“レオパール”。デザイナーや企画担当者なら、一度は耳にした事があるかもしれない。サンプル専門の縫製工場として、30年に渡って、デザイナーズブランドから量販チェーン、ユニホームまで、ありとあらゆるブランドのサンプルを年8000~1万型作っている。展示会やカタログ、雑誌の撮影まで、ファッション業界には欠かせないサンプルだが、ひと度役目が終われば大半がセールで放出されたり、倉庫にしまい込まれたりして、再び日の目を見ることは少ない。だが、実は思っている以上に奥の深い世界だ。
ファッション業界を支えるさまざまな職業人を取り上げる連載「ファッション業界お仕事百科」の第一回目は、ファッションデザイナーなら知る人ぞ知る、サンプル縫製一筋30年、日本のファッション業界を支えてきたレオパールの森田惠夫(としお)社長を取り上げる。
レオパールのオフィスは、代々木上原から徒歩10分ほど。東大駒場キャンパスの裏手の閑静な住宅街にある。4階建てのやや大きめの家といった風情のオフィスの前には、社用車の軽自動車が2台駐車している。建物の中には新旧さまざまなミシンや最先端の裁断機、CAD/CAM端末が設置され、いわば工場の役割を担っている。
WWDジャパン(以下、WWD):サンプル縫製は儲かりますか?
森田惠夫レオパール社長(以下、森田):儲かるよ。このオフィス兼工場は自社ビルだし、自宅は世田谷区の上北沢に1億円で建てた。これまでお金に困ったことはほとんどないし、年に1回は従業員を連れてニューヨーク(NY)に行っている。サンプル屋が生意気だって言われるから、ブランドへ営業に行くときは乗らないけど今の愛車はベンツ。裏に隠しているけどね(笑)。
WWD:隠しているのに、言って大丈夫なんですか?
森田:会社はサンプル専業だけど、僕個人はクチュリエとしての仕事もしている。いろんなセレブの方の服も作っているので、そうした場に出入りする時は逆に軽自動車なんて乗って行けないよ。
WWD:仕事の内容は?
森田:年間約140社と取引していて、年1万着前後を納品している。デザイナーズブランドから有名ブランド、SPA、量販チェーン、企業ユニホームまで、ありとあらゆる企業やブランドの服を手がけている。展示会シーズンの前には、1日に180着納品することもあるよ。先日、某百貨店が夕方に駆け込んできて、どうしても翌朝に上げたい一着があると。僕らは職人の時給と能力給、夜間の作業は別途アップチャージかかるので十数万円でオファーしたけど、向こうもどうしても必要なので、その条件をのむ。そうやって駆け込んでくる人は多い。社員はパートや研修生を含めると30人だね。
WWD:なぜサンプルの仕事を?
森田:さっきも言ったけど、僕自身はクチュリエの仕事をしていて、デザインからパターン、縫製まで、自分で言うのもなんだけど服作りの技術はかなり高い。サンプルは、常に最初の一着目。でもそれが、実は縫製する側にとっては一番難しい。どうやって縫うか仕様書から自分で作らないといけないわけだから。常に新作と向き合い、魂を入れた“生き物”にするためには、相当高い技術が必要なんだ。それにサンプル一着が卸先のバイヤーからの受注を掴み、会社の業績を劇的に変え、さらには世の中を変えることだってあるかもしれない。この1着が1億円に化ける。そう思って、ずっとやってきた。
クチュールの技術を生かすためにサンプル業へ
WWD:なぜサンプル縫製を始めたのですか?
森田:専門学校を卒業後、日本のクチュリエのアトリエで働いた後、マダム・グレなどの海外の本場のデザイナーに憧れて渡英し、クチュリエのアトリエに入った。当時ロンドンには山本寛斎がいたし、73年に渡米した時には三宅一生もいた。本場で経験を積みたいって思ったんだ。けど、帰国してみたら、時代はプレタポルテに変わっていて、自分の腕を生かすには大手アパレルに入るか、もう一度有名デザイナーのアシスタントになるしかなかった。クチュリエとして生きていくことを考える中で、当時の東レの宣伝室長のアドバイスがきっかけでサンプル縫製に行き着いた。当時は素材メーカーが積極的にマーケティングを仕掛けていて、たった一着のサンプルがとてつもない売り上げに変わるのを目の当たりにしたからだ。
WWD:早くから縫製の工程分析をした上で、時間や能力に応じた価格表を作っていた。その理由は?
森田:米国時代はヒッピーで、帰国するときも1年間世界中を放浪しながら帰国した。長髪にヒゲの僕が、取引先に信頼してもらうには、“縫製”という工程を手間や時間、能力の観点から徹底的に分析して取引先を説得する必要があった。
WWD:長髪とヒゲというスタイルをやめれば良かったのでは?
森田:妻から「仕事のために自分のスタイルを崩すくらいなら、仕事やめなさいよ!」って怒られちゃって。
WWD:すごい奥さんですね。
森田:うちの妻はすごいよ。この前は携帯に電話が掛かってきて、「初めて出会ったあの場所にいるから、お金持って会いに来て」って言われて…。
WWD:どこなんですか?
森田:ストックホルム。すぐに飛んでいったけどね。彼女が千葉大を出てストックホルムに卒業旅行中に、ヒッピー放浪中だった僕と出会ったんだ。妻は頭もいいし、育ちもいい。だから僕とは対照的。今は小学校の教員を退職して、年中大好きな海外旅行に行っているので、時々行方不明になる(笑)。この前娘の携帯に電話が掛かってきたので国番号を見たら、コロンビアだった(笑)。もう170ヵ国くらいは行っているんじゃないかな。
サンプル縫製の立場から見たファッションとは?
WWD:長い間、ファッション業界をサンプル縫製の立場で見てきて思うことは?
森田:昔はサンプルを作るのだって真剣勝負だった。1年間売り上げが増えない企業とは取り引きを断ることも。名前は言えないけど、今は有名になったあるデザイナーが「俺を男にしてくれ!」って土下座して僕に頼み込んできたことだってあった。服作りの原価について、マネジメント的な視点からアドバイスすることだってあった。それだけお互いに真剣だったんだよね。今は本来のファッションが抜けてて、つまんない服ばかりになったなと感じる。
WWD:本来のファッションとは?
森田:ファッションは生地や縫製ではなく、紡ぎ出すストーリーにこそ意味がある。ストーリーがないんだから売れないのは当たり前。あと、これは持論だけど、あまりにも服がカジュアルになりすぎている。若年層でハロウィンが盛り上がったり、制服のアイドルに人気が出るのは、その反動じゃないかな。フォーマルな服装の本質って、コスプレだからさ。
WWD:縫製業の下請け的な構造や体質は、ずっと問題になってきましたが、なかなか改まりません。なぜでしょう?
森田:日本だと縫製の代金って、本当は何の根拠もないのに、小売価格から逆算して決められているから。本来は手間や時間、技術に応じて決めるべきなんだよ。でも一方で、僕はお金儲けは絶対に必要だと思っているけど、縫製工場や技術者だって請求書一つ自分で送ったことのない人も多い。僕が1985年に子どもが小学校に入って、お父さんが今で言うフリーターみたいだとかっこ悪いから、個人事業から法人化して株式会社にしたときも、同業者からは職人がなぜ株式会社なんて作るんだって言われたよ。正直言って個人事業のほうがずっと儲かってたけど、いま考えれば法人化して良かった。商社や大手メーカーが口座を作りやすいし、その後、時代に対応できなかった小さな会社は淘汰された。かなり細かく工程分析をした上で工程管理をIT化していたからこそ、今でも生き残っていられる。
WWD:これからの目標は?
森田:ファッションの世界自体はどんどんグローバル化しているけど、やっぱり日本には日本の、NYにはNYのファッションってあると思うよ。そうした雰囲気を出すには、日本人が作らないとだめなんじゃないかな。この会社は来年には娘に譲って、僕は新しいビジネスをスタートする。これまでに培ってきた知見を生かして、立体裁断から仮縫いし、修正を加えていく、オートクチュール的なカスタムオーダーの事業を始める予定。このビルの1階をアトリエ兼ショップにする。
WWD:「シタテル」「ヌッテ」などITを駆使したクラウドソーシングサービスも登場しています。サンプル縫製業として脅威では?
森田:うーん。何とも言えないなあ。最初にも言ったけど、サンプルを作るのって本当はとても難しい。ただ縫えばいいってものではないから。社内的には、工程管理や工程分析は20年前くらいからIT化していて、現在もどんどん進化させている。だから、ネットと融合したこういったサービスの重要性や需要も理解している。その部分ではとても面白いサービスだとは思う。ただ、空いているスペースを探すだけで、縫製業の付加価値を上げるわけではないので、縫製という職業自体を活性化するとは思えないなあ。僕らとは“別物”っていう感覚に近いかな。