ロンドン・ファッション・ウイークでは、多くの若手デザイナーが活躍している。大手メゾンが集中する商業的なパリやミラノ、ニューヨークと比べて、ロンドンのスケジュールに並ぶ多くのブランドはビジネス面やプロダクションではまだまだ発展途上。しかし奇想天外なクリエイションからは、怖いもの知らずのエネルギーが満ち溢れており、他の都市にはない個性が輝く。ファッション・ウイークを運営する英国ファッション協議会(BFC)も若手支援に積極的で、若者が才能を発揮しやすい環境という点では世界随一といってもいいだろう。日本から訪れている若者の多くは、2年間の就労ビザがおりるワーキングホリデーを利用し、ブランドのインターンや主力スタッフとして実戦経験を積んでいる。
2019-20年秋冬シーズンのロンドン・メンズ・ファッション・ウイークで初のショーを披露した英国ブランド「オマール アフリディ(OMAR AFRIDI)」を弱冠24歳で率いる市森天颯(はやて)もその一人だ。市森は武蔵野美術大学でファッションデザインを学んだ後、創業者オマール・アフリディにその才能を認められて17年から同ブランドの前身である「レオン バラ(LEON BARA)」のデザイナーに就任した。
19-20年秋冬シーズンからはブランドコンセプトを改めて、創業者の名を冠した現ブランドに一新。学生時代からの友人である菊田潤を招いて2人でコレクションを制作した。1月のロンドンメンズまでわずか2カ月という短い制作期間だったにもかかわらず、2時間にも及ぶプレゼンテーションを無事に終えた。3月18日からは、東京・太子堂の古着店モールス(MORSE)で日本初の展示会も控えている。ショーを終えた両者に、異国の地でデザイナーとして活動するに至った経緯や手応え、今後挑戦したいことなどを聞いた。
−−「オマール アフリディ」のデザイナーになった経緯は?
市森天颯「オマール アフリディ」デザイナー(以下、市森):ブランド創業者のオマールは、日本市場の開拓を目指して日本人デザイナーを探していました。武蔵野美術大学の教授を務めているパトリックとオマールが偶然知り合いになり、卒業制作が優秀賞に選ばれた僕を紹介してくれたんです。
−−海外でデザイナーとして挑戦したい気持ちはもともと強かった?
市森:そうですね。母が杉野服飾大学の卒業生で、物心がついた頃には家にミシンがありました。母は今でも東京で服を作ったり、革小物を作ったりしていて、53歳にしてファスナー工場でインターンをするほどすごくアクティブな人。父も洋服とイギリスが大好きで、「旅行でもなんでもいいから、自分のお金でとにかく海外に行け」と昔から言われていて、両親から受けた影響で今があります。最初はパリに行き、バックパッカーで9カ国回って、大学卒業後に住みたい国を本格的に探していました。
菊田潤「オマール アフリディ」デザイナー(以下、菊田):僕は高校時代からスタイリストのアシスタントとして経験を積み、卒業後はファッションを本格的に学ぶためニューヨークの名門校パーソンズ(・スクール・オブ・デザイン)に進学すると決めていました。ただ親にはあっさり反対されてしまいましたが、それでもファッションを諦めたくなかった。大学生時代にアルバイトしながら、ポートフォリオのために展示会を2度行いました。市森と出会ったのはその頃です。
−−ロンドン行きのきっかけは?
市森:彼とは東京・北青山のフリーマンズ・スポーティング・クラブ(FREEMANS SPORTING CLUB)でアルバイトしていた頃に知り合い、すぐに意気投合しました。出会った初日、休憩中に菊田から「ロンドン行こうよ」と急に誘われて、ロンドン行きを決意したんです(笑)。その後、セント・マーチン美術大学のショートコースをとるために本当にロンドンに行きました。菊田はFCP(ファッション・コミュニケーション・プロモーション)、僕はスカルプチャーとポートフォリオを作るコースを選びました。
−−他の都市にはないロンドンの魅力は?
菊田:若者にエネルギーがあって、何でも受けて入れてくれる懐の深さがあります。やり方は問わず、結果さえ出せばいい評価がもらえる。あとはファッションに携わるうえで、ロンドンにいる方が素の感覚でいられる気がします。ロンドンでは自分が好きでみんなオシャレをするけれど、日本では誰かに見られるためにオシャレをしている人が多い。そのへんの感覚が一番大きな違いです。自分が着たい服を素直に着られる自由なムードがあるのも、ファッションを学びたい人が多く集まる理由かもしれません。
市森:東京だと直感的に「これは着れない」と思う服でも、ロンドンだと普通に着れてしまいますからね。あとはいろいろな国を巡って思うのは、ファッションや環境、カルチャーなど全てのバランスがいいということです。生活をするうえで、日常のあらゆるところに面白いことがあるので刺激を受けています。もちろん、有名なセント・マーチン美術大学があることも大きいです。
−−普段の生活に苦労はない?
市森:今はスタジオに住み込みで作業をしています。食事は毎日自炊し、服も古着を買うことが多いので、ほとんどお金はかかりません。5ポンドの服を買うこともあれば、1ポンドもしないカキを食べてあたることもありますけど(笑)、チームで食卓を囲むことでコミュニケーションがとれるし、安くていい服を自分の足で探すことも楽しいですから。ロンドンは物価が高いですが、ギャラリーや美術館の多くは無料ですし、住み慣れると大変なことはありませんでした。長くロンドンに住んでいる日本人の方も多く情報交換もできるので、特に困ることはありません。
−−1月のロンドンメンズに合わせてリブランディングを行った意図は?
市森:前身のブランドでは、本当に自分がやりたいこととは少しズレを感じ始めていました。ブランド名を残したままクオリティーや価格帯を見直すよりも、今後ビジネスを広げていきたいタイミングで思い切ってリブランディングした方がいいと判断し、ブランド名を創業者の名前に改めました。
菊田:「レオン バラ」はテクニカルな素材の服や機能性が強みでした。市森がズレを感じていたタイミングで僕もブランドに参加し、2人で話し合いながらリブランディングを進めました。2人の好きなことを素直にミックスした結果、「オマール アフリディ」の世界観が完成しました。
−−インスタレーションで発表した19-20年秋冬シーズンのイメージは?
市森:コレクションは、遊牧の中で羊や馬と一緒に生活する人たちのことを指す“パストラル・ノマディズム”をキーワードにしています。遊牧民がどういう風に生活しているのかをリサーチしていく中で、オーストラリアのアボリジニーアートを見つけました。それがすごく面白くて、天井画や壁画をイメージしてプレゼンテーションの世界感を作り上げました。また、創業者オマールのバックボーンであるアフガニスタンについてもリサーチしました。彼らが普段着用している伝統的なシャツのデザインなどからも着想を得ています。
−−初めてのファッション・ウイークを終えた感想は?
菊田:市森は18年10月3日から、僕はその翌日からロンドンに入ったので、2カ月でコレクションの制作からプレゼンテーションの準備まで全てをやる必要がありました。リブランディングのタイミングということもあり、いったいどれぐらいの人が見に来てくれるのか内心ドキドキでした。誰も来なくても、自分たちのアートワークを残せるからいいと開き直っていたのですが、結果的に多くの人が見に来てくれたので嬉しかったです。
市森:とにかく緊張しました。この規模や人数でのプレゼンテーションは初めてだったので、全く先が読めなかった。数分で終わるランウエイショーとは違い、2時間のプレゼンテーションではどういう風に構成するべきかなど、いろいろ迷いもありました。空間の構成にはギリギリまで時間を費やしました。他のブランドのプレゼンテーションも見ましたが、自分たちがやったことは間違いではなかったなと感じます。
−−今後チャレンジしたいことは?
菊田:「オマール アフリディ」はまだまだこれからのブランドなので、この規模だからこそできることに挑戦したい。今はやりたいことができているけれど、この先も継続していくために一歩一歩着実に進んでいきたいですね。
市森:アトリエの地下にある倉庫をペイントして空間を作っていて、夏をめどにショップやギャラリースペースとしてオープンする予定です。場所はセントラルロンドンのピムリコという閑静な住宅街で、ファッションのトレンドを生み出すようなエリアではありません。でもここには自分たちが目指すモノ作りやスタイルがある。ブランドの世界観を表現し、発信していける空間にしたいです。