18scott/ラッパー
PROFILE:1993年生まれ、神奈川・藤沢出身。高校生で初めてヒップホップクルーMAD VIBES CASTを結成し、その後CreativeDrugStoreに加入。約2年の活動期間後に脱退し、ソロ活動をスタート。プロデューサーでトラックメーカーのSUNNOVAとの活動を経て、2021年12月に1stソロEP「SCHOOLBOY」をリリース。セレクトショップのシップス販売員としての顔も持つ
2021年12月、28歳の日本人ラッパー18scott(ジュウハチスコット)が1stソロEPをリリースした。10代でのデビューも少なくないヒップホップ・シーンにおける“遅咲きのルーキー”は、その1枚で自身の挑戦が間違っていなかったことを証明してみせた。
小学生でヒップホップと出合い、高校生でマイクを握り、大学生で初めてステージに立った18scott。彼の音楽を一度聴けば、その確かなスキルと豊かなバックグラウンドの土壌に気付くはずだ。では、なぜ28歳までソロ作品を出さなかったのか。もしくは出せなかったのか。その苦悩と葛藤をバイオグラフィーと共に語ってもらった。さらに今月リリースしたばかりの2ndミニアルバム「SCHOOLBOY」に込めた思い、そしてセレクトショップのシップス(SHIPS)で働くスタッフとして並々ならぬファッション愛についても聞いた。
ーーまずは、ヒップホップとの出合いから教えてください。
18scott:父親が漫画家で、職業柄かは分かりませんが、とにかくいろいろなカルチャーを与えてくれる人で、小学校低学年の時に教えてもらった中の一つがヒップホップでした。最初は、KREVAさんやKICK THE CAN CREWさんなどジャパニーズ・ヒップホップ(以下、J-Rap)が中心で、自発的に音楽を吸収しようと思って聴き始めたタイミングでエミネム(Eminem)やリル・ウェイン(Lil Wayne)らのUSラッパーも教えてくれましたね。ほかにはプロレスが好きで、いわゆる日本で生まれ育つ一般的な小学生が通ってきたゲームやアニメにはあまり惹かれず、「ポケモン」の最新作をほしがるよりもプロレスを観たがる謎な子どもでした。
ーーその頃からすでにラッパーになることを思い描いていたのでしょうか?
18scott:ヒップホップに限らず、プロレスしかり、好きになったら自分もステージに立ちたくなるタイプだったので、漠然と夢を見ていましたね。でも、どうすればいいか分からなかったし、ハッキリと意識し始めたのは高校2年生の時です。中学校の同級生だったin-d(現在ヒップホップ・クルーCreativeDrugStoreのメンバーとして活躍するラッパー)が、高校の同級生だったBIM(同じくCreativeDrugStoreのメンバーとして活躍するラッパー)と、高校は別だった僕を誘う形で、3人組のヒップホップ・クルーMAD VIBES CASTを結成したんです。ただ、僕の大学進学もあってすぐに解散して、ちゃんと楽曲を製作してリリースするようになったのは大学生になってからですね。
ーーそもそも、in-dさんとの出会いは?
18scott:地元が近くて、中学校が偶然一緒だったんです。その中学校は制服通学だったんですけど、中学2年生で「ア ベイシング エイプ®(A BATHING APE®)」の“ベイプスタ(BAPE STA)”を履き、「ステューシー(STUSSY)」のバックパックを背負って、足元やバックパックで周りとの違いを作るくらいファッションの熱が高くて(笑)。だからこそ私服で行く修学旅行は戦いで、僕が「ベイプ」のタイガーパーカを着ていたら、in-dが「俺、シャークパーカ持ってるよ」って対抗してくるような関係性でしたね(笑)。なので、ヒップホップではなくてファッション先行の縁なんですけど、結局好きだった裏原系のファッションはJ-Rapとも密接なので聴いている音楽も一緒で、それから仲良くなりました。
ーー大学進学後、18scottを名乗る前はCreativeDrugStore(以下、CDS)のメンバーとして一時活動していたそうですね。
18scott:高校3年生から2年ほど所属していたんですけど、当時の僕はめちゃくちゃ問題児で協調性が無かったんですよ。CDSは、2010年代初期からSNSでプロモーションしたり、ユーチューブに動画をアップロードしたり、自分たちのブランドを立ち上げたり、今では当然のことだけど当時ではかなり新しい動きをしていました。その中で、僕は“自らユースカルチャーを作っていく”ようなアクションに対して、「音楽だけに向き合った方がいいんじゃないか」「ブランドを運営することは音楽活動に支障をきたすんじゃないか」って疑問を持ち、撮影に行かなくなっていくなど、とにかく非協力的で……。今思い返すと、ただただ僕が頑固で彼らのことを理解できていなかったと反省しかないです。CDSの活動にフィットできずに勝手に辞めてしまったのが20歳くらいの時で、それからソロとしての活動を始めました。
ーーそれでは、ソロとして活動する中で18scottと名乗るようになった理由は?
18scott:“scott”は、1980年代のプロレスブームの時に活躍していたプロレスラーのスコット・ホール(Scott Hall)が由来ですね。活躍していたのはもちろん、ラッパーのようにゴールドチェーンを首から掛ける見た目もカッコよかったんですよ。“18”は特に意味がなくて、とにかく数字を入れたかったので“scott”に合う語呂のいい数字を選んだだけです(笑)。数字にこだわったのは16FLIPさんというビートメーカーの影響で、彼のステージ名はMPCにある16個のパットとスケボーの技のフリップを組み合わせていて、“FLIP”には“ネタを裏返す”みたいな意味も込められているらしく、それに憧れて数字と英単語を組み合わせました。
ーーソロ活動を開始し2021年に1stソロEP「Northside Love」をリリースするより先に、プロデューサーでトラックメーカーのSUNNOVAさんとの作品をリリースしていました。この経緯を教えてください。
18scott:23歳のときに出演した恵比寿のクラブ「バチカ(BATICA)」でのイベントにSUNNOVAさんがいて、「ライブがかっこよかったから一緒に曲を作ろうよ」って声を掛けてくれたんですよ。クラブ特有のあいさつノリかと思っていたらすぐにビートを送ってくださり、それでできたのが「ALLRIGHT」って楽曲です。
「ALLRIGHT」の反応が思いのほか良かったので、楽曲をいろいろと制作しているうちに「PHONE CALL」(注:初期の18scottを代表する楽曲)が生まれ、2018年に1stダブルネームアルバム「4GIVE4GET」を、20年に2ndダブルネームアルバム「PAISLEY」をリリースしてから、本格的にソロ作品の制作に取り掛かりましたね。あと当時はビートメーカーとしても活動していて、仲のいい身内を中心にビートを提供していました。
ーー現在、J-Rapひいては世界的に見ても10代でデビューするラッパーが多い中で、21年12月に28歳で1stソロEP「Northside Love」をリリースしたのは、ある意味で狙ったタイミングだったのでしょうか?
18scott:やっぱり納得がいく作品でデビューしたかったし、自分に合ったラップスタイルや伝えたいメッセージ、ビジュアルの見せ方、やるべきことなど、全体が見えてきたのが結構遅かったんですよ。結構どんなスタイルでもこなせてしまうからこそ、20代中頃まで自分のカラーが定まらない器用貧乏のまま活動しちゃっていて、方向性が明確に固まるまでソロ作品に踏み込めずにいました。それに、SUNNOVAさんとの2ndアルバム「PAISLEY」は自分の中で満足度が高かったんですが、周りのリアクションが良くなくて、ラッパーを辞めようとまで思っていたんです。でも、ラッパーとしてソロ作品は絶対に残しておきたい気持ちがあったので、最初で最後のような気持ちで「Northside Love」の制作に着手しました。結果的に、「Northside Love」で方向性を見据えることができたし、ラッパーとしてのキャリアを続ける気持ちになりましたね。
ーー「Northside Love」から約半年後の22年7月に1stミニアルバム「People Around Me」を、さらに約半年後の23年3月に2ndミニアルバム「SCHOOLBOY」をリリースするなど、かなりのハイペースで作品を制作していますね。
18scott:自分の中で1年間に2枚のまとまった作品を出すことをルーティーン化させたくて、「SCHOOLBOY」はできれば22年中に出したいと思って制作を始めました。ただ、ちょうどこの時期にリリックが全然書けなくなってしまって、ようやく納得できたものが11月頃に作った「R.E.A.L.」だったんです。そこからは比較的いいスピード感で制作を進められましたね。
ーー「SCHOOLBOY」というタイトルに込めた意味とは?
18scott:収録曲の中で一番最後に制作した「北口5分のマンション」でもラップしているんですけど、僕はジャック・ハーロウ(Jack Harlow、アメリカを拠点に活動するラッパー)が好きで、かなり影響を受けています。彼がまだティーンエイジャーだった頃の「Started From The Middre」って楽曲があって、言うまでもなくドレイク(Drake)の「Started From The Bottom」のリミックスなんですけど、ジャックが貧困層でも富裕層でもない中流階級で育ったことをラップしていて、そのMVを観た後に「First Class」(注:ラッパーとしての成功をラップした楽曲)とかを聴くとマジで食らうんです(笑)。僕も中流階級育ちで普通に学校に通って、部活に打ち込んで、夜は家族で晩飯を囲んでいた普通の少年だったので、そんな少年が時を経て1人のラッパーとして活躍していることを1枚の作品で表現できたらと思って「SCHOOLBOY」にしました。内容とタイトルのミスマッチな感じも気に入っていますね。
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ーー「SCHOOLBOY」だけでなく、「Northside Love」や「People Around Me」でも地元・藤沢や家族をテーマにした楽曲が多く、等身大のリアルなリリックが印象的です。
18scott:「Northside Love」の時に思ったんですけど、自分がラッパーとして活動するうえで、どれだけ作品を作っても家族と地元への思いは変わらないと分かったんです。ヒップホップには少なからず環境に恵まれなかった人がのし上がることを良しとする文化があって、そういったバックボーンがほしいと思った時期もありました。だけど、恵まれた環境で育ったからこその悩みを抱えている人もいるだろうし、自分の生きてきた道を正直に楽曲にすれば、聴いてくれた人たちに何かが伝わるなって。それに、家族と地元は普遍的なものだから、僕のパーソナルなリリックでも端々で自分に通じるところが見え隠れして、照らし合わせて思いをはせることができるんですよ。
ーー作品として特にこだわった点はありますか?
18scott:僕がリリックを見ながら聴くヒップホップが好きなので、流し聴きできないような楽曲を意識した結果、これまで以上に膨大な時間を作詞の作業に費やしました。ヒップホップには“ワードプレイ”という言葉遊びの文化があるんですけど、簡単に言えば1つのワードが複数の意味につながるようなリリックだったり、繰り返して聴くと気付くようなおもしろい仕掛けですね。ちょうど今、日本の若いアーティストを中心にはやっているスタイルで、その流れとはまた別の文脈で僕もその手法を意識的に取り入れています。というのも、先輩のラッパーのサトウユウヤさんが驚くほどヒップホップの知識が豊富で、いつもいろいろと教えてもらう中で印象的だったのが、USヒップホップシーンにおける“ワードプレイ”の話でした。もちろん僕自身も知っているつもりだったのに、改めて2人でUSラッパーたちのリリックを調べていたら、たくさんの驚きと感動に出合ったんです。それから今まで以上にリリックと向き合う時間を増やして、今作に向き合いましたね。
ーー作品のラストを飾る「Cry Later - Remix」は、もともと「People Around Me」に収録されていた楽曲のリミックス版です。今回新たにBIMさんが参加した経緯は?
18scott:まず、CDSのメンバー、特にMAD VIBES CASTを組んでいたin-dとBIMとはいつか一緒に楽曲を作りたいとずっと思っていました。でも、正直僕の中でCDSという存在はコンプレックスだったというか。当時は器が小さかったので、自分がくすぶっている間に昔の仲間たちが結果を出していく姿を素直に喜べず、嫉妬の気持ちの方が強かったんです。そんな複雑な感情を抱いていたからこそ、ラフな感じで「一緒に曲を作ろうよ」とはならなくて。彼らと一緒に曲を作るには、僕自身がもっと上のステージに立たなくてはいけないという思いもあり、ベストなタイミングをずっと考えていました。そうしたら、BIMの方から「『Cry Later』のリミックスやらせてほしい!」と連絡をくれたんです。
最初はすごいうれしかったんですけど、「向こうから与えてくれたタイミングでいいのか」「今が本当にベストタイミングなのか」と熟考し、今回は断って僕が今よりも上のステージに立ったときに改めてお願いしようかなとも考えました。ただ、「Cry Later」は自分自身のキャリアがうまくいかないと感じていた時に作った楽曲で、“アイツらと比べて何が足りない”ってリリックは、暗にBIMやin-dのことをラップしていたりもするんですけど、BIMはそれも理解したうえで「この内容の曲に俺が参加するのってアツくない?」って提案してくれて。だから、BIMが作ってくれたタイミングこそがベストだと思い、ビートを送ったらその日のうちに返してくれました。
ーーBIMさんのリリックは、MAD VIBES CAST時代のことも綴っているようですが、当時の思い出は?
18scott:MAD VIBES CASTは、クルーというよりもサークルに近くて(笑)。in-dがBIMを紹介してくれて、初めて3人で会ったのが確か「サイゼリヤ」で、その場のノリで結成しましたね。当時、iPhoneの「I Am T-Pain」ってアプリがあってラップを吹き込むとオートチューンがかかったりするんですけど、それで作った楽曲を2人に勝手にひたすら送り付けていました。この僕のラップに対する異常な熱量が2人を困らせていた部分があったと思うんですけど、後から聞いたらその熱量にBIMも食らっていた部分があったみたいで。彼らが本格的に活動し始めてからは、その勢いに僕の方が食らっちゃったんですけどね......。今回のBIMのヴァースには、そんな甘酸っぱいメモリーがまとまっている手紙のような内容になっています。でも、BIMは僕が作ったその頃の音源を未だに所持していて、飲んでいると不意に流してくるので勘弁してもらいたいです(笑)。
あと、昔から「PHONE CALL」をいいって言ってくれていて、「俺が嫌いなPHONE CALL」というリリックを粋でサンプリングしています。共演自体は、CDSの時に一般流通していないポップアップ限定のVaVaくん(CDSのメンバーとして活躍するラッパーでプロデューサー)のアルバムに収録されてる楽曲で一度だけやっていますけど、ちゃんとしたリリースでは初めてですね。とにかく、BIMは本当にいいやつなんですよ。J-Rapを代表するラッパーになったけど昔からの仲間やつながりを大事にする義理堅い男で、非協力的なままCDSを抜けた僕のこともずっと気にかけてくれて、今よりも全然知られていない時期にCDSのパーティに呼んでくれたり、何度も助けられて本当に感謝しかないですね。
ーー3月25日には、そんなBIMさんも出演する「SCHOOLBOY」のリリースパーティーを渋谷のライブハウス「WWW」で開催するそうですね。
18scott:もともとは、「WWW」で開催する予定ではなかったんです。というか、いつかはやりたいけどまだ時期尚早なのかな、と思っていました。でも、とある飲みの席でイベントブッキングや企画をしている昔からお世話になっている方に声をかけてもらい、協力を得ながら挑戦してみることにしたんです。それで、僕が去年初めて主催した「ブロークン・ハーツ(BROKEN HEARTS)」という自主パーティーのVol.2というかたちで、3月25日に「SCHOOLBOY」のリリースパーティーを開催することになりました。作品に参加してるラッパーはもちろん、普段お世話になっている方々や注目のアーティストも出演するので、ぜひ遊びに来てほしいです!
ーー先ほど、in-dさんとの出会いがファッションだったとお伺いしましたが、幼い頃から興味があったんでしょうか?
18scott:そうですね。母親は普通の主婦なんですけどめっちゃファッションが好きで、その影響が大きいです。小学生の時にヒップホップを聴くようになったタイミングでストリートファッションの存在も知り、そこで音楽とファッションがリンクして中学校から一気にギアが入りましたね。普通は、高校生になったらちょっとファッションに気を使い始めるくらいだと思うんですけど、さっき話したように通っていた中学校のファッション熱がすごすぎて、それが普通だと思ったまま高校に進学しちゃったんですよ。案の定、ヤバいレベルのやつがいると認識されて、“ファッションリーダー”ってあだ名をつけられました(笑)。それが恥ずかしすぎて、すぐに調整してみんなと足並みをそろえましたね。ラッパーとして活動していく中でも、“そんなに好きじゃないよオーラ”を出している時もありましたが、今は振り切っています。好きすぎて、音楽をやるうえでちょっと気持ち悪いんじゃないかな、とさえ思うときがありますね。
ーーでは、好きなブランドは?
18scott:“ガーメント・ダイ”(縫製後の商品を染色する製法)の生地の風合いと“ナイロンメタル”(特殊な構造と染色で独特な光沢感を放つナイロン糸)が好きなので、「シーピー カンパニー(C.P. COMPANY)」と「ストーンアイランド(STONE ISLAND)」ですね。この2ブランドに関しては、デザインだけでなく素材開発から行っているところも含めて好きで、今はアーカイブをディグってコレクションすることが趣味になっています。あとは、「アークテリクス(ARC'TERYX)」と、ロンドンを中心に活動しているスタイリストのダニエル パシッティ(Daniel Pacitti)がアドバイザーとして関わっている「ジェントルフルネス(GENTLE FULLNESS)」も気になっていて、国内だと今日も着ている「サプライヤー(SUPPLIER)」ですね。クオリティーが高いのに意外と抑えめの価格帯で、リル・ナズ・X(Lil Nas X)も着用しているなどワールドワイドな動き方も面白いです。
ーーMVのファッションスタイルを見ていると、UKラッパーのようなスタイリングが印象的です。
18scott:USヒップホップは好きなんですけど、アメリカのファッションにはグッとこなくて、ヨーロッパ系の着こなしを意識しています。端的にいうと、イケてるとされるシルエットがアメリカはワイドですけど、ヨーロッパは身幅が細くて縦長で、なおかつストリートでもスポーツでも土臭くなく上品に落とし込んでいるところが好きです。スロータイ(slowthai、UKを代表するラッパー)が「シーピー カンパニー」をよく着ていて、USラッパーも同じようなアイテムを着ていることがあるんですけど、着こなし方が全然違うんですよ。ドレイクの「ストーンアイランド」の着方をはじめ、北米のラッパーはどうしてもメインストリーム感が強くなっちゃって、UKラッパーが着るとカウンターカルチャー感がにじみ出る。理由をうまく言い表せないけど、とにかく違うんです(笑)。
ーーファッション好きが高じて、新卒でシップスに入社されたそうですね。
18scott:シップスは、小さい頃に母親によく連れられて行っていたし、高校生の時にもよく買っていたお店で、音楽活動と両立できると聞いて入社を決めました。思っていた以上に音楽活動を前向きに捉えてくれていて、20年にSUNNOVAさんとの2ndアルバム「PAISLEY」をリリースした際にはポップアップを開いてもらったり、シップスのユーチューブチャンネルで取り上げてもらったり、MVで着用する衣装をリースさせてもらったり、ありがたいことにかなりサポートしていただいています。もう7年目で、本当は店長に昇格しちゃうくらいなんですけど、今は忙しくて全然店頭に立てず……本当に申し訳ないです。それでも在籍させてくれているので、可能な限り働きたいと思っています。
ーー最後に、人気曲「PHONE CALL」は「チルドレン オブ ザ ディスコーダンス(CHILDREN OF THE DISCORDANCE)」2020年春夏コレクションのランウエイでBGMに採用されていましたが、この経緯は?
18scott:もともと僕が「チルドレン オブ ザ ディスコーダンス」が好きで、それを知った元シップスの先輩が「デザイナーの志鎌(英明)さんも元『シップス』だから紹介するよ」って展示会に連れて行ってくれたんです。その時に「PHONE CALL」が収録されているアルバム「4GIVE4GET」を渡したら、次の日の朝にインスタグラムのDMで「アルバムが良かったのでランウエイの音楽をやってもらえませんか?」って連絡が届いていて。夢だと思いながら打ち合わせをしたら、志鎌さんが以前働いていたシップス傘下のセレクトショップ、エイシクル(Acycle)に僕が高校生の時に通っていたり、志鎌さんが働いていた時のエイシクルの店長が当時僕が働いていた渋谷店の店長だったり、運命的なつながりが多かったので担当させてもらうことになりました。「PHONE CALL」のほかにも僕のビートを気に入ってもらえて、結果的にランウエイBGMを全て手掛けることになり、本当にいい経験でしたね。当日は音出しの確認もあってリハーサルから現場にいたんですけど、ずっとほしかったバンダナシャツを本番前にプレゼントしてくださって、震えながら着てフロントローで見てました(笑)。また何か一緒にできたらうれしいです。