サルヴァトーレ フェラガモ(SALVATORE FERRAGAMO以下、フェラガモ)の創業者であるサルヴァトーレ・フェラガモ氏の妻、ワンダ・ミレッティ・フェラガモ(Wanda Miletti Ferragamo)さんが19日に死去した。96歳だった。
1960年に夫のフェラガモ氏が62歳で逝ってから6人の子どもたち――98年に死去した長女でデザイナーのフィアンマ・フェラガモ(Fiamma Ferragamo)さん、バイス・チェアウーマンを務めるジョヴァンナ・フェラガモ(Giovanna Ferragamo)さん、 2018年に死去したフルビア・フェラガモ(Fulvia Ferragamo)さん、会長を務めるフェルッチオ・フェラガモ(Ferruccio Ferragamo)氏、そしてマッシモ・フェラガモ(Massimo Ferragamo)氏、レオナルド・フェラガモ(Leonardo Ferragamo)氏――を支援する家族の長としてフェラガモの発展に寄与し、06年からは名誉社長を務めていた。
故人の子どもたちは社内宛ての文書で「一族全員にとって非常につらい時である。母は清廉さと情熱をモットーに人生に挑んだ特別な人だった。その貴重な教えと思い出を私たち全員で共有したい。知性、確固とした人格、そして明確な運営方針で、フットウエアしか扱っていなかったフェラガモを、ウエアやアクセサリー、フレグランスまでも扱うファッション企業へと発展させた」と追悼した。
1921年生まれのワンダさんは、18歳の時にサルヴァトーレ・フェラガモ氏と結婚。夫が死去するまでビジネスに本格的に参加することはなかったが、長時間かけて靴のスケッチを完成させていく様子や、デザインからPR、顧客対応までほぼ夫自らが対応している姿から、ビジネスについての知識を学んでいたという。
ワンダさんは90代になっても仕事を続けており、つい最近までフィレンツェのオフィスにも出勤し、ミラノでのコレクションショーにも出席していた。いつでも洗練された装いを欠かさないビジネスウーマンだった。イタリア国内外で多くの名誉ある勲章などを受章しており、95年には英国女王より大英帝国勲章を、2004年にはイタリア共和国功労勲章のカヴァリエーレ・ディ・グラン・クローチェを受章している。
故人の死を悼み、イタリアファッション業界の重鎮たちが続々と哀悼の意を表している。16年までフェラガモの最高経営責任者を務めたミケーレ・ノルサ(Michele Norsa)氏は「思いやりに富み、寛容で愛情深く、親しみやすい人だった」と話した。「常に良い状況になるように周りに目を配っていた。私も彼女のおかげでフェラガモ一族と打ち解けることができた。鋭い洞察力の持ち主で、明確な経営方針を持っていた。決断が必要なときには、経済的な理由だけにとらわれずに正しい決定を下していた。会議でも重要な存在で、常に周りへの気遣いを示しながら、皆のやる気を引き出す統率力を持つ人だった。会社の全ての従業員を大切にしており、彼女と話すだけで2倍、3倍の力が湧いてくるような、明るく前向きなエネルギーを与えてくれた」と語った。
ジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)氏は、「善意ある思慮深さと起業家精神をあわせ持ち、ファッションを美の表現へと発展させた象徴的な人物だった。彼女の死による空虚感は否めないが、イタリアのファッション産業を支えたその偉業はこれからも語り継がれるだろう」とコメントした。
シルヴィア・フェンディ(Silvia Fendi)「フェンディ」クリエイティブ・ディレクターは「イタリアファッションのパイオニアであり、代弁者だった。偉大な女主人であると同時に疲れを知らない起業家で、会社の発展のためにゆるぎない情熱を注いで活動を続けていた。女性としては1960年代には非常にまれな存在でもあった。彼女の仕事ぶり、献身、情熱はどの世代にとっても手本となるものだ」と話した。