどさまざまなものに溢れていて全てが楽しく、その姿を捉えたいと思った。