PROFILE:1982年8月3日宮城県仙台市生まれ。ココ・シャネルと同じしし座のO型。高校卒業後、シューズ平場の販売員からキャリアをスタート。レイ ビームスの販売員、小さなセレクトショップのオデオンの店長兼バイヤー、ラグジュアリー・ブランドの派遣販売員を経て、スタイリストのMORIYASUのアシスタントに。2009年に独立 PHOTOS BY KEITA GOTO
今、ファッション業界で評価を高め、メキメキと頭角を現しているのが、スタイリストの遠藤彩香だ。「ギンザ」や「シュプール」などのモード誌では、粋なスタイリングで誌面をにぎわし、「マメ(MAME)」「アカネ ウツノミヤ(AKANE UTSUNOMIYA)」「タロウホリウチ(TARO HORIUCHI)」といった東京ブランドのルックブックでは、ブランドの新しい表情を引き出している。デザイナーたちは、「センスと遊びのあるスタイリング、そして彼女のキャラクターが大好き」(蓮井茜「アカネ ウツノミヤ」デザイナー)、「彼女の強い個性や新しいものへの強い探求心、ミーティングをしているときに、すぐにお互いのイメージを共有できる共通言語を持っている」(「堀内太郎「タロウホリウチ」デザイナー)と彼女に絶大な信頼を寄せ、ブランドを表現するルックブックの世界観作りを共に取り組んでいる。
「セリーヌ(CELINE)」「ヴェトモン(VETEMENTS)」「パレス(PALACE)」「ロエベ(LOEWE)」「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」などをハイセンスに着こなし、パリコレ期間中には日本人では数少ないスナップ・フォトグラファーの注目の的になるスタイリストでもある。そんな彼女のキャリアは、意外にも地元仙台の百貨店、しかもシューズ売り場の販売員からスタートした。どのようにキャリアを積みスタイリストになったのか。そしてこの先、どんなスタイリストを目指すのか、神宮前に構えたアトリエで話を聞いた。
PHOTOS BY KEITA GOTO
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WWDジャパン(以下、WWD):最近話題になったビームス40周年企画「トウキョウ カルチャー ストーリー」で直近の2006年~16年のスタイリングを手掛けていたけれど、キャリアはビームス仙台店の販売員から始まっていますよね?
遠藤彩香(以下、遠藤):実はビームスの前に百貨店のシューズ売り場で販売員をしていました。高校卒業後、洋服の販売職で就職先を探したけれど、未経験だったので難しかった。百貨店の平場だったので、社会人のマナーや接客の基本はもちろん、靴の知識も身に付きました。でもやっぱり洋服が好きで!1年の経験を積んで19歳のときにビームス仙台店に就職しました。
WWD:ビームスを選んだ理由は?
遠藤:当時セレクトショップブーム真っ只中で、個店も大手もとにかくセレクトショップの時代。中でもビームスは、インポート商品も多く、素敵な着こなしのカリスマ販売員もいて仙台一のセレクトだった。ブランドは「コム デ ギャルソン」、スタイルは古着とミックスして着るのが好きだったけれど、ブランドやカテゴリーを限定しないで、いろんなものやジャンルの集合体に魅力を感じていました。配属はレイ ビームスでした。
WWD:どんな洋服を着て店頭に立っていたのですか?
遠藤:インポートや自分の古着など、店で売ってないものも含めて自由にミックスしていました。上司からは「オリジナル商品着てよ」と言われたことを覚えています。当時は若くて生意気だった(笑)。同僚も5歳、10歳離れた年上の先輩ばかりで、子どもに見られたくないという気持ちも強かった。お客さんも高校生から大学生、OLさんから医療系の方まで幅広く、「若いからこういう提案しかできないのね」と思われたくなくて背伸びして、説得力がある話し方や提案を心がけていました。
WWD:雑誌やビジュアルへの興味は当時から?
遠藤:雑誌は今よりもエネルギーがあった。ビジュアルにも興味がありました。スタイリストでは、当時のビームスのカタログを手掛けていたMORIYASUさんに憧れていた。漠然と自分がショップを持ちたいという夢もありました。
WWD:ビームスで出会った女性が最初の師匠的存在だったとか。
遠藤:仙台時代で一番のインパクトだった。10歳年上で、スーパー販売員。平気で3~4時間接客する方で、必ずリピーターを作っていた。彼女に会いに来るお客さんがたくさんいて、彼女の手でどんどんキレイになっていく様を目の当たりしていて。ある日、新しい店を開けることになって、彼女が店長に抜擢され、パートナーに私を選んでくれた。小さな店だったのでマンツーマン。反抗的で扱い辛かった私の意見をまず聞いてくれて、納得するまで説明してくれる方でした。「売れるだけではダメ。両方できることが大切」と苦手だった日報の書き方から、仕入れ方、売り上げの作り方まで根気よく教えてくれた。プライベートでも彼女の周りの方々と遊びに出かけたり。何より人としての在り方を学びました。とにかく飴とムチが上手な方で。その後、彼女が辞めることになり、店長を任され、買い付けからVMD、販売までを手掛けることになった。ウインドーのマネキンに着せたスタイルを見てそのまま購入してくれる新規のお客さんも増え、スタイルを作ること、ビジュアルを作ることへの興味がさらに増した。一方で東京への憧れも捨てきれなかった。やめたいと打ち明けた後に、当時の上司から酔っ払った勢いで「お前には無理だ」と言われ、悔しくて大泣き。「絶対やってやる」と心に誓って23歳で上京しました。
WWD:上京してラグジュアリー・ブランドの販売員になりました。どうやってMORIYASUさんのアシスタントになったのですか?
遠藤:経験があったのは販売員だったから、派遣に登録して、ラグジュアリー・ブランドの販売員をしました。昼間は商品の入り方や売れ方、お客さまなど新しいことを学びつつ、夜は大好きな音楽を聴きに行っていた。そうして知り合った友人がたまたまMORIYASUのアシスタントだったというまさかの偶然で。彼女がアシスタントを卒業するタイミングで紹介してもらった。24歳になったころでした。
WWD:MORIYASUさんは第二の師匠ですよね。
遠藤:カルチャーに詳しく、私もカルチャーが好きだったのでとにかく共通言語が多かった。彼女の口から発せられるファッションブランドからミュージシャンやギャラリーまで、とにかくメモを取りまくりました。だからメモ帳は欠かせなかった。速記ですよ(笑)。アシスタント時代には、販売員のときに培った相手の立場に立った考え方やコミュニケーションの取り方などが、PRや編集者とやり取りするときにとても役に立ちました。
WWD:どうやって今のスタイルを確立していったのですか?
遠藤:カワイイ系から格好良い系まであらゆるスタイルの作品撮りをしました。写真集を見たり、好きなギャラリーや美術館に出向いたり。展示されているものと展示されている空間の色合いやバランスなどが今につながっていると思います。27歳で独立し、初海外だったニューヨークの衝撃も大きかった。アートフェスや美術館、ライブハウスで遊ぶ女の子など、とにかく刺激的で、その後も、時間ができれば海外に行ってインプットするようになりました。また、自分の作ったものがどう見えているかも考えるようになりました。自分が見てきたものと同じくらい、周りの友人やデザイナーが見てきたもの影響も大きいですね。(「アカネ ウツノミヤ」の)茜ちゃんや(「タロウホリウチ」の)太郎君、(「マメ」の)マメちゃんなど同世代のデザイナーたちに自分の感じていることをストレートに伝え、話し合い、共有していくことが自信につながっています。
WWD:スタイリングはどうやって組んでいくのですか?
遠藤:ルックブックを作るときは、色から決めることが多いですね。旅先で見た街の色や、ギャラリーの展示物がインスピレーション源になっています。シルエットは、組むテーマにもよりますが、洋服に触って、素材に合わせていくことが多いです。一方、雑誌のエディトリアルは、ロケーションや撮影シーンを思い浮かべながら、洋服を組んでいきます。
WWD:最近行った海外で印象的だったのは?
遠藤:昨年の夏に訪れたスペインのクエンカとシウダ・エンカンターダです。シウダ・エンカンターダはジョナサン・アンダーソンが2016-17年秋冬の「ロエベ」メンズのルックブックの撮影に選んだ場所でした。見たことのないその世界を自分の目でも見てみたいと思い立ち友人と行ってきました。スペイン独特の色と不思議な地形、ここで撮影してみたい!とエネルギーが沸き起こる感じです。
遊びの効いた服を日常の風景にあるものとして切り取ること
WWD:ジョナサン・アンダーソンが「J.W.アンダーソン」や「ロエベ」で提案する世界に影響を受けていますよね。
遠藤:もともと海外の雑誌などで見ていたジョナサンの洋服は「何だ?このバランス、新しい!」と自然に惹かれていました。そもそも、ランウェイで見るコレクションのルックは、とても遠いものだと感じていたのですが、ロンドンで「J.Wアンダーソン」を見て、カルチャーやアートを感じ、遠かったものが一気に身近になり、自分が好きなものはコレだと分かった。さらに、彼とよく仕事をする写真家のジェイミー・ホークスワースが撮影するルックブックのイメージが、私が表現したいと思っていたことに通ずる!と気付かせてもらったことも大きいですね。ちょうど自分の強みも分かってきたタイミングで、自分がイメージするビジュアルを作り上げることができるようになってきたタイミングとも重なりました。
WWD:16年10月にトロンから独立し、フリーになりました。今後の目標は?
遠藤:インターナショナルな雑誌での仕事。カタログ的ではなくハイモードを表現してきたい。素敵な洋服を通して、いい表現をすること。これが遠藤のスタイリングだよねと言われるような、求められることころで最大限に表現できるスタイリストになりたい。