2017年3月、制作会社コンタクト(kontakt)が「パートナーズ(PARTNERS)」というインタビュー誌を発売した。表紙には写真家のユルゲン・テラー(Juergen Teller)と息子エド(Ed)の2人がバイクにまたがってヘルメットをかぶり、カメラ目線で微笑んでいる。巻頭もユルゲンとエドの日常を切り取った写真が並んでいる。父であるユルゲンがエドを愛して止まない親子の“絆”を感じさせる写真だ。同誌は人の“絆”や“関係性”をテーマに掲げ、日英バイリンガルの体裁は日本と世界をつなぐことを意図している。編集長である川島拓人に制作にまつわる話やコンテンツ企画について、そしてこれからの編集者に必要不可欠な資質や考え方を聞いた。また「パートナーズ」を、2017年に発売した雑誌の中でベストディレクションと評した代官山 蔦屋書店の高山かおりブックコンシェルジュに、手戻りのない一気通貫した誌面の魅力を解説してもらう。
WWDジャパン(以下、WWD):編集者を志したきっかけは何ですか?
川島拓人(以下、川島):アメリカ・ボストンの大学では生化学を専攻していました。IPS細胞の研究や最新テクノロジーを利用しながら、アウトプットは日常製品という仕事に興味があり、大学3年の夏に化粧品会社でインターンを経験しました。化粧品は単純に薬品を混ぜるのではなく、人を美しくしたり夢を与えられる世界なのでそこに惹かれましたね。プロジェクトは新しい乳液の手触りや摩擦の気持ち良さといった“心地良い”を数字化する仕事だったんですが、ひたすら地味な作業を繰り返していくうちに、もう少し自分らしさを表現できるような仕事をしたいと思うようになったんです。次第に、完成した商品を紹介するようなジャーナリストや美容系雑誌の編集者に興味を持つようになりました。昔から活字中毒でも雑誌を読みあさっていたタイプではありませんでした。
WWD:その後、すぐに編集者の道へ?
川島:大学の進路相談員に話したら、2年間のジャーナリズムコースを再受講するように促されまして……時間もないし学費の問題もありますから、一度日本に帰国してから考えようと。日本の雑誌編集者は、大学の専攻過程で採用を決めるケースはほとんどありませんよね。そこで編集者の採用募集を探していたら、メンズ誌「ヒュージ(HugE)」が英語を話せる編集者を募集してたんです。知り合いに講談社の社員を紹介していただき相談した結果、編集プロダクションのイーター(EATer)が編集と制作を行っていると教えてもらい、そこで働くことになりました。
WWD:なぜ「ヒュージ」で働こうと思ったんですか?
川島:上海に住んでいた高校時代に、姉が日本から持ってきてくれて今一番かっこいい雑誌と教えてくれたのが「ヒュージ」だったんです。もともとファッションが好きで、高校では韓国人の友達とよくファッションの話をしていました。大学に行ってからも彼とはフェイスブック(Facebook)で連絡を取っていて、「今、何を着てる?」と聞いたら「ディオール オム(DIOR HOMME)だ」と答えたので、調べたらものすごくかっこよかったんですよね。それから「ディオール オム」のコレクションをチェックするようになり、小遣いを貯めてニューヨークまで買いに行ったりもしました。当時の「ヒュージ」も「ディオール オム」の特集を組んでいて、高校時代から抱いていたかっこいい雑誌という印象が強まりましたね。化粧品もファッションも人に夢や感動を与えるという点では同じと思い、編集の道に進む決心がつきました。すべてのタイミングがうまく合った、パズルがすっとハマったような感覚でしたね。
WWD:「ヒュージ」はファッションの他にも写真やアートにも強い雑誌。カルチャーはファッションと同じくらい好きだったんですか?
川島:比較的好きでしたが、自分で調べて掘っていったのは編集者になってからです。その前に、大学のある街がニューヨークに近かったのでギャラリーを回ったりはしていましたけれど。
WWD:「ヒュージ」ではどんな視点で仕事をしていたんですか?
川島:ひたすら自分の居場所を探していました。同期が3人いて、全員アシスタントなので雑務がメーンですよね。その中で一歩抜きん出るにはどうしたら良いかをとにかく考えて。自分にとって英語は1つの武器でしたから、英語を使って何ができるか。そこで、とりあえず気になるアーティストに連絡を取って次の企画会議に上げてみようと。当時の雑誌は、海外ネタに関してはコーディネーター任せというか、待つ姿勢が多かったように思います。そこを編集者が意図的にアタックする行動を起こせば、まだ誰も手を付けていない自分の居場所になると感じて、それから1つの情報を掘り下げる作業にのめり込んでいきましたね。アーティストやファッションデザイナーに直接連絡をとってことで、日本のギャラリーやPRに迷惑をかけたこともありました……。
WWD:「ヒュージ」がリニューアルしたタイミングでフリーになったんですよね。その後、コンタクトを起ち上げたのはいつ頃ですか?
川島:会社化したのは2015年の9月です。コンタクトは編集者の神田春樹と僕の2人で始めたんですが、1人でやるつらさも感じていた頃で、チームを作りたかった。あと、フリーランスを経験して、外部のクリエイターやメディアから消費されていく感覚があったんですね。もっと自分らしく楽しくできないかなと。そこで17年3月に「パートナーズ」を発売した時に、ユルゲン・テラーのTシャツやグッズなども制作して代官山と梅田の蔦屋書店でポップアップも行いました。今後はオン・オフ問わずメディアを作って、グッズも販売する場所も作り、これまでの編プロや制作会社の範疇を超えたことをやっていこうと思っています。
WWD:自分のメディアを持つ構想はいつ頃からありましたか?
川島:以前「ゼム ジャーナル(Them Journal)」というムックを作った時に、マジョリティへのアンチじゃないですけど、何かに縛られないメディアを作りたいという気持ちが強くなりました。例えば、雑誌なら10ページ預けてもらって企画に沿ったページを作るとか。ウェブも発注元のオーダーをベースにしたコンテンツが求められますよね。もう少し全体を見てコントロールすることに興味があったので、それなら自分でやるしかない。若かったかもしれませんが、振られる仕事に対するストレスを感じていた時期でした。
WWD:そういった環境が「パートナーズ」を作ったきっかけになった。
川島:ファッションに関わる仕事が多かったので、もう少し人間っぽい部分にフォーカスしたいという気持ちが強くなっていったからです。1人よりも誰かと一緒の方が生きるのも楽しい。ソーシャル・メディアで人間の関係性が希薄になったと感じることもあって。そこで、恋人、友達、親子、兄弟いろいろな人間の“絆”をテーマにしました。
WWD:創刊号にはどんな思いを込めましたか?
川島:自分がファッション好きとして、単純にデザイナーを紹介するのではなく、取材を通してその先にあるデザイナーの思いを共有しなければ、常に消費されて人の心には何も残らない。“消費しきれない”情報を発信しようと。本当の豊かさが何か、自分なりの思いを伝えたかったです。過去の経験がベースになっているんですけれども、僕が高校時代をすごした当時の上海では、中国経済の成長が注目されていた時代とはいえ、まだまだ発展途上だったのでエグい程貧富の差を目のあたりにして。その頃から即物的ではない、人間の本質を追究したいという考え方が根付いたんだと思います。
WWD:即物的ではない人間の本質や関係性とは具体的に何だと考えますか?
川島:編集の仕事は常に外部のクリエイターや企業と仕事をしているので、悪く言えば仕事だけの関係に陥りやすい。決まった業界の決まった人たちとのルーティーンになるケースも多いです。仕事がしやすいというメリットもありますが、その殻を破らなければ時代に置いていかれ、いずれ淘汰されてしまう。まだ自分が知らない人たちと新しいつながりを持ち、関係性を築くことこそが課題でもあり、「パートナーズ」に込めたメッセージでもあります。バイリンガルの体裁も、日本で活動するアーティストや作家を意識的に起用したのも、業界をアップデートしたいという気持ちから。いつまでも、荒木(経惟)さんや森山(大道)さん、草間(彌生)さんだけじゃないことを世界に発信したいけれど、日本語以外で発信しているメディアは現状ない。世界に彼らの生き方を理解してもらえるだけでも、メディアの意義はあると思っています。
WWD:表紙、巻頭の撮り下ろしにユルゲン・テラーを起用した理由は何ですか?
川島:パンチ力ですよ。世界への発信を考えるとユルゲンの強さが必要でしたから。写真データの到着が予定から5カ月遅れても、創刊号はユルゲンじゃないと成立しないとアートディレクターの坂脇(慶)さんと話していて。あと、雑誌全体のフォトディレクションは、ユルゲンのようにどんどん撮っていくイメージを全体通して表現したかったので、それを象徴する意味でも今後の「パートナーズ」がブレないための指針でもありました。
WWD:大物のクリエイターとつながるためにはどんな方法が有効でしょうか?
川島:一緒に仕事をしたいと思ったらすぐにオファーメールを送って、ひたすら熱く語ります。ものすごい長文になっていたこともありました。あとは最初から変な企画を打診してみたり、何とか目に止まる、返信したくなるような仕掛けを挨拶文に入れるようにしています。一度断られても、返信されたメールにスタジオやアトリエの住所が書いてあると、最新号の見本誌とともに手書きの手紙をしつこく送っていました。
WWD:オファーはコンテンツ制作の最初の仕事で重要な意味を持ちますね。
川島:一番重要なのは情熱です。小手先の技術は経験で養えますが、いかに情熱と責任感を持ち続けるかが編集者の重要な資質だと思いますよ。自分の名前がクレジットされるわけですし、多くの人を巻き込むので関わったクリエイター、クライアントに対して失礼なことはできません。最近、インフルエンサーも個人発信のメディアと考えられているようですが、この点は編集者と大きく違う部分ですね。編集者の仕事は、カメラマンやスタイリスト、ヘアメイク、モデル、ライターもいる。取材対象者も含めた協力者によってコンテンツが成立していますから。個人的な発信であれば自分だけが責任を取ればいいのですが、編集者はそうはいかないですよね。
WWD:他にコンテンツ制作で重要視していることはありますか?
川島:事実だけをそのまま伝えるのではなく、情報を多角的に捉えて何を付加価値とするかを考えています。作り手の個人的な思いが削ぎ落とされたものは読んでもつまらないし、すぐに消費されてしまう。デジタルも含めてこれから編集者に求められる資質は多く大変だとは思いますが、だからこそ面白いじゃないですか。編集者はクリエイティブの舵取りをする楽しさがあるし、一方でその責任も大きい。クライアントワークでも、クリエイターと関わることで新しい発見は常にあります。例えば、今、仕事をご一緒しているアートディレクターの平林(奈緒美)さんについてなら、かなりの原稿を書ける自信があります。モノ作りの姿勢は常に勉強させていただいていますからね。
WWD:紙もウェブも、ものすごいスピードで変化しています。メディアの変化や今後のあり方をどう考えますか?
川島:チャンスではないかと。みんなコンテンツを欲しがっています。一方で情報をリリースするスピードを競うようなサイクルになっていることには懐疑的ですけど。特にウェブメディアは1日で何本も記事を上げようとか。そこに紐づく情報や人が見えづらくなっているからこそ、時間はかかるけどもう1歩掘り下げた、深い情報を作る重要性を強く感じています。今、「ユナイテッドアローズ(UNITED ARROWS)」のカタログを制作していますが、昨シーズンはたくさんの文字をレイアウトした表紙を作りました。その理由は、編集者でありながら、相当な分量の取材と執筆も行う自分たちのスタイルをわかりやすく表現するためです。表層的な情報のリリースではなく、時間に耐えられるクオリティを維持するメディアも制作物も少なくなってきている印象ですね。
WWD:今後の目標は何ですか?
川島:10年後も編集者としてあり続けるには、自分が年をとるにつれて、まだ誰も手を付けていないこと、ある種の変わった動きをして行かなければダメだと思っています。今、10年後をイメージしてなりたいという理想像が見つからないことも理由で、コンタクトを作った本音でもあります。フリーの編集者が多い時代に、29歳で制作会社を起業したこと自体珍しいことだと思うんです。
WWD:今後のコンタクトの運営をどう考えていますか?
川島:今は神田と僕が前に立っていますが、経験の浅い女性スタッフにも名指しでオファーが来ている状況ですので、スタッフのために会社を大きくしていくと共に、常に楽しめる仕事ができる環境作りを目指しています。本来自分はプレーヤーでいることが多いですが、ボランチの立場でいいパスを出してゴールのお膳立てをする必要性も感じています。今年辞めてしまった女性スタッフは、僕が英語で海外のクリエイターに取材している光景を見て英語の必要性を感じたようで、海外渡航について相談されたことがありました。その時はすぐに会社を辞めて海外生活をするよう勧め、仕事のアドバイスもしました。
WWD:パートナーズVol.2の出版予定は?
川島:4月をめどにしています。創刊号の発売後に若い読者から「あんな雑誌がないので作ってくれてよかった」と聞いた時はうれしかったですね。キュレーションされた、世界観が統一されている雑誌は少なくなっていますから。最終的な目標でもあるのですが、アーカイブしていく楽しみを感じられて、世界観がブレていない。そんなメディアを目指しています。
代官山 蔦屋書店マガジンコンシェルジュが類を見ないディレクション力を評価
2017年に発売した雑誌の中でディレクション力という点では「パートナーズ」が1番でした。撮り下ろしからコラム、レビューページまで人間の“関係性”がテーマになっています。誌面デザインにもそのテーマが反映され、トータルのディレクション力が世界中で発行されている雑誌の中でも群を抜いていると感じました。メジャー、アンダーグラウンドを巻き込む人選のバランスの良さ、次世代を発掘する目利きもあります。完成までに相当な時間が掛かりましたが、妥協しない姿勢と熱意に、首を長くして待った甲斐があったと心から思いました。スエットなどのアパレルも制作されていましたが、タグやパターンにもこだわっていました。
また、川島さんは「インプリント」というムックも手掛けています。巻頭の見開きから文字はなく、強い写真でストーリーが始まり読者を一気に引き込む世界観。スポーツとライフスタイルがテーマですが、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)の光のドローイングを「スポーツ」と捉える構成力も素晴らしいです。
これからは、自分の“好き”をひたすら追究する雑誌が増えてほしいです。2017年はインディペンデント誌や趣味で作成したジンなどが目立ちました。大手出版社刊行の雑誌が休刊していくのは残念でなりませんが、そのカウンターとしてインディペンデントシーンが益々盛り上がることで「やっぱり雑誌は面白い」と思ってくださる人を増やし、雑誌の復活劇を信じています。
高山かおり/代官山 蔦屋書店マガジンコンシェルジュ。セレクトショップの販売員を経験後、2012年4月から現職。主に国内の雑誌やリトルプレスの仕入れ、マガジンストリートでのイベントの企画を手掛ける