ビューティ
連載 クリエイターたちのお仕事変遷

仕事が絶えないあの人の、“こうしてきたから、こうなった” 橋本宗樹カラーズ代表編

 転職はもちろん、本業を持ちながら第二のキャリアを築くパラレルキャリアや副業も一般化し始め、働き方も多様化しています。だからこそ働き方に関する悩みや課題は、就職を控える学生のみならず、社会人も人それぞれに持っているはず。

 そこでこの連載では、他業界から転身して活躍するファッション&ビューティ業界人にインタビュー。今に至るまでの道のりやエピソードの中に、これからの働き方へのヒントがある(?)かもしれません。

 連載第5回目に登場するのは、東京発のオーガニック・ナチュラルコスメメーカー「カラーズ」の橋本宗樹代表です。「マツモトキヨシ(以下、マツキヨ)」のプライベートブランド(以下、PB)「アルジェラン(ARGELAN)」、自社ブランド「ザ パブリック オーガニック(THE PUBLIC ORGANIC)」を中心に企画開発から販売までを手がける同社は、群雄割拠の自然派コスメ市場にあってひときわ存在感を放っています。マーケティングや広告制作に携わった後に化粧品業界に転身し、いまや“マスマーケットにオーガニックコスメを浸透させた革命児”とも形容される橋本社長の仕事変遷と美学に耳を傾けました。

WWD:以前はマーケティングやプロダクションに関わるお仕事をされていたのですね。

橋本宗樹代表(以下、橋本):2000年の「カラーズ」設立時は、プロダクション業務として主にイベントや広告制作を手がけていました。海外アーティストを招いての音楽イベントや、クリエイターやアーティストの展示会などに携わることも多かったですね。イギリスの「スリンキー(SLINKY)」というクラブを3カ月限定で芝浦に再現するというプロジェクトも担当しました。本家と同じ音響を用意し、バーテンダーもわざわざフランスから来てもらいました。その期間、月曜から金曜の昼間はオフィスに、日が暮れると仕事を兼ねてクラブへ通うという毎日でした。カルチャー系のクリエイターと仕事でも遊びでも時間を共にしていました。愛読誌は「スタジオボイス(STUDIO VOICE)」「流行通信」「トキオン(TOKION)」「スペクテイター(SPECTATOR)」など。この時代に得た気づきや発見は、コスメブランドを立ち上げる際に役立ちました。企画やクリエイティブ、プロモーションの手法は、プロダクション時代のノウハウがそのまま生きています。

WWD:アーティストと企業の間に立って仕事する中で、苦労したことはありますか。

橋本:クラブのレセプションパーティーでのこと。海外の某人気DJをブッキングしていたんですが、時間になっても来なかったんです。連絡をしてみたら、出国さえしていなくて……。(来られない)理由を尋ねると、「彼女が風邪を引いたから」と(苦笑)。

急きょ代役を探しまわり、なんとかその日を乗り切りました。海外アーティスト、しかもアンダーグラウンドなカルチャーと、協賛してくださる国内企業の常識をすり合わせするのは気苦労の連続でしたね。そもそも企業の方々にしてみれば、海外DJのバリューは理解しづらい。そんなときは「野球で言うと、清原(和博)やノリ(中村紀洋)と同じぐらい力のある人なんです」と説明することもありました。アーティストのドタキャンを含め、さまざまな経験を積ませてもらいました。20代半ばから30代頭の頃ですね。

WWD:そこから、どのようにコスメを手掛けるようになったのでしょうか。

橋本:当時キャンペーンビジュアルの制作やノベルティの制作をさせていただいていたマツキヨから、PBのコスメ開発をご依頼いただいたことがきっかけです。あくまで個人的な見解ですが、カルチャーやクリエイティブのトレンドを発信する僕らの仕事を見て、時代に合うおしゃれなものを作ってくれそうだと考えてくれたのかもしれません。とはいえ、化粧品については全く分からない。とにかく“いいもの”を作るんだ!という志が先行した、手探りでのスタートでした。

最初は、OEM(相手先ブランド生産)企業に話を聞いてもらおうとしても門前払いでした。ドラッグストア大手であるマツキヨのPBとはいえ、OEM企業側にしてみたらこういった問い合わせは山ほどありますから。加えて、コスメ業界で経験のない僕たちはなかなか信用してもらえない。市場や化粧品成分について勉強をしながら工場へ足しげく通い、ただ誠意を見せていくしかありませんでした。

なんとかパートナーとなってくださったOEM企業と試作品を作る過程でも、壁にぶつかりました。僕らがイメージする使用感を情緒的に表現できても、それを改良指示として的確な言葉にすることができないんです。「このようなテクスチャーにしたいです」というこちらのリクエストに対して、「この成分はどう?」と提案していただくわけですが、その成分の特徴が分からないので、調べて理解するのにもまた時間がかかりました。それでも根気よくお付き合いいただいたOEM企業の方々には、感謝の気持ちしかないですね。構想から約2年をかけ、08年にデビューしたのがヘアケアブランド「ルンタ(LUNG TA)」です。ふたを開けてみれば、マツキヨ担当者も驚くぐらいのヒットブランドとなりました。サロン品質のような仕上がりと即効性を感じるアイテムをドラッグストアで購入できる、という点が受け入れられたのかと思います。

WWD:「ルンタ」の次はオーガニックコスメを作ろう、という思いがあったのでしょうか。

橋本:いいえ、当時からオーガニックを意識していたわけではありませんでした。もともと、作家の落合信彦さんや映画「009」のような“真実を暴く!”的な世界観や、ジャーナリスティックな思想に憧れがあって(笑)。コスメの生産や流通に携わる中で、農薬や環境破壊、労働搾取といったモノ作りの暗い陰の部分を知りました。オーガニックコスメに目を向けると、肌や環境に優しいといった側面だけでなく、人生における哲学や奥深いストーリーに溢れていると気づきました。イギリスの自然派コスメブランド「ザ・ボディショップ(THE BODY SHOP)」の創業者アニータ・ロディックの姿勢にも共感していました。フェアトレードの取り組みや、HIV/エイズ啓発、DV(ドメスティックバイオレンス)根絶キャンペーンといった社会的なメッセージを発信する彼女のスタイルに、「009」に通じる反骨精神を感じたんです。こうした社会的に意味のあるコスメを国内で作りたいという思いから、オーガニックコスメの世界に足を踏み入れることになりました。

WWD:なるほど。まずはどういったことをしたのですか?

橋本:08年から12年にかけて、ミラノ、ローマ、フィレンツェ、パリ、マルセイユ、グラースなど色々な都市で市場調査をしていたのですが、小さな町の薬局からセフォラ(SEPHORA)にいたるまで、オーガニック認証のコスメが置かれていることに驚いたんです。日本と比べるとずっと、オーガニックが生活の一部としてなじんでいるように感じました。その頃はまだ、国内のドラッグストアでオーガニックコスメを見かけることはなかったと思います。オーガニックは少し高価で敷居の高いもの、という印象を僕自身も感じていました。

オーガニックコスメの理念や考え方をもっと広めるならマスマーケットで発信していくのが早いはずと、企画をまとめてマツキヨへ提案に行きました。すると、(当時の)商品部長がその場で即決。「大々的にやろう!」と、「アルジェラン」の開発がスタートしました。デビューアイテムのシャンプーとトリートメントは、マツキヨのPBの中でも記録的に売れ続けています。

“オーガニック”に甘んじない

WWD:勝因についてどのように分析されていますか。

橋本:さまざまな要素が絡み合っているので、これ!というのは言えませんが、気をつけているのは、“オーガニックであることに甘んじない”ということ。「オーガニックだから使用感がイマイチでも仕方がない」「オーガニックだから値段が高い」というのが、これまでの定説だったかもしれません。でも「そうじゃないでしょう」という意識が根底にあります。

手に取りやすい価格であることに加えて、「使ってみたら実はオーガニックだった」という満足感が、選んでいただけている理由の一つなのかな、と考えています。例えばもともとオーガニックコスメ好きではない人が、うちの化粧水を使った時に「いいじゃん、この化粧水!」と思ってもらえる、そんな製品を目指しています。

あとは、パッケージでしょうか。多種多様なアイテムが所狭しに並ぶドラッグストアの陳列棚は、カラフルなパッケージも多いですよね。だからこそ、「アルジェラン」はミニマルなデザインで洗練感を強く意識しました。マスマーケットにおけるプロダクトデザインの新しい方向性を切り開けたのかなという自負はありますね。

WWD:続く16年デビューの「ザ パブリック オーガニック」は独自のブランドです。どのようなことを意識したのでしょうか。

橋本:“東京だからできる”“東京だから作るべき”オーガニックアイテムを作ろう、という気持ちを形にしたブランドです。現在は、ヘアシャンプー&トリートメント、カラーリップクリーム、快適な睡眠のための精油ディフューザーやピローミストなどをそろえています。東京はメトロシティーであり、最新のテクノロジーに囲まれている。とても便利な一方で、ストレスフルな環境でもありますよね。東京に限らず、忙しい現代人は自律神経やホルモンバランスの乱れによって不調を抱えやすいと思います。精油の力を借りてストレスをケアすること」­——。それこそが僕らの今後の使命として、“心と体に働きかけるホリスティック精油美容”をテーマに据えました。

ブランド立ち上げの準備をする中で、植物療法士の森田敦子さんが主宰するスクールに通い、AMPP認定メディカルフィトテラピストの資格を取得しました。フィトテラピー、つまり植物療法の本場フランスでの研究や知見、ノウハウを受け継いだカリキュラムを基に、薬草と精油の科学的・化学的な知識を深めることができました。社員にもこの資格の取得を積極的に推進しています。

WWD:精油について本格的に学ぶことで製品作りへの変化はありましたか?

橋本:「精油=ただ香りが良くて癒やされる、どころじゃない!」と、肌と心に対する植物の作用にあらためて驚かされました。授業の中では、人間の細胞や女性の体の仕組みについても学びました。この精油が体のどの器官に作用して、どのような心の変化があるのかということを知れば知るほど、嗅覚からストレスを解消できると確信しました。この頃にはすでにマスマーケットでも、オーガニックコスメと呼ばれる製品が勢いを増していました。ただ、100%天然精油にこだわったブランドは希少な存在だったと思います。

WWD:厳選した原料や製法ということだけではなく、エビデンス(科学的根拠)へのこだわりや専門家とタッグを組んだ論理的なアプローチも際立っています。

橋本:そうですね。現在「ザ パブリック オーガニック」の取り扱いは7000店舗以上です。マスマーケットの中にあって大多数のお客さまに製品の魅力を伝えるためにも、データは大きな武器になると思っています。オフィスと併設したこのラボも16年にオープンしました。ここでデータを集積し、処方から開発までを行っています。研究員が企画や広報に携わるスタッフと近い距離にいることで、コミュニケーションからアイデアが生まれ、より良いものがスピーディーにできると考えています。

WWD: 「ザ パブリック オーガニック」のヘアケアはベストコスメ 1位を多数獲得するなど絶好調に見えますが、これまでにピンチはありましたか?

橋本:ありますよ。小さな失敗は数え切れないほどあります。でも、すぐに忘れるんです(笑)。最初の「ルンタ」の立ち上げ時は、なにしろお金がなかったですね。OEMへの支払いを最大限待ってもらうため、頭を下げ続ける日々でした。

独立当時、社員は僕を含めて2人。渋谷の南平台にあるマンションの一室がオフィスで、友人のデザイン事務所を間借りしていました。販売元として製品ラベルに会社の住所を書かなきゃならない、となったときのこと。「マツキヨのPB製品の販売元が、〇〇ハイツ〇〇号室だなんてヤバいだろう」と、“背伸びをして”なんとか格好が付きそうな南青山のマンションへ引っ越しをしました。広告ビジュアルを作るにもお金がなくて、撮影は自宅で敢行。プロのモデルさんにオファーをする余裕もないので、ヘアカタログを見て、サロン経由でモデルさんをお願いしました。カメラマンもヘアメイクも友人たちの手を借りました。でも、販売元として記載する住所には、建物名も号室も書かなくても問題はないということを最近知ったんですけどね(笑)。

※19年上半期ヘアケア部門

WWD:17年にはフレグランス「トバリ(TOBALI)」をフランス・パリでローンチされました。

橋本:「トバリ」は、日本の誇るべき香り文化を世界に発信したいという思いで始めました。パリでのデビューの翌年2月より国内販売を始めています。歴史をさかのぼると、平安時代には天皇や貴族たちが自己表現として競って香りを作っていました。西洋では調香師が行うことを、当時の日本人は自らのレシピによって嗜んでいたのです。それには財力に加え、知性や芸術性も求められます。こうした香りの文化を持っていたのは日本だけだと思います。白のボトルデザインは、御神酒(おみき)をイメージしています。「世界のフレグランス市場の中で、日本の香りここにあり」」——そんな存在になれたらいいですね。

100点より目指すのは200点

WWD:ブランドも増え仕事の幅もますます広がっていますが、仕事をする上でのマイルールはありますか。

橋本:常に新しいことにアンテナを張り、これまで世の中になかったものやアプローチを生み出したい、という姿勢はずっと変わっていません。その中で自分の感覚を信じて核心を突き詰めることを大切にしています。何かのまねをしたり、100点を目指せば70点や80点止まりかもしれないけれど、200点を目指していたら150点が取れることもあるんです。「100点を目指すな。その上を目指そう」——。これは社員にも伝えていますね。

WWD:今後の目標について教えていただけますか。

橋本:長期的な目標は持続可能なプロジェクトを拡大していくこと。農家があり、植物があり、精油があることで心と体をケアすることができる。こうした循環を国内でもっとできたらいいですね。フランスなどでは地域や組合が蒸留器を持ち、畑を共有していたりします。国内で足りないのは、精油を作る環境と人です。地方では特に耕作放棄地という問題もあります。精油を作り、きちんと消費していく。そこでビジネスが成立して拡大していくこと。その先頭に立って、自分たちがやるべき方法で社会に貢献できればと考えています。

WWD:橋本さんにとって仕事とは何でしょうか。

橋本:情熱の源です。そして人生の最も大きなパートの一つです。人生って、夢に向かってどれだけ情熱を燃やせるかだと考えています。仕事はその情熱を燃やすことのできる最も身近なものだと考えています。

そして、倒れるときは前のめり。これまでも壁に直面するたびに、やらないで後ろ向きに倒れることはしませんでした。チャレンジして失敗した方が自分の糧になる。その時はつらくても、きっと目指す場所への近道になるはずです。

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